2015年5月31日日曜日

【 これやこの 行くも帰るも別れては… 】~ 蝉丸神社に御巻物を戴く ~

京の都と近江の国境にある[逢坂山]に鎮座する【関蝉丸神社】は882年に創建され、上社に猿田彦命、下社に豊玉姫命を祀ってある。琵琶の名手で歌人の[蝉丸法師]は両社にに合祀されている。『これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも 逢坂の関』と小倉百人一首に詠まれた歌はあまりにも有名である。(もともとは、“行くも帰るも 別れつつ… ”と詠まれた)歌舞音曲・芸能の祖神は江戸時代諸国の芸人を統括していたことから、この神社から免許を受け、【御巻物】をいただくことで、身元や営業を保証されていたと言う。
《デビュー36年目に僕もやっとその免許をいただくことができました》。今も芸能関係者の方もちょくちょくお参りに来られてるそうですが、社殿などが老朽化し維持するのも大変だということで、地元の皆さんが力を合わせてこの第1回目の芸能祭が開催されたと言うことです。僕もその前の道は何百回と通っているのですが全く気がつきませんでした。かわいい京阪電車が鳥居のすぐ前を通り、小さな森に囲まれたのどかな雰囲気の神社です。雨の心配もあったのですが、この日はとても気持ちの良いすばらしい晴天に恵まれ、境内いっぱいあふれんばかりのお客様で賑わいました。重要無形文化財の方や世界的に活躍している方から、江州音頭、大津絵踊りなど地元芸能を広めている方や、十二単装着実演、百人一首、詩吟、箏、尺八、筑前琵琶…昔懐かしい紙芝居、南京玉すだれ、チンドン屋なども登場し、まあ~色とりどりの賑やかな出演者で、5月最後の一日をすっかり堪能しました。これからも町衆の力と賛同してくださる応援の方やお客様のお力添えでこの蝉丸神社芸能祭を始め滋賀県のお祭りや伝統芸能・文化の催しも盛り上がっていくでしょう。近江の国はまだまだ知られざる宝物がいっぱい眠っています。













2015年5月30日土曜日

【 ヒデキの七変化 】

【 ヒデキの七変化 】   〜 友あり 遠方にも 近郊にも… 〜
関島秀樹、2ヶ月に1回の髪メンテナンス。湿気の多い蒸し暑い梅雨を迎えるにあたって…。今、京都と熊本でお世話になっています。本日は20 数年来のお付き合いの京都の[ワカクサ]。いつも斬新な髪型をオーナーの二上さんにお任せしています。さて、今回は…。途中で《金髪》にもなりました。これも悪くないかなぁ〜と…ハハハハ…ちょっとチャライかな? そのうちに小澤征爾さんのようにホワイト・グレイか、かつての坂本龍一さんやビートたけしさんみたいに真っ白になるかもしれません。ハハハハハ。美容室に行くと気分が変わります。髪型を変えると生まれ変わったような気分になります。くよくよしたり、うじうじした時は美容室に限ります。今日の僕がそうだった訳ではありせんが、仕上がった後は気分がスッキリします。鼻歌でも歌いながら京都の街を歩きます。









今日は横須賀から久しぶりに友人が訪ねて来てくれました。有名な[三島亭]で絶品の〈すき焼き〉をいただきました。土曜日の三条通りは大変な賑わいでした。久しぶりの、車ではなく電車で訪ねた京都の街は、ずいぶん新しい店が増えて輝いていました。これも今年初めて、木屋町にある[龍馬]にふらりと立ち寄りました。行けば偶然に懐かしい友に会えます。高瀬川を挟んで、これも休んでいるままのライブハウス[わからんや]へも顔を出してみました。オーナーの池野さんもマスターの島ちゃんも元気でした。今年に入って初めて伺いました。ほんとに皆さんとご無沙汰、失礼ばかりです。また秋から、そろそろマンスリーライブも始めましょうか…。あんまり休んでいるとライブ勘も鈍ります。


レコーディングを続けている「スタジオBOSCO]でラジオの番組を録音しました。オンエアーは6月の2日、21時15分〜です。ネットで世界中で聞けるそうです。明日は、小倉百人一首にも登場する滋賀と京都の県境にある[蝉丸神社]の芸能祭で歌います。
やっぱり僕は歌ってる時が1番幸せみたいです。健康にも1番です!外に出るといろんな出逢いもあります。僕の青春時代の一時期、バイブルだった[寺山修司]の《書を捨てよ!いやパソコン、テレビ、ゲーム、カビ臭い部屋を出て… 町へ出よう!》だね❗️


▼“Radio BOSCO”(ラジオボスコ)出演
6/2火曜日21:00~(同日24:00〜再放送)
放送はラジオカフェ(FM 79.7MHz)
*ラジオカフェの放送エリアは京都市内です。
 建物の条件により入りにくい場合があります。

