2017年5月27日土曜日

【 琵琶湖に架け橋がかかりました 】~ 湖岸に架かる橋板のねがい ~

【 琵琶湖に架け橋がかかりました 】~ 湖岸に架かる橋板のねがい ~
水の都滋賀県の新しい文化の再スタートです。水道が普及する前の湖西地域の湖岸では、“橋板” と呼ばれる3メートルから5メートル位の木の板が琵琶湖にかけられていました。そこでは、野菜を洗ったり食器を洗ったり水を汲んだりして、日常生活の1部となっていました。命の水の琵琶湖の水質を守るための様々な決まり事があり、琵琶湖を汚すようなものは決して流さなかったのです。今では必要とされなくなった“橋板”の、しかし、だからこそ、今に伝える大切なメッセージを残すためにあえて復活したのです。〔橋板文化を復活させる会]の皆さんと今年出会うまではこの存在を僕も知りませんでした。地元の方でも知っている方はごく少なくなりました。高島市針江地区に残る、豊富な湧水を生活の中で大切に使い、きれいな水を琵琶湖に流す、生水(しょうず)の川端(かばた)の存在はよく知られています。それと同じ様に、ここ、特に堅田から今津あたりの湖岸では、遠い昔から琵琶湖の水を大切に守って暮らしてきました。環境の大切さ、自然への感謝の気持ちを未来へ、世界へ伝えるために“橋板”を復活させ、それを広げるために『橋板のねがい』を作り本日ここで発表しました。まずは、今年誕生100年目を迎える『琵琶湖周航の歌』を皆さんと一緒に歌いました。このプロジェクトの中心的存在の[嘉田由紀子]さんも絣の衣装がお似合いです。すばらしい声で、初デュエットも実現しました。地元の方を中心に、手作りの橋板復活の会となり、大学の先生や地元の方の“橋板談義”も楽しく、ためになりました。6月28日の〈琵琶湖周航の歌誕生100周年〉に合わせて、ニューアルバム【故郷を抱きしめて】を発売します。その中の1曲としてこの【橋板のねがい】も急遽収録することが決まりました












2017年5月22日月曜日

【 キャラバン隊~また会う日まで!】~ 今日は一日 玉名三昧 ~

【 キャラバン隊~また会う日まで!】~ 今日は一日 玉名三昧 ~
5月19日から始まった《稲むらの火キャラバン》が本日22日無事に終了しました。熊本でどれだけの種が蒔けたでしょうか ? 被災地の方たちに、少しは安らぎのひとときと元気を差し上げることができたでしょうか? 子供たちの心に何か温かいものを残せたでしょうか?
全くのボランティアで来て下さった5人のメンバーの八木さん、有働さん、小澤さん、丹羽さん、和気さん! 本当にありがとうございました。
今日は午前中に[玉名ルーテル幼稚園]の90人の子供たちと約30人の大人のみなさんと楽しい時間を過ごしました。とても純粋で積極的な明るい、そして行儀の良いしっかりした子供たちでした。大人になってからはほとんど覚えていませんが、この頃の過ごし方、見て、聞いて五感で刺激を受けたもの、環境、人との接し方、親や兄弟との関係が将来にとても大切だと思います。[中島園長ご夫妻]、[上村副園長先生]他職員の皆様、どうもありがとうございました。近くの高瀬裏川の花菖蒲もちらほらきれいに花を開かせていました。来週からは“菖蒲まつり”ですね。菊池川沿いにたくさんののぼりがはためいていました。キャラバン隊の皆さんとは[新玉名駅]でお別れです。





















近くの高瀬裏川の花菖蒲もちらほらきれいに花を開かせていました。来週からは“菖蒲まつり”ですね。菊池川沿いにたくさんののぼりがはためいていました。キャラバン隊の皆さんとは[新玉名駅]でお別れです。



一方“司ロイヤルホテル”では、玉高珊瑚会の喜寿の皆さんの同窓会が開かれていました。僕も呼んでいただき、歌を歌い、皆さんと懐かしい話で盛り上がりました。昨日は、天水の“草枕温泉”。今日は玉名温泉“つかさの湯” と温泉三昧。その後は、高校時代毎日[荒尾]から汽車通学で使っていた[玉名駅]で、今でも胸がキュンとする玉高のセーラー服姿の女子生徒たちと、詰襟の玉高生を頼もしく『つい この前だったのにな~と』眺めながら、77歳の先輩たちを上り下りと見送りました。『次は傘寿たい!』とそれぞれに分かれて行く皆さん、楽しそうなお顔でした。『僕のあと15年後の姿です… 。人生 あっという間だなぁ〜。“命短し恋せよ乙女… ” “我が人生に悔いなし!” と生きたいものです』まぁ~ 今日は一日《玉名三昧》。青春が甦る1日となりました。



2017年5月21日日曜日

【 宮本武蔵に導かれて 】に~ 金峰山を越えて 熊本城から阿蘇へ ~

【 宮本武蔵に導かれて 】に~ 金峰山を越えて 熊本城から阿蘇へ ~
 57歳のときに細川忠利に客分として招かれ、ここ金峰山の霊巌洞で『五輪書』を書いた。その武蔵が熊本の千葉城(熊本城のルーツの城の跡の地名)で亡くなった日が1645年の5月19日、2日前だったのだ。今の僕と同じ62歳だと言う。『熊本城に行くのだったら俺のところに挨拶に来い!』とでも思っているのかもしれない。何気なく通った僕の好きな熊本の観光ルートで、時間があったのでキャラバン隊を案内して立ち寄りました。武蔵は熊本市内の武蔵塚に眠っています。
その後にできた城が隈本城で、それをさらに大きく強固にしてできたのが今の熊本城です。加藤清正が“熊”の方が強そうだと言うことでこの字を当でたらしい。石垣へのこだわりといい、土木建築、治水など[加藤清正]はすごい男です。







 今日は熊本地震で大きな被害のあった西原村の仮設住宅にお邪魔しました。小森仮設団地は約300世帯900人の方が不自由な生活を続けられています。今日は西原中学校の運動会でもありました。日曜日でいろんな用事のあるそんな中、“みんなの家(集会所)”にたくさん集まってくださいました。子供達は出たり入ったりでしたが、まっすぐな目で楽しんでくれたと思います。千葉城町にあるNHK熊本放送局を建てたという数々の表彰を受けられた宮大工さんも、立派な家が全壊。今は更地になって、ご夫婦で仮設暮らしです。同じく全壊しテント暮らしの古庄さんからは、西原村名物の“から芋”をいっぱいいただきました。ここにはいろんな方が、一年ちょっと前までは想像もしなかった『な〜んも ナカです❗️体 いっちょです! しょんなかですたい❗️』と言いながらも頑張って暮らしてらっしゃいます。おじいちゃんも最後は手拍子をして笑ってくれました。束の間、この時、一期一会のひと時を過ごすことができました。お世話してくれた、小島さん、睦美さんありがとうございました。帰りに仮設のお宅に招かれてお母さんの手作りののっぺ汁をごちそうになりました。西原村の皆さんこれからもどうぞお元気で!またお会いしましょう。