2024年6月7日金曜日

【 ようやく義援金をお渡ししてきました 】 〜 能登はまだ時間が止まったままのようです…〜

 【 ようやく義援金をお渡ししてきました 】 〜 能登はまだ時間が止まったままのようです…〜

地震による大火によって大変な被害を受けられた〈輪島朝市商店街〉の公費による、焼けたり壊れた建物の撤去がようやく始まりました。それもほんの数件ですが…  何度か訪れたことのある商店街の面影は思い出せないほど全く変わってしまっていて、言葉もありません。爆撃を受けた戦場のようです。胸が痛いです。[輪島市商店街連盟協同組合]の[こやま化粧品]の小山理事長さんに、先月玉名市で開かせていただいたチャリティーコンサートの義援金55万円を、“玉名スタンプ会”の[籾田武志]理事長と一緒に直接のお渡しすることができました。そこで、ご挨拶の名刺をいただいて、心臓が止まりそうになりました‼️[小山桂一]さん⁉️(僕が玉名高校1年生の時の担任の先生で、この先生と出会わなければ、僕は今歌を歌ってなかったと言うほど影響受けた先生と漢字も全て同じ同姓同名だったのです❗️読み方は先生は“おやま”、理事長さんは“こやま”さんでした)なんだか不思議なご縁を感じます。79歳と言われ、その若々しい情熱と感性に驚かされましたが、長年全国的な商店街の活動にも尽力されてこられました。専務理事の[ギフト丸輪]の坂下社長、お米屋さんの[蔵口屋]の松木社長、(酒のたかた]の高田社長もお忙しい中集まってくださいました。165件ほどの朝市商店街の復興、再開のために使わせていただくということでした。ただ昔から続くあの雰囲気のある商店街と朝市の情景を再建するのには大変な、気が遠くなるような努力が必要だろうと想像します。お店の看板代にもなりませんが、心を寄せていただいた玉名のみなさんからの思いを受け取ってもらえたらと思います。さらに、[九州ラーメン党]の[濱田達郎さん]から“九州ラーメン”を140食分お預かりし、同時にお渡しさせていただきました。それにしても、理事長に街中を案内していただきましたが、5ヶ月経ってまだまだ手付かずのところがほとんどのような気がします。が平地少ないので、港の近くの作業場や学校の校庭などが仮設住宅となっています。一般の崩れかけた建物の撤去は全くと言っていいほど進んでいないようです。もちろん再開しているお店も極端に少ないです。人や車の数も閑散といます。東日本大震災の時は、自衛隊や警察、消防など、公的な支援やボランティアの人たち、撤去の作業員も多く見受けられ、復旧復興のトラックがたくさん行き来していましたが、とても静かです。皆さん個人で少しずつ後片付けをされている様子でした。家が潰れた今まで未だ全く中に入れないと言う方もいらっしゃいました。まだ水道が通ってないところもあります。隆起した海岸は風景が一変しています。崩れた崖もそのままです。港も1メートル以上隆起して船が出せない状況で5ヶ月漁もストップしています。収入もゼロ。撤去費用も必要。再建にお金がかかり、ローンを払い続ける人… 仕事の見通しが見えない人… 遠くに避難して戻って来れない人も多くいらっしゃいます。穴水市では公衆浴場が一ヶ所しかありません。旅館やホテルもほとんど休業状態です。阪神淡路大震災にしても、熊本地震に比べてもこんなに復旧が遅いのは信じられません。なんだか取り残された、忘れ去られているのではないかという気にもなります。昔から“能登の人はやさしい”【能登はやさしい 土までも】と言われています。それでも静かにしっかりと頑張ってらっしゃいます。新たなまちづくりにどれだけの時間と資金と知恵が必要でしょうか? 国会では政治とカネの問題が長く議論されていますが、裏金、不必要な、優遇されすぎている、かかりすぎている政治活動、選挙へのカネ!さらに多すぎる議員の数や質など……そういうものを一挙に吐き出して各地の被災地復興予算に使えないものかとさえ考えてしまいます… がんばれ能登❗️がんばれ心やさしい人たち❗️ずっと応援してるよ❗️ずっと忘れないよ‼️