2014年6月30日月曜日

[ ヒデキの デッキ ] ~ 日本の夜明けぜよ ~

今度は日本の侍、錦織が、イギリスウィンブルドンで孤軍奮闘している。さほど派手なスポーツではないが、今まで世界ではほとんど注目されなかった日本のテニス選手が、なんとランキングベストテン入りしていま世界でがんばっている。サッカーの本田や大リーガーのイチローとも遜色のない大活躍だろう。あまり注目されないようだが、学生時代軽いテニスボーイだった僕は密かに応援している。どこまで伸びていくんだろう…。
2014年、還暦とデビュー35周年の年の半分が過ぎてしまった。前半の最後の日の朝日を見た。時差ぼけのせいで4時ごろ目が覚める。どんよりした梅雨空だったが、確かに、希望のある太陽が微笑んでいるように見えた。さぁ今年もあと半分。後半は少しずつ少しずつ…さらに良くなって行こう。あっ!錦織勝ってしまった。凄い!ベスト16だ。サムライ日本サッカーチームはちょっと羨ましいだろうなぁ。松岡修造から20年か…。福井さんが解説をしていた。僕らの時代は、坂井、神和住だもんなぁ。さらに20年か…。昼間デッキから下を見ると、あじさいの花が綺麗に咲いていた。 しっとりと可憐に、雨の中、凛と咲いている。紫陽花が、がんばれがんばれと応援しているような気がした…




2014年6月28日土曜日

[ ヒデキのデッキ ] ~ 無事に我が家に帰りつきました ~

ロサンゼルスから乗り換えの時間も入れて18時間をかけて、滋賀の実家にやっとたどり着きました。『ああ〜 やっぱり我が家が、1番ゆっくりするなぁ〜… 』これ、旅先から我が家に帰ったときの定番の言葉です。L.A空港でも待ち合わせのレストランでは、皆ワールドカップサッカーのアメリカ対ドイツ戦を夢中に見ていました。サンフランシスコ上空のカリフォルニアブルーの空には赤い日の丸がよく似合います。北米大陸とはここでお別れですが、まぁなんと緑の少ない風景でしょうか…。日本人のキャビンアテンダントさん(どうもまだスチュワーデスさんの響きが好きなんですが…) の細かい気遣いと優しい対応にほっとすること… もちろんそれぞれに素晴らしいところはあるのですが、いろんな国の方々の習慣や行動を見ていると、日本人の素晴らしさがまた際立ちます。ハハハ… もちろん欠点もですが… 。機内では二度の食事。サービスのアルコールやコーヒーをいただき、映画や音楽を楽しみながらうとうとしていると、もう日本が近づいてきました。房総半島が見えます。曇ってあまりよく見えませんが、まあ〜なんと、緑に覆われた、侘び寂びのあるしっとりと落ち着いた、素晴らしい風景じゃぁありませんか…。これが日本なのですね。四季があり、水と緑、海と山、川。作物が豊富で、勤勉で控えめ、和を尊び、争いを避け、物静かな人々が暮らす…黄金の国、ジパングなのです。どんな残酷なつらい悲しいことが起ころうと必ず朝はやってくるのです。人は誰に導かれたわけでもなく、もちろん自分の意思でもなくこの世に生まれてきました。不公平で、理不尽な腹の立ついやなことも多いですが、生きてる幸せを感じる、楽しいこともいっぱいあります。さぁ、新しい日本の、そして自分自身の新たな夜明けに向かって、今日もがんばりましょう! わが祖国、我がふるさと日本で!!






2014年6月26日木曜日

最後の [ ヒデキの L.A 便り ] と [ ヒデキの L.A デッキ ]