「ラジオボスコ」番組ページ
http://radiocafe.jp/20130705/?intro=1

インターネットやスマートフォンでも
全世界からお聞きいただけます。
http://radiocafe.jp/

インターネットでのラジオカフェの聴き方
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2015年5月29日金曜日

【 この方達の様々な人生に 乾杯❗】

【 この方達の様々な人生に 乾杯】〜 いろいろあったさァーでもここまで生きてきたよ 〜
滋賀県にあるケアハウスでのコンサートでした。日本人が長寿になり、どこへ行ってもお年寄りがたくさんらっしゃいます。このような施設がどんどん必要になり増えていっています。戦後70年。70歳以上の方は大正、昭和の戦前生まれの方です。太平洋戦争を何らかの形で経験された方ばかりです。自分の思い通りの人生は生きられなかったでしょう。大切な人やものを失い、ずっと心の奥底にしまって歩いてこられた方もいらっしゃるでしょう。平和だったらまた違う人生があったはずです。しかし、人生に“たら”、“れば”はありません。これがその人の歩いてきた人生なのです。皆さんの笑顔がつかの間、心をほっとさせます。人生の終焉はせめて穏やかに、日々を楽しく過ごされてほしいと願うばかりです。老後をどう心地よく過ごすかの課題はまだ始まったばかりです。僕もそのうち、すぐ仲間入りです。
個人の自由が尊重され、様々な個性的な生き方、価値観を選べる時代に、結婚が1番良い選択とは言いきれないが、《よく学びよく遊び、夢や目的を持ち、一生懸命努力をしてそれを目指し、精一杯仕事をし、素晴らしい出会いを経て結婚し、家庭を築き子供を産み育てる…》 。そんな夢のような、ひと世代前は当たり前だったことを望むのはもうナンセンスなのだろうか…。いまやそれは封建的で、押しつけがましく、時代おくれなのだろうか…。僕はとっても素敵だと思うんだけれども…。それとも望んでてもなかなか実現できないんだろうか…。今抱えている日本の大きな問題が、ずいぶん解決される気がするんだけれども…。やっぱり独善的かなあ…







2015年5月26日火曜日

【 気の早い 夏がゆく 】〜 緑と青の眩しい出会い 〜

 こんな時は何をするのが1番いいだろう? 体を動かしたいと思うし、ちょっと車でドライブもいいかなあ〜。前から行きたかった場所にふらりと出かけてみるのもいいかもしれない。結局、琵琶湖と森を眺めながら、涼しい風に吹かれて、音楽を聴きながらコーヒーを飲んでいる。至福のひとときだ。あとどれだけこんな日を過ごすことができるだろうか…。
今、ここから車で5分のところにある[スタジオBOSCO]で新しいレコーディングを進めている。21年前に、そこで初めてのCD『愛する人の住む街へ』を制作した。それまではレコードとカセットテープしかなかった。CDというものの新しい時代の幕開けに、ワクワクして音作りをしていたのを昨日のことのように思い出す。それからシンセサイザーも進歩し、レコーディングもデジタル化して、なんでもパソコンで簡単に、安易に、豪華に、上手にできる便利な世界になってしまった。僕のCD制作もその流れに沿ってここまで来たような気がする。それはそれでよかったと思う。しかしこの間、僕のライブのほうは一方でどんどんシンプルになって行った。ギター1本の弾き語り、更には音響を使わないアンプラグドのライブ。アカベラの歌、お客さんの数に関係なく10数年以上続けてきたマンスリーライブなど… 。その結果、そぎ落とされ、最後に残ったのは僕の〈生の声と生の歌での表現〉だった。この間20年が過ぎていった。これこそが僕の歌だ。僕が歌うことの、存在することの意味だ。ようやく自分の歌の表現と言うものが見えてきた気がする。歌の楽しみが少しわかってきたような気がする。その分、なんて歌は多彩で、様々な表情があって、果てしなく難しいのだろうということをしみじみ感じている。まだまだ僕は多分その2〜3合目あたりにいて、見上げると頂上は雲に隠れて全く見えない。僕は何て幸せなんだろう。まだまだ進むべき目標がたくさん残っているのだ。新しい発見や感動や達成感を感じる余地がいっぱいあるのだ。
休息もいいかげん、そろそろにしなければいけない。秋から再スタートをしようと考えている… 今制作中の、《今までの僕の歌の人生最高のアルバム》を持って…



