2014年10月31日金曜日

【 30年来の ラジオでのお付き合い 】 〜 僕が京都に来た訳 …〜

今日は、京都のKBS京都ラジオの生出演でした。パーソナリティは30年前に一緒に番組をやっていた、塩見祐子さん。京都・滋賀では知らん人はおらんくらい超有名なベテランアナウンサーです。テレビの長寿番組『比叡の光』は世界でも放送されています。35年前、新番組のオーディションにたまたま関西に仕事で来てたついでに、冗談半分に受けたら、決まってしまって、それから東京から通って来るようになった。1984年スタートの『パンプキンスクエアー』という音楽情報番組。それをきっかけにどんどん仕事が増え、とうとう京都にも部屋を借り、本拠地を関西に移すことになった。『鈴木くにおの家内安全』〜『松山英太郎の江戸組参上』ー『阿部牧郎・中村鋭一の話のターミナル』〜『関島秀樹の風のアルペジオ』ー【関島秀樹の言わせてもらえば』〜『JRAターフジョッキー』… 年に一度の交通遺児へのチャリティー番組『かたつむり大作戦』では、メインパーソナリティの長門裕之、南田洋子さんご夫妻とも7年ほどご一緒させていただいた。とにかく、たくさんの経験をさせて頂き、多くの方と出逢い、僕の今ある基盤を作らせていただいた場所が 【 KBS京都 】で、人生を変えてくれた町が【 京都 】です。本当にお世話になりました。おかげさまで35年続けております。リスナー、ファン、スタッフの皆みなさん、僕を育てて下さってありがとうございました。
そんなリスナーの一人から27〜8年ぶりにお便りがありました。一方Facebookへはなんと【 関島秀樹 】さんからのアクセス…⁇⁇…思い出しました。当時、彦根の女性で『長野に住む甥っ子に同性同名の関島秀樹と言う中学生がいます。』とお便りをいただきました。Facebookへは、成長し、趣味でバンドをやっている【関島秀樹】さんから…『実家の周りには関島姓がたくさんのありますよ』とのこと。長い間ベールに包まれていた【 関島秀樹の父方のルーツ 】がいよいよ解明される時が来たのかもしれません。ジャジャーン…『この結末や 如何に!…』つづきはまた来週… ごきげんよう… 【 還暦まであと3日…】





2014年10月29日水曜日

【 羽川英樹と関島秀樹の“Wのヒデキ ”】 ~ 名付け親は 羽川さんですから… ハハハ…~

久しぶりに京都のKBS京都ラジオに生出演させていただきました。お誘いは、我が家にも何度か取材で来て下さいました、『ザ・ベストテン』や『24時間テレビ』などで有名なフリー(元読売TV)のアナウンサー羽川英樹さんです。KBS京都は、1984年4月からラジオ・テレビのレポーターやDJとして、素人同然の僕を育ててくれた放送局です。今日は京都御所のすぐ横にある懐かしいスタジオで楽しい会話に花が咲き、11月23日びわ湖ホールでの『デビュー35周年記念コンサート千秋楽』のお知らせをさせていただきました。いつもお世話になりまして、どうもありがとうございました。




2014年10月28日火曜日

【 50代最後のワンマンライブでした 】 〜 “わからんや ”ライブあと2回… 〜

1984年から30年間、約300回ほど続けてきた「どん底ハウス」〜「アザーサイド」〜「わからんや」のワンマンライブもいよいよ残すところあと2回となりました。京都にあるこのライブハウスは、僕が世界で一番歌ったライブハウスです。デビュー5年目、東京から京都のKBS京都という放送局で仕事を始めるようになってから、まだまだ弾き語りのソロライブも慣れていない駆け出しの僕を育ててくれた店です。一番少ない時のお客さんは2人。途中から「ライブをやめて一緒に飲みましょう!」と言うことになり、最初で最後のそんなこともありました。「どんなことがあっても取りあえず続けていきましょう」ということでお店の方にもわがままを聞いてもらい、随分ご迷惑もかけました。台風が来ても、大雪が降っても、体調が悪くても、とにかく一度も中止することもなく、ここまで続けてくることができました『池野さん!島ちゃん!たくさんの人と出会え、感動と思い出をいっぱいいただきました。本当に長い間お世話になりました。どうもありがとうございました。』
今年いっぱいで一度全てのライブを休止するのは、特にこれといって理由があるわけではありません。60歳を迎えて、一度真っさらなり、ゼロに戻って自分自身を振り返ってみたいと思ったからです。体調もすこぶる元気です。心もとても充実しています。少し環境を変えて見つめ直したら、またすぐにライブを再開したいと思います。依頼していただく歌や他の仕事はもちろんそのまま続けていきます。熊本の荒尾高校と南関高校の統合によって生まれた新設校『岱志高校』の校歌の制作や、県人会、スクールコンサート、病院や施設訪問、お祭りなどのイベントも声をかけていただければ喜んで伺います。来年の1月17日は阪神淡路大震災から20周年。3月11日は東日本大震災から四年。これからも災害への啓発や被災地の応援コンサートも続けていきます。まぁ人生折り返し地点に来て、ちょっと一息つきたくなっただけだと思います。そのうちに、すぐうずうずして、ライブを始めたくなると思いますのでどうぞご心配なく。ちょっとだけお待ちくださいませ。どうぞお元気で …ごきげんよう…あっ!あと5日で還暦かあ…






