2017年3月31日金曜日

【 清く 優しく 堂々と…まっすぐに生きて行きたい 】〜 龍馬暗殺から150年〜

【 清く 優しく 堂々と…まっすぐに生きて行きたい 】〜 龍馬暗殺から150年〜
[坂本龍馬夢ライブ]は、毎月京都伏見の[龍馬館]で行っています。大手筋商店街から、納屋町通りを抜け、竜馬通り商店街の一角にあります。今夜の打ち上げは時々お邪魔する食堂[富士]です。ご主人は宮崎の都城出身、奥さんは昔ダンサーです。今夜は打ち上げで若者と盛り上がり、Tシャツにサインを書きました(3/23)。








110回目の次回5月13日は、お昼開催です。ライブが終わってから近くを散策し、懇親会をしたいと思います。おいしい酒蔵がたくさんあります❗️
“スポーツマンシップにのっとり 正々堂々と戦うことを誓います!” [侍ジャパン][稀勢の里][サムライブルー] 春の選抜高校野球は大阪同士の決勝戦となりました。秀岳館(前身は 熊本の八代一高)も大健闘のベスト4でした。スポーツはたくさんの感動を与えてくれ、人生を教えてくれます。勝ちを目指してやるのですが、勝てばいいと言うものでもない。勝った後の態度が大切です。ひけらかすものではないと思います。(プロのパフォーマンスは別として)負けて学ぶものもたくさんあります。負けた後の態度がさらに大事です。勝負は負けることの方が多いわけですから…。「勝てばいい」「勝つためには手段を選ばない」「うけたらいいんでしょう」「売れたらいいんでしょう」「儲かるためには…」と言う風潮が普通に受け止められる。人生でも、商売でも、政治でも、人間関係でも…。目的のためにはと…。「卑怯者!」「恥を知れ!」「男として恥ずかしくないのか!」「みっともない!」「親に、ご先祖様に顔向けができない」「お天道様に、世間様に恥ずかしい」「嘘をつくな!」「ごまかすな!」「人を悲しませるな!」「女の子には優しくしろ!」「お年寄りを大切にしろ」「孝行したいときには親は無し」「人に頭を下げるようなことをするな」「強きを挫き弱気を助く」… 説教臭くなるからもうやめましょう。でも昔は親や先生、年上の人にしょっちゅう言われ、人情、青春ドラマにはよく使われた言葉でした。勧善懲悪の鞍馬天狗や月光仮面…の物語。三益愛子の母子もの。そんなものに教えられ、影響を受けたものでした。もうそんな言葉をあまりきかなくなりました。嘘っぽいんでしょうか ? 時代に合わないのでしょうか ?必要がなくなったんでしょうか ? いや、今こそ、こんな声をかけたい人が増えてきたような気がします。
《 さぁ明日から4月です。新年度が始まります。お天道様に恥ずかしくないように歩いていきましょう。》