~いよいよ日本へ帰る日だ ~
早いものだなぁ。とうとう日本に帰る日が来てしまった。浦島太郎が竜宮城から現実の世界に帰る気分だろうか? それはオーバーだな。それに日本にいる人に失礼だな。これからが待ちに待ったデビュー35周年のコンサートが始まるわけだから…。これからがひょっとしたら竜宮城かもしれないな。そんな楽しい夢のようなコンサートツアーができたらいいなぁ。
日本に帰ったらまず関西ライブツアー。そしてもう1ヵ月に迫った故郷荒尾でのデビュー35周年記念コンサートが待っている。
その前に7月11日には万田坑跡での、映画『るろうに剣心』の試写会イベント。俳優の佐藤健君が来てくれるらしいね。荒尾観光大使としても、たくさんの方に集まっていただいて、大いに賑わって欲しいなぁ。そして7月19日に「復讐するは我にあり」の再放送。とにかく日本に帰ったら早速仕事モードに変身だ!
ロサンジェルスに着いてから、とにかく一滴の雨も降らない。毎日がこのカリフォルニアブルーなのだ。朝ちょっと雲が多いなぁと思っても…午後からはとにかくこのカリフォルニアブルーなのだ。何せ湿度が低いからカラッとしていて汗もかかない。朝夕は涼しい風が吹いて朝方はちょっと寒いくらいだ。ほとんど一年がこれに似たような天気なのだから…そらあ〜考え方も、暮らしっぷりも日本とはずいぶん違うだろうなぁ。ロサンゼルスのデッキから眺める日常の生活の風景も…のんびりと歩きながら郵便を配達するのポストマン。週に1回道路清掃をする車…。時々出かけるハンバーグ屋さんや路上で美味くて安いメキシコのタコスを売る店。すべてが、懐かしく愛おしい…。1番のお気に入りは、ローズボールや新年のローズパレードで有名なパサデナの古い町並みだ。とにかく2つの文化を体験できる僕はなんと幸せものだろう。さあ、日本に帰ったら、この経験を生かしいい仕事をしなければ…。還暦まで、あと4ヶ月ちょっと…。 日本の皆さん待っててください。もう、すぐ、帰ります‥…






2014年6月25日水曜日

関島秀樹のオフィシャル動画(YouTube)

H.Sekijima official video clip

関島秀樹のオフィシャル動画(YouTube)を全曲まとめてあります!
各曲の『概要』欄には歌にまつわるコメントも載せてあります。ぜひご覧ください。
H.Sekijima offical video clip はコチラ

ラインナップ
  1.  がんばる君のために
  2. 帰郷
  3. 三日月の恋~小松女院物語~
  4. セントラルパークにて
  5. ひとすじの光 -千年のクスノキからの応援歌-
  6. 玉高を忘れない
  7. 仰げば尊し
  8. TONIGHT そのまま
  9. 家族
  10. 生きたらよか
  11. 親父からの長い手紙
  12. 風走れ
  13. 京都
  14. もう一度逢いたくて
  15. てんごの夢~桜のように生きた男の物語~
  16. 千の風になって
  17. あの日を忘れない
  18. 稲むらの火~津波から村を守った男の話~
  19. The fire of "Inamura"

YouTubeに“TONIGHT そのまま”をアップしました。

ふるさと荒尾の観光大使も7年目に入りました。世界遺産に向けての万田坑。ラムサール条約に契約した荒尾の干潟。海の見える競馬場やウルトラマンランドはなくなりましたが、まだまだ美しい風景や美味しい食べ物など、素晴らしいものがたくさんあります。騙されたと思って、是非一度お出かけください。
この日のコンサートは荒尾市総合文化センター 小ホールで行いましたが、演奏してくれたメンバー、ギター 梅田光雄、パーカッション 松藤一英、ピアノ 吉田敬、ハーモニカ あらいなおこ も、8月9日の荒尾市総合文化センター 大ホールで行われる “関島秀樹デビュー35周年記念コンサート”にはもちろん参加してくれます。
どうぞお楽しみに…







YouTubeに“ひとすじの光 -千年のクスノキからの応援歌-”をアップしました。


サッカーの侍ジャパンは、残念でした。スポーツの勝負はこんなものでしょう。勝つか負けるかです。運も含め、いろんな要素があるでしょう。個人的な評価もあります。でも純粋にそのスポーツを応援し、楽しんでいるファンとしては、腹にしまっておくか、気が置けない、仲間内での話として取っておきましょう。
さてスポーツ大好きな僕としては、そろそろ夏の高校野球が気になります。地方予選が始まりますね。小...さい頃は甲子園に憧れ、プロ野球にも夢を馳せた野球少年としては、一番輝いている高校時代、夏の炎天下のグランドで、ただ勝利を目指し、仲間を、自分を信じ、精一杯にプレーする姿にはいつも感動を覚えます。僕の故郷熊本の地方予選の舞台が藤崎台球場です。かつての熊本城内にあり、熊本の県木、樹齢1000年以上の7本のクスノキが見事に生い茂り、球児たちを見守っています。この素晴らしい国の天然記念物のクスノキを守ろうと、地元、新町の皆さんを中心に活動を続けています。その応援歌として誕生したのが、この「ひとすじの光」です。作詞はこのクスノキの生命力に心を動かされた、元自衛官の宮本さん。この詩は、ワールドカップサッカー決勝進出を目指す侍ジャパンの皆さんと、甲子園を目指す高校球児の皆さんに送りたいと思います。動画は時間の都合で2番で終わっていますが、詩は3番までご紹介したいと思います。いつか3番まで通して、是非生で聞いてください。