2014年10月26日日曜日

【 第二難関 突破!!】 〜 大阪チャレンジマラソン無事走破 〜

雲1つない秋空のもと、大阪城から御堂筋近辺で、最高に気持ちよかったあ〜。まぁなんてったって、わずか8.8キロメートルだからね。あんまり大きな事は言えませんが…。気温は26度まで上がりチョット暑かったけど、予想タイムの75分を大きく上回る58分で無事“うったおれんで”ゴールできました。あれだけの人が大都会を走ってるわけですから、更に沿道のたくさんの人の応援もあり、ボランティアの方の「頑張ってください!」の声、出場記念のTシャツが2枚、スポーツタオル、完走記念のメダル、証明書、スポーツドリンクにバナナまで…至れり尽くせりのおもてなしを受けて頑張れないはずがありません。皆さんにエネルギーをいっばいいっばいいただきました。この心と体の弾けるようなときめきは走ってみないとわかりません。この先の第3、第4の難関に向かってトレーニングを続けて行きます。全国から集まったランナーのみなさんお疲れ様でした。そして応援していただいたみなさんどうもありがとうございました。
昼からは神戸にて、【神戸熊本県人会】に呼んでいただき、皆さんと一緒に歌い、語らい、からし蓮根に焼酎を飲み交わし、楽しい時間を過ごすことができました。“ほんなこて”ふるさとはよかなぁ〜。同県人と言うだけで、これだけ心が通うんですから…。

朝の大阪城公園駅。ホームから出るのに15分はかかった。 

















STARTの大阪城に続々と集まるランナー

トイレには長蛇の列。 












大阪府庁前のスタートラインにトップランナーA組から順にQ組まで整列。 

スタートは9時だが、実際に走り出せるまでに20分以上かかった。 



森ノ宮~鶴橋~難波と広い道路を颯爽と走る。 

御堂筋をいつもの一方向通行を反対に走る。ゴールまであとわずか。 

チャレンジランのFINISHは淀屋橋の大阪市役所前。

 トレーニングウェアのまま神戸三宮の県人会会場へ...

