2016年4月30日土曜日

5月10日をめどに学校が始まります。

【 新町界隈も家に戻る準備です 】〜 5月10日をめどに学校が始まります 〜
4月16日に初めて訪れた新町の一新小学校を訪ねました。一時は避難された方がこの学校だけで2,000人に膨れ上がった時もありましたが、今は300名ほどだそうです。まだ余震も収まらず、できたら家には怖くて帰れない人や、本当に家が壊れて帰れない人もいらっしゃるのですが、これ以上学校を休んでいるわけにもいかないので、連休明けから少しずつ学校が始まります。この日から避難されてる人の聞き取り調査が始まりました。家の中を片付けさえすれば帰れる人はなるべく帰る。帰れない人は別の避難所や空き住宅に移る。近くにあれば良いのですが、どちらにするにしてもまだ気が休まる日は訪れません! この体育館に17日間です。今日はこれから、地元に住む、僕も何度かご一緒させていただいた声楽家[原田千春さん]が、ここに避難している[藤崎台童園]のみんなと『ひとすじの光』(藤崎台にあるクスノキの応援歌)を歌うそうです。
子供たち大変な経験をしているけど、お掃除をしたり、ものを運んだり気がついたことを率先してずいぶんお手伝いをしてるよね。これはこれからの人生において、大きな宝になるよ! 《がんばれ!子供たち‼️》校長先生も自治会の方々、ボランティアの皆さんもくたくたのはずなのに、ずっと頑張っています。



左端が女校長先生。右端はこの町内の生き字引。この家の一人暮らしのおばあさんは、家具の隙間に恵まれ、奇跡的に助けられたそうです。



2016年4月29日金曜日

子飼商店街も がんばるバイ❗️

【 子飼商店街も がんばるバイ❗️】〜 昭和のど根性です ❗️〜
 熊本大学、済々黌高校に近く、藤崎宮のそばで、その昔は初詣、お正月にはこの道が通れなくなる程賑わったそうです。昔ながらの会話を交わしながらの対面販売です。ご時世に漏れず、ここもシャッターが少しづつ閉まっていました。一方、若い方が始めた新しいお店もあります。三世代、四世代の皆さんが大切に守り、受け注いできました。ですからここを行き交うする人たちも、ご年配から小さな子供さんまで…。みんなが挨拶を交わし、支えあっているんです。まさに、今の窮地を乗り切るための大切なものを普段から育んでこられたのです。店が潰れたり、お客が離れたり、再建までにはまだまだ大きな困難があると思います。でも、皆さんの心意気と団結力で必ずや復興されると信じています。その暁には皆さんと揃って熊本城の桜を見に行きましょう❗️《負けんバイ❗️子飼‼️》《 みんなで前に進んで行こかい❗️》









 それから、今日最後の訪問地、昨日の約束をしました[ベーカリー みらい]です。夜中の12時から仕込みを始めて朝7時に店を開ける、家族で頑張るこだわりのパン屋さんも震災に負けずに頑張っています。みんなそれぞれに辛い思いを心に背負いながら歩き始めました。今日はそんな“希望のみらい”を感じさせるにふさわしい最高の天気でした。
できる人から動き出します! 頑張れる人からがんばります! さあ!これからは“幸せになる番”です。大変だけど…まだ先は見えないけれど… 悔しいけれど… なきたいけれど…、今も大変な状況が続いてる人たちのためにも、動き出せる人から “元気に歩き出しましょう❗️❗️” みんなが応援しています❗️❗️

熊本城のおもてなしの玄関が開きました❗️

【 熊本城のおもてなしの玄関が開きました❗️】〜 安堵と希望の笑顔が行き交います 〜
坪井川園遊会は来年へ持ち越しですね、そのスタッフが心意気で[城彩苑]をオープンさせました。まだ期間限定ですが、とにかくこの沈滞しているムードを明るく盛り上げようと立ち上がりました。入り口のテントでは、チャリティーの物販販売のブースが急遽作られました。その反対側の入り口で、ストリートシンガー風に復興応援ライブをさせていただきました。初めて避難所や自宅から外出したという方もいらっしゃいました。懐かしい知人に出会って抱き合って涙を流される方も見えました。遠くから連休を利用して熊本を訪れた方、久しぶりに家族連れで出かけてこられた方… みんなほっとしたそして人の声や動きに励まされ、穏やかな笑顔が見られました。僕はそれを眺めながら歌を歌っていました。[熊本]も[熊本城]も“大丈夫!”それほど時間をかけずに【復興】できると確信しました。【 もっこす パワー‼️ 】です。【 ヒゴもんの底力‼️】です。










