2017年11月29日水曜日

【 三日月の恋の旅 最終日 】〜 子供に戻って楽しみました 〜

【 もう少しおおらかに解決ができなかったのでしょうか… 】〜日本人は心が狭いのでしょうか? ‼️それとも生真面目すぎるのでしょうか?… 〜
相撲協会もマスコミも、建前や形式にとらわれるあまり人間としての大切なものを置き忘れているような気がします。残念です。事なかれ主義と心の奥底にある悪意や意地悪が見え隠れします。相撲協会は大切な2人の力士を守れなかったのでしょうか? あまりにも相撲や横綱を国技、神のような存在、相撲道、品格などと期待し、持ち上げすぎてるような気がします。もちろん伝統的な格式や、最高位の横綱として、人の手本になるような振る舞いは守っていかなければいけませんが、それはどのスポーツでもどの分野においても一緒です。これは所詮、現代はスポーツです。普段はバラエティー番組にも引っ張り出しておいて、あまりにも大きなものを背負わせすぎです。でしたら最初から外国人の力士を採用しない位の覚悟が必要だったでしょう。《 大岡裁き!もう一度チャンスをあげたかった!》日本は窮屈になったのでしょう。“許す” “受け入れる” “思いやる” “委ねる” “譲歩する” “寄り添う” “手打ちをする” “水に流す” そんなおおらかな日本人の、いいかげんや、曖昧や、ごまかしではなく、《いいあんばい》の心はどこかに行ってしまったんだろうか… 。日本は観光立国を目指して今の2倍の観光客を受け入れるようとしています。人口が減少していくので外国人の労働者も受け入れようと考えています。困った時、都合の良い時だけではなく、本当にそう考えるのならば、いろんな法律、環境、考え方、日ごろの生活を柔軟にしていく覚悟、広い心を持たないと世界の人には理解されないと思います。その上で日本の国として、日本人としてのアイデンティティーを誇りを持って守っていかなければいけないと思います。

【 三日月の恋の旅 最終日 】〜 子供に戻って楽しみました 〜
最終日は素晴らしい天気に恵まれました。小松女院の慰霊のお祭りも無事終了し、玖珠町の皆さんにと楽しい交流ができ、本当に良くして頂きました。街を一望できる[伐株山]に登り、童心に戻って思いっきり遊びました。ここはパラグライダーのメッカでもあります。



















まだ傷ついた阿蘇の山々を走り、[大観峰]でカルデラのパノラマを堪能し、復興半ばの熊本城をじっくり見届けました。まだまだ壊れた石垣はあちこちに見られましたが、天守閣は東京オリンピックまでには再建できるそうです。



[城彩苑]は結構な賑わいでした。[桜ン坂]で美味しいの昼食をとり、お別れの場所熊本駅へと向かいました。忘れることのできない旅となりましたが、それぞれが心の中に思い出を刻み、生きることの大切さ、出会いと別れの不可思議さ、喜びと虚しさ、非情さをかみしめながら、次の再会を約束して別れました。

















最後まで気遣いと安全運転を続けてくださった、九重観光の帆足浩運転手さんどうもありがとうございました。


2017年11月28日火曜日

【 三日月の恋 バスツアー2日目 】〜 まんじりともせず朝を迎えました 〜

【 三日月の恋 バスツアー2日目 】〜 まんじりともせず朝を迎えました 〜
皆さんには朝食の後集まってもらい、お伝えし、これからのことを考えていただきました。責任者として、病院でご本人の確認をし、ご親族に連絡しました。到着されるのはお昼になるそうです。僕はこういう状況で、この先旅を続けるのは難しいと思う一方で、頌子さんのとても穏やかで美しく、少しほほえんでいらっしゃる菩薩のようなお顔を拝見し、そしてまた、今回の三日月の恋の小松女院の慰霊のお祭りを心から楽しみにしてらっしゃたことを想い、つらく悲しく、心から楽しめないかもしれないけれども、頌子さんの魂とともに、最後まで旅を続けることもご供養になり、頌子さんも喜ばれるのではないかと言う話もしました。そして1人も欠けることなく、予定通り旅を続けることを皆さんで了解しました。
僕と森下さんが病院に残り、親族の方をお待ちし、状況をご説明して、頌子さんをお渡しした後、小国の金子さんに車で送っていただき皆さんを追いかけました。
皆さんは予定通り大分県玖珠町に入り、今回のツアーにとても力になってくださった駅前の[CD屋アサダ]さんに立ち寄りました。「三日月の恋」が流れ、関島秀樹コーナーまで作っていただきました。



街中には金太郎や桃太郎像があり、《童話の里》と言われています。と言うのも“日本のアンデルセン”と言われる児童文学者で「夕やけ小やけ」の作詞者でもある[久留島武彦]の出身地で記念館があります。わらべの館もあります。お昼は古い町並みにある、その名も[金太郎]と言う味のある、店内には懐かしいものや、可愛い手作りのものがいっぱい並んでいる食堂でおいしい食事をいただきました。









ここは[豊後森]と言う駅で、鉄道ファンには見逃せない大きな《操車場跡》とSLも残されています。豊後森鉄道ミュージアムに行き、玖珠と小国を結んでいた「宮原線」のお話などを河野さんから説明していただきました。







それから[ハ鹿(やつしか)酒造]という造り酒屋に立ち寄りました。ここでようやく皆さんと合流できました。おいしい日本酒を試飲させていただき、小国では[河津酒造]の“一本〆”を早速買われた頌子さんだったら、また美味しい地酒を見つけて買っていかれただろうな〜と思いました。僕は名前に惹かれて“銀座のすずめ”という焼酎を手に入れました。



明るいうちに大名行列 御幸神が町中をねり歩きます。雨も上がり月も出て、神事が始まりました。相撲大会、手作りの芝居小屋も出来上がり、子供たちの鐘と太鼓の演奏、地元の方たちが登場する名物の素人芝居も大受けです。屋台が並び子供たちから若者も帰ってきて、お年寄りまで、瀧神社の秋の大祭は伝統を引き継ぎ、故郷を大切に守り感じる素晴らしいお祭りでした。

















われわれは、一足早く宿泊のロッジでバーベキューを始めました。杵築からのお客様5人を加え、小国の金子さん、玖珠町の役場の方、『鏡ヶ池物語』を本にまとめられた小田菊美さんと鞍馬スミ子さんも加わり、嵐山瀧神社の穴井宮司さんも駆けつけてくださり、その上ロッジの方のご好意でゆっくりお風呂にも入れました。家具屋のの梶原さんには、準備の段階からずいぶんお世話になり、この日も地元のお米でおいしいおにぎりも作っていただき、 食べ切れないほどの肉とご馳走です。朝倉浩平玖珠町長からの地元の絶品のお酒の差し入れもあり、お酒も飲み放題です。
まずは“頌子さんへの献杯”で始まりました。悲しさも寂しさも悔しさも後悔も… 、この巡り合わせも運命も全部引き受けて、だんだん冷えていく夜に、バーベキューの火にあたりながら、心だけは暖かく、皆、あなたのことを思っていました… 。