2014年10月25日土曜日

【 さぁ始まります大阪マラソン 】〜 僕のためのチャレンジコースです 〜

《還暦チャレンジ》の中の一つ。[フルマラソン完走]のまずは手始めの大阪マラソン〝チャレンジラン〟です。今日はその事前受付で、大阪の南港インテックス大阪まで行ってきました。大変な人出、お祭りの前夜祭の様です。マラソン、健康、トレーニング法、テーピング法、ウェア、靴… 、マッサージ、ドリンク、栄養補助食品、それに便乗した関係企業のPRブースや故郷のうまいものの屋台が建ち並び、なぜか、受付に来て、香川県の焼肉弁当と沖縄のソーキそばを食べてしまいました。さすがに明日のことを考えて生ビールは控えましたが、うまいこと乗せられてしまいました。流れは去年の12月、母校〈玉名高校〉でのスクールコンサートに始まります。大先輩のマラソンの父、金栗四三さんを輩出し、一時期は全国高校駅伝大会で優勝したこともある名門玉名高校陸上部に、僕は高校時代に助っ人として予選大会に出場するためのメンバーとして一緒に練習したことがありました。結局出場のメンバーには選ばれませんでしたが、その時に一緒に汗を流したのは、昨年亡くなった級友の西澤強さんでした。玉名高校の資料室にある先輩方の当時の活躍ぶりを目の当たりにし、僕自身も一時は体育の教師を目指し、汗を流し限界まで体を鍛え、母校に教育実習にまで行った若い頃がよみがえってきました。あんなに元気だった友人の死。生徒たちの未来を見つめるキラキラとした眼差し。若い頃の夢だったフルマラソンを走るのは今しかないと決意したわけです。手初めに三月、ふるさと南関町の〈関所マラソン〉3キロに挑戦しました。少しずつ体を慣らしてきました。11月7日には母校の生徒たちと、33キロ〈小岱山一周マラソン〉に参加するつもりです。そして3ヶ月後、来年の2月15日〈熊本城マラソン〉のフルマラソンに初挑戦となります。人生思い通りにはいきません。つまずくこともよくあります。完走できるかどうかはわかりませんが、まずは目標を作ってそれにチャレンジしてみたいと思っています。きれいな夕日が沈んでいました。明日は素晴らしい、思い出に残る大切な一日なると信じています。ごきげんよう さようなら…






2014年10月23日木曜日

【 坂本・龍馬夢ライブ100回 記念】 〜 しばらくお休みします 〜

[ここまで続けてきた本当の理由] 2005年5月15日 ここ龍馬館で第1回目のライブが行われました。当時、伏見にあるFM 845の番組のレギュラーがあったことで、中書島にある《さか》と言うスナックがご縁でした。大の阪神ファンのマスター、坂本禎章さんと意気投合して、伏見で開店6周年のライブをしようということで始まりました。しかしその後体調を崩され、その年の12月には店も閉められました。癌と闘い、絶対元気になるんだと、僕のライブを毎回楽しみにされていました。ですから《坂本・龍馬夢ライブ》の坂本はマスターの坂本さんの夢なんです。しかし癌は情け容赦なく進行していき、もう最後には奥さんの寿美子さんの手を借りて酸素ボンベを抱え、二階までの階段を10分ほどかけて上がってきてくださいました。それでも関島君の歌を聞くと元気になるからと毎月来てくださいました。そして『がんばるよ!良くなるから』の願いも届かず、2009年2月20日 天に召されました。本当ならここで止めるとこだったのですが、どこかで《さか》さんが見てくれてると思うと、「寂しいだろうなあ」とそれもできず、じゃあ切りのいいところまで続けようということで、今回の100回までたどり着くことができました。来年が7回忌となります。《さか》さんも納得してくれていると思います。少し肩の荷が降りた気がしています。12月11日の【さよなら坂本・龍馬夢ライブ】が最終回となります。その後ささやかな懇親会&忘年会をしたいと思います。またいつの日か、龍馬館ライブをする時が必ず来ると思います。どうぞその日まで待っていてください。これまで長い間ライブに来てくださいました皆様、本当にありがとうございました。




2014年10月22日水曜日

【 荒尾梨が 届いたなっし〜!】 〜 ヒデキのデッキは秋雨です 〜

今年も故郷の香りが届きました。今年の荒尾梨はいつもにも増してジューシーで甘くおいしいです。この後はみかんがいっぱい届くはずです。

今日は【ばってん荒川さんの8回目の命日】そしてちょうど今日【島津亜矢さんのコンサート】がびわ湖ホールでありました。もうすっかりおなじみになった、遠くからもいらっしゃった亜矢ちゃん追っかけのファンのみなさんとも再会できました。昼、夜、満席です。歌手としても女性としてもすっかり成熟し、脂の乗った落ち着いた素敵なステージでした。来年がデビュー30周年。梨もみかんもすいかの味も知っている同じ故郷の歌手として、どんどん大きくなって欲しいといつも心より応援しています。ちょうど1ヵ月後のこの《びわ湖ホール》で僕の【35周年記念コンサート千秋楽】が行われます。



2014年10月21日火曜日

【 僕の前には道がある…】~ 高村光太郎「道程」を思い出してしまった ~

今日は、26日《大阪マラソン》のチャレンジコース8.8キロを初めて走破してみました。ここは最近走っている片道2キロの軽いアップダウンのある、なかなかの素晴らしいジョギングコースです。制限時間1時間50分。時速5km。1kmを12分で走っても大丈夫です。若い頃には考えられないのんびりしたタイムですが、まずは無事完走を目指して、1時間15分を設定タイムにしたいと思います。1km8分ですか… ハハハハ。
走る楽しさは,走ってみないと…山の良さは、登ってみないと…愛の素晴らしさは、愛してみないと…わからないし味わえない… それぞれが人生そのもののように思える。そしてそれぞれが、それぞれの見えないゴールに向かって進んでいる…