2015年5月25日月曜日

【いま 生きている 実感と幸せを… 】~ 新緑の山側のヒデキのデッキ ~

 初夏のような、それでいて湿度が低くて爽やかな天気が続いている五月…。シリアのような空爆や殺戮に怯えることも、ロヒンギャのように国籍を持てず難民として漂流することもなく、言いたいことを言えて、自由に行動でき、餓死することもなく、努力して頑張ればそれなりの評価を得ることができる…。こんなありがたい暮らしができる国に生まれて、本当に幸せだと思う。人は国や親を選べない。
昨年亡くなった、僕の大好きな俳優〈ロビンウィリアムズ〉が助演男優賞を獲得した「グッドウィルハンティング」の監督の作品の『永遠の僕たち』という映画を見た。両親を交通事故で亡くした少年と余命3ヶ月と宣告された難病の少女との純粋な《愛》と《生》を正面から見つめる物語だった。人間の永遠のテーマだ。なぜかそこに、亡霊として日本の[神風特攻隊]で命を落とした若者が2人の理解者として登場する。戦争の不条理、原子爆弾、愛する人のために命をかけられるか? 突然途切れる命と少しずつ近づいていく死への恐怖と、大切な人との別れと、生きていられる人間の務めと果たすべき責任と…
誰もが戦争はしたくない。人は傷つけたくない。穏やかな平和な暮らしを求めている。でもそれは、黙ってて与えられるものではない。限られた地球上で、様々な価値観の人間たちがそれぞれの幸せを求めて奪い合う。悲しいかなその解決には、平和的なものだけでは済まされない人間の性がある。その日が来るまで、いったいどれだけの血が流されるのだろうか… 。子供たち孫たち、その先の時代には《ほんとうの平和な日》が訪れるだろうか…。
 裏庭には、しょっちゅう山の住人たちが遊びに来る。彼らもここに生きているのだ…


2015年5月23日土曜日

【 親子デュエット 】〜『君待つびわ湖』の発表会 〜

 今回は、滋賀の地元にお住まいのお二人の方が作られた曲をCDにしました。伊澤さんと山本さんという女性お二人のコンビでの作品です。僕も今までいくつかの人の曲をレコーディングしました。でも作詞も作曲も自分が手がけなかったのは今回が初めてです。歌を歌っただけです。滋賀の名勝、名産があちこちにちりばめられた純粋な恋の歌です。男と女の言葉のやりとりなので、デュエットになりました。これまた初めての経験です。恋愛の対象になる2人なので、本当はもっと年が近づいてないといけないのですが、親子ほどの歳の差になってしまいました。お相手の《宇野ひと美さん》はただいま滋賀で売り出し中の才能豊かな女性です。[ミス着物の女王]でスタイルも抜群。[詩音]と言う女性デュオでデビュー。最近CDを発売しコマーシャルとしても流される予定です。司会もこなし、現在映画の主役で撮影を続けています。地元〈草津〉では着物を広める会を主宰していらっしゃいます。宇野さんには大変申し訳ないことをしました。これからいくらでも可能性の広がる女性とデュエットすることができて、僕はなんと幸せな“おじさん”でしょう。ははははは… 今日の発表記念コンサート。表情が崩れっばなしです。“情けない”‼️





2015年5月17日日曜日

【 人生の分岐点 】〜 もしあの時違う道を選んでいたら 〜

【 人生の分岐点 】〜 もしあの時違う道を選んでいたら 〜
 60年なんてあっという間だった。“10年は一ひと昔…”井上陽水の名曲『夏祭り』がある。今は“20年はひと昔…”と言う気がする。それだけ加速度的に早く進んだ感覚がある。もしあの時に…”なんて考えたらキリがない。『アナザーストーリーズ』と言うNHK BSの番組がある。これは[別の人生]と言うよりも、知らされなかった違う視点からその現象を見ると、[別の物語]が見えるという番組だ。だから、1人の人間が“もしあの時違う道を選んでいたら”と言う話とはちょっと違うが、それぞれの人生は全く無関係のようで、複雑に絡み合って、影響しあっていて、どこかでつながっていると言うような意味合いでは共通するところがありとても興味深い。
僕の人生の[ターニングポイント]はいくつかあった。最初の大きなものは高校に入学した1年生のクラスだったと思う。担任の【小山桂一先生】との出逢いがなければ僕はこ音楽の道を歩まなかったかもしれない。美術の先生で、物事をこだわらずいろんな角度から自由な発想見ることのできる人だった。具体的な言葉は何一つ正確には覚えてはいないが、自分の好きなこと見つけて、やりたいことをとことんやれ!““失敗を恐れるな!”“何をやっても恥ずかしい事は無い、周りを気にするな!”友達を大事にしろ!”そんなことを教えられたような気がしている。とにかく個性を一番に大切にする人で、《俺はこれでいいんだ❗️》と安心して自分自身を好きになることができた。毎週月曜日の一限目のホームルームで、クラス皆んなで歌を歌う事が、僕の音楽の道を選ぶ入り口となった。夏休みに熊本で「五つの赤い風船」のコンサートがあった。当時は生徒だけで行けなかったので、先生がついてきてくれた思い出がある。《先生は生徒の人生に大きな影響を与える何かを残してくれるものだ》子供が最初に長く接する、人生を先に経験した大人だからだ。まあ、いろんな先生がいるが、知識を教えるだけじゃないのだ。だから僕は先生にもなりたいと思った。
今週のアナザーストーリーズは、29年前チャレンジャー事故で亡くなった、高校の先生の女性宇宙飛行士の話だった。[宇宙からの授業]夢だった。《リスクを負ってでも夢を追い続ける》彼女の思いはたくさんの子供たち人生に影響を与えた。《先生は子供たちに未来を、人生への希望を、可能性を教えるのだ》。