 「ひとすじの光」 -千年のクスノキからの応援歌-
              作詞:宮本一路
(一)
ひとすじの光 大阿蘇からさして
千年のクスノキ 煌めいて立つ
朝一番には 子供たちが集い
笑い声が響く 七つの森に
弱音を吐くなよ これからだ
どんな嵐が 来ようとも
クスノキたちは ほほえみかける

(二)
七色の虹が 熊本城に立ち
千年のクスノキ したたる緑
お昼にはそっと 娘たちが集い
恋心隠して 空を見上げる
希望を捨てるな 前を向け
何度涙を 流しても
クスノキたちは ささやきかける

(三)
真っ赤な太陽 金峰山に落ち
千年のクスノキ 夕闇まとう
静寂にまぎれて 精霊が降りたら
悠久の歴史を 語りかけてる
自分を信じて 生きてゆけ
きっと想いは 叶うから
クスノキたちは やさしく見守る

YouTubeに“三日月の恋 ~小松女院物語~”をアップしました。

 平安時代の恋物語です。少納言清原正高と醍醐天皇の孫姫、小松女院は、それぞれの笛と琴の音に惹かれ、一緒に演奏するうちにほんとうの恋に落ちてしまいました。
やがてそれはみかどの耳に入り、身分の低い者が姫をしたうとはふとどき者といかりにふれ、正高は豊後国(ぶんごのくに)に左遷され、小松女院も因幡に流されます。しかし2人の気持ちはさらに燃え上がるばかり。しばらくして正高の行く末を噂で知り、女院は11人の女官を連れ九...州へ。阿蘇の小国(おぐに)から杖立(つえたて)を通り大分の玖珠(くす)へと、大変な苦労を経て辿り着いたその果てに、正高がこの地で家庭を持ち子供までいることを知らされました。女院は正高に再会することもなく、身を引き、悲しみを胸に11人の女官とともに三日月滝へと自ら身を投じました。
今でもこの周辺には、長旅の果てに亡くなった乳母の亡骸を葬った場所に植えた小国、下城の大イチョウ( 樹齢1000年以上の大イチョウは、「ちちこぶさん」と呼ばれ、親しまれ秋には大勢の人が訪れる ) 。再会の願掛けに鏡を投げ入れた鏡ケ池。三日月滝など興味深い場所がいっぱい残っています。ぜひ一度訪れてみてください。特に小松女院の想いでまっ黄色に染まった大イチョウの姿は、それはそれは見事なものです。( 10月末からら11月にかけてライトアップされます )






[ ヒデキの L.A 便り ] ~ ワールドカップサッカー日本チームお疲れ様 ~


ワールドカップサッカーブラジル大会の日本チームの試合はこれで終わりましたね。お疲れ様でした。ずいぶん楽しませてもらいましたよ。相手チームの方が少し力が上だったような感じがしますね。それにしても、今大会の南米チームの活躍には目を見張ります。その昔、一足早く南米に行ったスペインやポルトガルが敗退したのはちょっと残念ですが…。まあ~、サッカーの歴史の深さや、情熱の強さにはかなわないものがありますね。歯...がゆさや、早くトップの位置で活躍して欲しい期待はありますが、もう少し温かく気長に見守ってあけまましょう。よくやってると思いますよ。
ロサンゼルスダウンタウンの14~17番街辺りには、メキシカンを中心にスパニッシュ系の人が集まる一画がある。洋服やアクセサリーなどが所狭しと並べられていろ。色とりどりのの国旗やサッカーのユニフォームがたなびいている。南米チームが活躍しているからだろうか? 皆、明るく、楽しそうに煌めいて見えた。そばを走るローカル電車は、滋賀の大津を走る京津線を思い出した。もう日本に帰る日が近づいたなあ~。






~ World Cup soccer in L.A. ~

さぁいよいよ始まりましたワルードカップサッカー。
決勝進出への可能性をかけた最後の試合です。
カリフォルニアのサムライブルーに、日出ずる国ジャパンと還暦レッドを加えて、最高の奇跡を起こす、応援パワーをロサンゼルスからブラジルへ送ります。
がんばれサムライ日本!最後まであきらめるな、俺たちがついてるぞ!