2014年10月18日土曜日

【 君たちの未来に幸あれと…】 ~町誕生60周年~

僕の誕生日と同じ年に町村合併で生まれた、人口1万3.670人(10月1日現在)の茂木町。今日は〝秋の親と子ふれあいコンサート 〟に出演しました。

栃木県警察音楽隊の演奏













前2列は茂木小学校の吹奏楽のメンバー皆さんです。素晴らしい演奏でした。 

僕と同じ歳の《茂木町》(もてぎまちと読みます)です。

お隣は茨城県ひたち大宮市《伊勢畑》です。ここには赤い立派な伊勢畑大橋がかかっています。海から50キロメートル近くあるのに、川ではサケの投網漁が行われていました。この自然そのままが残っている《那珂川》は、河口からここまで堰が1つもなく、ここまでサケが上がってくるそうです。

この辺はのどかで自然に溢れ、栗や柿がいっぱいになっていました。鳥がいっぱいに鳴き、トンビや珍しい渡り鳥《刺羽》の休息地でもあります。

那珂川越しに沈む素敵な夕日です。



【 地球は今日も回っている 】 ~ 無事に生きている奇跡 ~

福岡空港から茨城空港へひとっ飛び1時間半! このルート初めてのフライトです。天気いいし、8Aの席から窓の外の景色を楽しむことにしました。最近飛行機によっては、電波を発しないカメラを撮ることが許可されるようになりました。
写真①・・玄界灘は力強く、まぶしく光っていました。両翼に♡マークの付いた【スカイマーク】 60歳から《シルバーメイト》で安く乗れるチャンスがあるそうです。じゃあ堂々とシルバーシートにも座れるんでしょうか…ハハハハハ… 
















写真②・・瀬戸内海の島々の景色のなんと美しいこと… 箱庭のようです。 

写真③・・明石海峡大橋から淡路島です。埋立地の多い神戸、大阪湾もはっきりと見えました。 

写真④・・心待ちにしていた琵琶湖上空は通らず、四日市、伊勢湾を抜けて名古屋を超えると、こちらも楽しみにしていた富士山…は窓の反対側でした。ざんねん…。そして先日噴火した【御岳山】が見えたような…思わず手を合わせました。 

写真⑤・・僕は山は大好きですが詳しくはありません。多分この険しい山々は日本アルプスでしょうか? 間違ってたら教えてください。広い武蔵野の関東平野を超えて紅葉が美しい白根山?。


それから茨城空港へ…まあ〜るい太平洋岸と臨海公園、大洗海岸を見ながら無事到着しました。なんと日本列島の自然の風景の素晴らしいこと… 飛行機が当たり前のように無事に飛んでくれている不思議さ。宇宙に浮いている地球が、今日も機嫌よく回転しているありがたさ。そこに住まわしてもらっている、様々な人間のわがまま、傲慢、悲しさ、喜び… 今日も生きています。ありがたいことです… さぁ今日は、誰に、何ができるだろうか…

2014年10月16日木曜日

【 ふるさとの秋祭り 】 ~ 祭りばやしに胸が躍る ~

55年ぶりかなあ~。ふるさと荒尾の野原八幡神社の秋の大祭。“へーロイ ハーロイ”のかけ声で親しまれてる[野原さん]です。七五三、紐解きのお祝いで、当時、僕も5才の誕生日を前に、母が作ってくれた半ズボンのスーツで千歳飴を持ってすまして写ってる写真がある。早いもんだなあ。のぼり旗、屋台、笛や太鼓のお囃子、人混み、懐かしい人との再会…祭りはいいなあ~。いつ行っても心ワクワク、ドキドキ、胸が高鳴るなあ~。三人で写ってる家族写真の方は、たまたまシャッターを押してあげた方で、とても素敵なご家族だったので、了解していただいてアッブさせてもらいました。お名前を聞くのも忘れましたが、どうもありがとうございました。この子の未来が素敵なものでありますように…