 [玉名高校芸能部]の僕は、今回も[北九州支部同窓会]に呼んでいただき歌を歌った。《懐かしい学生時代を思い出し、少しでも同窓会を楽しんでもらえるために…》。それが、僕の今の人生へ導いてくれた、ささやかな〈玉名高校への恩返し〉のつもりです。今年は関西支部、熊本白亜会へもお邪魔します。




(オマケ)九州からの帰りの電車の中で【フォークの神様 岡林信康】さんとばったり出会ってしまった。在来線の茨木から乗り込んで京都で降りた岡林さんは、ギターを抱え、静かで目立たず普通のおじさんに見えて、気付く人は誰もいなかったようだが、初めて生で見る僕はフォーク少年に戻ったようで、ドキドキして、写真も撮りたくてもとれなくて、話しかけるなんてとんでもなくて、やっぱり岡林信康さんは僕らの神様で、燦然と光輝いていました。『僕は45年前あなたの歌を聴いて何度も心を熱くしたんです‼️』『あなたは僕の人生に大きな影響与えたんです‼️』そう叫びたい衝動に駆られた夜でした… 人生は味わい深いなぁ…

2015年5月14日木曜日

【 人は人生に何を残すのだろう 】~ 人生 最良の日を無事終えて… ~

【 人は人生に何を残すのだろう 】~ 人生 最良の日を無事終えて… ~
 宮中[春秋の間]での《天皇陛下叙勲拝謁》を無事終え故郷に帰りました。両親にとっては思いもかけない最高の人生賛美を頂きました。共に昭和3年、昭和天皇[御大典]の年に生まれ、大戦を乗り越え戦後70年、昭和の激動を生き抜いた人生です。同じような苦労をされた同世代の皆さんの分を代表として頂いたものです。自分の足で歩いて行くことが出来る元気なうちに、天皇陛下の生のお声を目の前で拝聴出来て、昭和生まれの両親としては、これ以上の喜びはなく、母などは直視できず下を向いたまま感激で涙がこぼれたという。付き添いの僕は、隣の間で15分ほど待つことになったが、お正月の一般参賀の時、天皇皇后両陛下以下宮家の方々が手を振られるガラス張りの[長和殿]の長い廊下を歩かせて頂き、春秋の間にもちょとの間入らせて頂いた。厳かな身の引き締まる時間を体験することができた。もう二度とないなあ。
 前日の宿泊は学士会館。古きよき時代の重厚な建築。旧帝国大学の出身者の親睦と交流を目的とした歴史ある素晴らしい建物です。またここは日本野球発祥の地でもある。明日の拝謁を前に、今夜は館内にある[紅楼夢]で祝杯。偶然にもこの建物は両親の生まれた《昭和3年》に建築されていると聞いびっくり。さらに母の荒尾でも幼馴染あり法学会で大変な功績のある【松尾浩也さん】がこの1月までここの理事長をされていたと聞いて、これまためぐり合わせの妙に恐ろしささえ感じてしまいました。早速お電話を入れこの偶然を松尾さんにお伝えしました。なんとまぁ人生は面白く回っているんでしょう。
 よく“富も名誉も要らない”と言う。健康な体さえがあれば…。でも、充実した毎日が欲しいなあ~。打ち込める何かが欲しいなあ~。糧になる夢があればなあ~。理解してくれる人がいてくれたらなあ~。誰かに認めて欲しいよね。たまにはちょとした贅沢を!素敵なパートナー、ドキドキする毎日、自慢の子、かわいい孫、若々しい体…。人間の欲は果てしない。でもそれが意欲、目標、夢、生きる《エネルギーの源》だろう。誰かのために…何かのために…何かを捧げる…誰かの喜ぶ顔が見たいから…自分を捨てる人もいる。だけどどんな道を歩いたとしても、最後は、自分の人生《これでよかった… 幸せだったよ…》そう言って終えられたらいいよなあ~ それがいい人生なんだろうなあ~ 何かがあっても、なくっても…