熊本城も加藤清正もクスノキも見守っています。

【 さあ! 復興へのスタートです❗️】〜熊本城も加藤清正もクスノキも見守っています
大型連休の初日、素晴らしい青空が広がりました。森の都のシンボル《クスノキ》も力強く、新緑の葉を青々と繁らせています。藤崎台球場の7本のクスノキ(西南戦争の戦火も生き延びた,熊本城の歴史をはるかに凌ぐ樹齢1000年以上の県の木)は何の被害も受けず、すっくと佇んでおりました。『ひとすじの光』です。ただ藤崎台球場は一部の石垣が崩れ、しばらくは使用できないようです。お膝元の新町の皆さんも復興に向けてがんばっていらっしゃいます。[村上辛子蓮根店]も開いていますよ。新幹線もゆっくりですが走り出しました。






2016年4月28日木曜日

《 がんばっぺ❗️ から がんばるバイ‼️  へ 》

【 福島と熊本との確かな絆 】〜 福島からお返しに来てくださいました❗️ 〜
《 がんばっぺ❗️ から がんばるバイ‼️  へ 》
31時間かけて13人の皆さんが熊本を目指して車2台で来てくださいました。〈九州ラーメン党〉[濱田龍郎]さんとの太い信頼関係です。僕もその縁で福島、郡山には2度伺いました。今年も3月12日に郡山の仮設住宅を訪れて、皆さんと復興応援の芋煮を振舞い、コンサートをしたところでした。『今まで熊本の皆さんにはたくさん支援していただきました。今度は私たちが応援する番です❗️』と仕事のやりくりをして、全国の仲間に声をかけて途中あちこちで合流しながら27日の夕方【益城町】に到着されました。東日本大震災の後、復興を後押しするために北海道の会社をたたんで郡山に住み着いた[杉山勝茂]さんほか、北海道、名古屋、京都、兵庫、島根から合流した皆さんです。僕も28日の午後、皆さんと再会できました。長時間の車での移動にお疲れの様子も見せずに、ラーメン党の本部にある教会に雑魚寝をして、被災された皆さんにラーメンや芋煮を提供されていました。僕はお礼に、2週間ずっと休みなくボランティアを続けているラーメン党の皆さんと福島からのメンバーや、益城町、西原村で被災された方などに、休憩の束の間、ささやかな歌を聞いていただきました。
なんと‼️ 出雲から合流された[旧姓 猿渡こずえさん]は、玉名高校の3つ先輩でした。感激のハグ❗️〈恐るべし!玉高パワー‼️ 若駒の縁❗️〉





〜 震災に “負けんパン”です‼️ 〜

【 あの日から毎日パンを焼いています❗️】〜 震災に “負けんパン”です‼️ 〜
ご主人の奥さんは、僕の卒業した[玉名高校]の同級生の娘さんの“美琴ちゃん“です。小さい頃から知っている笑顔の可愛い子です。少し体が不自由なところがありますが、音楽が大好きで音楽療法士になるのが夢でした。素敵な働き者のご主人と出会い、とてもかわいい息子さん“ゆうきくん”が生まれました。自閉症で少しコミニュケーションが苦手です。義理のお父さんは、相良村のダムに沈む予定地で生まれ育ちましたが、その思い出の村はなくなってしまいました。今はパーキンソン病と闘いながら、明るく元気な奥さんとともに息子さんの店を手伝ってらっしゃいます。美琴ちゃんの、人もいい働き者のお父さん[内平正直くん]は2年半前に突然亡くなってしまいました。今はみんな避難所へも行けず、2週間車の中で寝泊まりして頑張っています。震災の次の日は、ありったけのパンを焼いて皆さんに無料で配りました。
こんな【頑張り屋のパン屋さんを応援するライブを開きます】ぜひ応援してください‼️ 入場は無料ですが、よかったらパンを一つでも買って帰ってください❗️ とても心のこもった美味しい“がんばる パン”ですよ❗️

▼熊本・菊池「ベーカリーみらい」復興応援コンサート
 パン屋さん閉店後の17:00~  入場無料
 熊本県菊池郡菊陽町津久礼2268-33(菊陽バイパスTSUTAYA向い)