▼龍馬館ライブの詳細はこちら・・
https://www.facebook.com/events/188460071642455/

2017年3月29日水曜日

【 浜松には 花と笑顔がいっぱい! 】〜 16年前にはこんな未来は想像できませんでした 〜

【 浜松には 花と笑顔がいっぱい! 】〜 16年前にはこんな未来は想像できませんでした 〜
年に1回、桜の季節に開いている“桜ライブ”です。《2001年の4月10日》に荘川桜の木の下での運命の出逢いが、この物語の始まりでした。
菓商“まる川”の二代目主人1⃣[川井敬夫]さんはたまたま大好きな荘川桜を見に、バイクを飛ばして浜松から来てらっしゃいました。
僕は歌を作るために、この話を持ちかけてくだった2⃣【辻田宣子】さんと3⃣【山下さつき】さんと初めて御母衣ダムに立ち寄った一瞬のお引き合わせでした。それがきっかけで、2005年4月3日から今日が12回目のライブとなりました。(さくら道のバスツアーは2002年〜2014年まで13回続きました)北浜中学校には荘川桜の子供が育っています。
昭和46年当時、輪島の河井小学校の校長先生をされていた4⃣[平松幹雄]さんのご縁です。桜を植え続けたバスの車掌5⃣【佐藤良二】さんのお姉さん6⃣【尾藤てる】さんとの付き合いの深かった、浜北の7⃣[三海昭治]さんが縁つないでくださいました。8⃣その後の紹介でみかん農家の9⃣[渡辺きくよ]さん(熊本出身)が、選果場でコンサートを開いて下さいました。
そこにいらしたのが“佐藤幼稚園”の1⃣0⃣[山本雅乙、みち代]さんご夫妻です。子供たちが走り回る“冒険の森”には木々や草花があふれていました。雅乙さんの遺影の横には、1⃣1⃣【坂村真民】さんの“念ずれば花開く”の言葉掲げられていました。みち代さんのグループとは、僕の姉1⃣2⃣【You子】との古いお付き合いの1⃣3⃣【瀧下むつ子、白峰】さんご夫婦と、昨年大船渡でチャリティーイベントを開いてきました。”絵手紙”で南阿蘇の1⃣4⃣【大野勝彦】さんともつながりがありました。
川井さんは、昨年“大槌保育園”で和菓子教室を開いて、おいしい和菓子を振舞われました。9人の園児が津波で亡くなりました。そのことを知って『大槌の子』と言う詩を作られ、今回はそれに僕がメロディーつけて皆さん披露こととなりました。大槌の皆さんはとても喜ばれ、今年7月末にまた大槌に行かれます。僕もできたら同行したいと思っています。この橋渡しをされたのが、今は南伊豆町に住む1⃣5⃣【成島進、直美】先生ご夫妻です。15年ほど前、静岡市で行った“防災啓発イベント”で偶然出会いました。そこで出会った… もう今日はこの辺でやめておきましょう。状況がわからない方にはちんぷんかんぷんだったかもしれません。よくここまで読み続けてくださいました。このような“大河の一滴”ようなご縁が、ずっと僕の人生を形作ってくれています。これはほんの1つの物語です。こんな信じられない出逢いがいくつもありますが、ひょっとしたら誰かが、何かが、この不思議な“糸“つないでくれているのかもしれません。
今年はその荘川桜に 3年ぶりに会いに行きます。どんな顔をして待っていてくれるでしょうか…




















2017年3月26日日曜日

【 “紙風船”20周年 おめでとう❗️】〜 ずっと“風を下さい” 〜

【 “紙風船”20周年 おめでとう❗️】〜 ずっと“風を下さい” 〜
名古屋の[港養護学校]の生徒たちと愛情と情熱の塊[南寿樹先生]が始めた人形劇の物語です。重度の身体障がいの子供たちに、自分たちの可能性と生きてきた意味を感じさせることが始まりだったそうです。「体がわずか3センチしか動かない…」➡️「人形劇なんてできるはずがない」ではなく、「3センチでも動くじゃないか」➡️「だったらそんな人形を私が作ってやる!」人形劇制作と演出の [おばらしげるさん]の理解と後押しがありました。彼らの前には《フレッシュ》と言う先輩の人形劇団があり、彼らも今も活動を続けています。彼らの経験と導きも大きかったと思います。そして、その当時の安田海上火災(のちの損保ジャパン)の応援と、当時の担当者[児島正]さんのあたたかい愛情は今も続いています(現在はNPO法人 愛実の会 の中で活動しています)。僕が出会ったのも結成間もない頃で、彼らの情熱と純粋さんに感動して応援歌[風を下さい](1999年)をプレゼントしました。それからまもなく念願だったフランスでの人形劇上演(2000年)も実現したのです。岡山や、滋賀にも来てくれました。昨年は被災地の仙台でもチャリティー公演を一緒にしました。今まで200回を超える公演をしてきました。彼らが舞台に上がって、何かを演じているだけでお客さんに生きる勇気と感動と希望与えています。彼らは“もの凄いこと”をやっているのです。体が硬直していく、声が出にくくなる、セリフを覚えるのも大変… そんなことをおくびにも出さず、とにかく彼らはくよくよせず前向きで元気で明るい

❗️
























公演後の懇親会でも笑いが絶えません。もちろん感動の涙もありました。今回は〈熊本地震復興支援チャリティー〉でもあり、会場いっぱいのお客様から多くの募金を頂戴しました。本当にありがとうございました。






親御さんを始め、ご家族の支えはもちろんのこと、車椅子を操るアシスタント、ボランティアサポーター、応援する皆さんのおかげで、彼らはまた新しい夢に向かって頑張っています。これからも紙風船の活動にたくさんの風を送ってください。もっと遠くへ羽ばたいて行きます。