2016年4月27日水曜日

【 支援物資が荒尾にあります 】 ~ もし必要なものがございましたら ~ 2016年4月27日現在

【 支援物資が荒尾にあります 】 ~ もし必要なものがございましたら ~
                (2016年4月27日現在)
今日、地元の荒尾社会福祉協議会へ行ってきました。震災直後から支援物資とボランティアを受け入れています(支援物資は昨日26日で一旦受け入れを終了しいます)。ここにはオムツやお尻拭き、ウェットティッシュ、生理用品。水や栄養ドリンク、インスタントラーメンなど(限られたものですが)が、まだ多く保管されています。必要なところがあればお届けできると言うことでした。(詳しくは直接“荒尾社会福祉協議会”(電話:0968-66-2993)へ連絡されれば親切に対応してくださいます)。
また、関島秀樹(風の丘音楽工房)宛のFAXやメールでもご連絡いただければ最大限努力をしてお応えます。どうぞ遠慮することなくお知らせ下さい。特にお年寄りの方やお子さんのオムツ等お尻ふき、ウェットティッシュなどはこれからもたくさん必要かと思います。衛生にも十分気をつけなければいけません。また、ここにないものでもどうしても必要なものがありましたら、どうぞおっしゃってみてください。どうにかして調達できるものがあるかもしれません。最終的には自分で立ち上がらなけれ前に進めないとは思いますが、今の状況でどうしても自分でできないことがあれば、どうぞ思い切って頼ってみてください。決して恥ずかしいことでも、迷惑な事でもありません。困った時はお互い様です。助け合っていきましょう。いつ立場が反対になるかもしれません。その時は支えてもらわなければいけないかもしれません。《さあ、みんなで何とかここを乗り切れば、また元気に生きていけます!》 がんばるバイ❗️ 負けんバイ ❗️ 肥後んモンの 見せどころですたい‼️
【ご連絡方法】
★このフェイスブックに直接書き込まれますと、個人情報がそのまま公開されてしまいますので書き込まないでください。ご連絡は必ず、以下の方法でお願いします。
★★いずれも、お名前、ご連絡先電話番号を必ず明記のうえ、
①メール:mail@sekijima.info
②FAX:05031530348
③HPの「お問い合わせ」フォームから 
 ▼以下のURLをクリック
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尚、内容によってはお応えできない場合もございますので予めご了承願います。







2016年4月26日火曜日

負けんばい 熊本‼️

【 負けんばい 熊本‼️ 】〜 頑張れる人は立ち上がりつつあります❗️ 〜
ほんの少しですが、熊本市内の繁華街に人の流れと話声が聞こえるようになりました。アーケード街のテナントも鶴屋百貨店(一部営業しているところもあります)も、ほとんど店は閉まったままですが、その周りにある飲食街は少しずつお店が開いてきています。心配して様子を見に来た方たちも、開いている店にちょっとうれしそうに、少し勇気をもらったように入っていかれる姿もありました。ライブでお世話になっている【CIB】も、14日の揺れでお皿やグラスやお酒類が棚から落ちて壊れ、やっと片付け終わり何とか並べ終えた後に、16日未明の2回目の更に大きな揺れでかなりの損害がありました(内野の店長のお話)。同じようなことがほとんどの店や家庭でそうだったようです。それでも何とかこの日に再開にこぎつけました。まずはこの店に出演している地元のアコースティックのミュージシャンの弾き語りライブで復興の第1歩です❗️ 僕も飛び入りで参加させていただきました。


その後、僕の玉名高校の一つ先輩で熊本市内でいくつも店を経営されている[岡田信之さん]の三年坂にある[らむね堂]と[コベントガーデン]も『今日からやるばい❗️』と言う声を聞いて、励ましに参上しました。水の都熊本と熊本城の最後の勇姿を紹介したNHKの【ブラタモリ】。その時[タモリさん]も食事に立ち寄ったという[らむね堂]の水田店長も、自宅は被災で大変な状況にも関わらず「皆さんに早く元気を取り戻してもらうために❗️」とスタッフ共々頑張っています。

【 がんばるバイ 熊本‼️】【負けんばい 熊本‼️】です。とは言え、大きな被害を受けたり、いまだに避難されている方々の状況はまだまだ大変です。

行き慣れた熊本市内を歩いてみました。昨年復活した[長崎次郎書店]は緑の紙が貼られ大丈夫だったようです。



一方昨年の今ごろ、父の叙勲で大変お世話になった[工藤商会]さんはビルが崩壊していました。

今年の春の叙勲はどうなるでしょうか…。両親もお世話になっている[出田眼科]さんは昨日から診療を始められました。


周りは明治時代の貴重な家々が多く、かなりの損傷です。


応急危険度判定士のグループとあちこちですれ違います。


秋津町にある関島橋ではなく[間島橋]です。大きな段差ができていて、しばらく通行止めになっていました。





ゴミがいたるところに山積みになっています。



熊本城の東側に続く土塀の1部が壊れています。天守閣の姿を見るのも辛いです。