2014年6月24日火曜日

[ ヒデキの L.A 便り ] ~ たまには美術館で勉強でも… ~


サンタモニカからパシフィックコーストハイウェイを車で10分ほど走ると、もうそこはマリブという、海を見渡せる海岸沿いの高台に広がる最高級別荘地があります。
滋賀出身の世界的な画家、ヒロヤマガタさんのアトリエもここにありまして、一度伺ったことがありました。その一画にゲティ・ヴィラという1個人が高い志の下に建てたすばらしい美術館があります。古代ギリシャ・ローマ時代の貴重な美術品が数多く展示してあり、コレクションとしてはアメリカ一です。ベスビオ火山の噴火で埋もれてしまったポンペイの街から掘り出されたものや、当時、そこに実際あった建物を研究し再現しています。また野外劇場では音楽や映画、古典戯曲の再現なども行われています。
この日は古代ギリシャの音楽を2人の男性が紹介してくれましたが、何か御詠歌や舞楽に通じるものがありました。
もう一つ、この美術館が開館したのが1954年で、僕の誕生日と同じ年だったということにも、偶然のことながら驚かされ嬉しかったことでした。
この中ではワークショップや子供たちが絵を描いたり、ものを作ったりする所もあり、僕は古代ローマのお酒を入れる容器に、こんないたずら書きをしてしまいました。( 注: これは誰でも好きなことを描くことができて、またすぐに消せるんですよ )






2014年6月23日月曜日

[ ヒデキの L.A 便り ] ~ カリフォルニア のワイン祭り ~


カリフォルニアは言わずと知れた有名なワインの産地です。ロサンゼルスからベンチュラハイウェイを北へ40分ほど走ると、山の中の広びろとしたワイン畑の一角に、今日のワインテイストフェスティバルの会場が見えて来た。昔の西部を思わせる、ジェームス・デイーンでも出て来そうな農場風に作られた会場には、真っ昼間っからもうすでに、お気に入りのワインを飲みながら、思い思いのスタイルで楽しんでいる。もちろん!音楽は欠かせない。踊り出す人も…。しかし、酔っ払ったり、騒いで人に迷惑をかけたりする人はいない。場所取りや注文でのトラブルもないし、ゴミも綺麗に片付けられている。人間が成熟してるからだろうか?ルールが確立してるからだろうか?人に迷惑なことをすると、周りが注意をするし、それ以上になるとすぐ逮捕されるからだろうか?たくさんの価値観が集まると、ルールができる。その中で我慢もするし、相手も認める。決まりがあるからしないのだろうか?それが抑止だろうか?その前に、人として何かあるだろう… 
日本は、どうだろう……ちゃんと子供たちは伝わってるだろうか? そもそも、伝えるべき大人は、どうだろうか…






2014年6月21日土曜日

[ ヒデキの L.A 便り ] ~ 下の娘の卒業式を終えて… ~


二年前に、同じハイスクールで、上の娘の卒業式を体験していたので、戸惑いや驚きはありませんでしたが、もうこれで親らしいことをするのが1つ終わったかと思うと、何か感慨深い、一抹の寂しさを感じるものでした。
相変わらずこちらの卒業式はお祭りのようです。もともとはカリフォルニアがメキシコの領土だったこともあり、底抜けに明るいラテン系の風土が残っています。それに今は中国、韓国、インドを中心にアジア系の人たちも増え、日系人...がむしろ少なくなっています。白人、黒人は、すでに半数以下になり、人口構成が政治に少なからず影響を与えています。4,4,4,で来た12年生の卒業生は全部で約800人もいます。平日の夕方6時から約2時間。アメリカに忠誠を誓う言葉を全員で唱和し、その後に国歌独唱。そのあと吹奏楽の音楽に合わせスタンドに卒業生が勢ぞろいします。そして、その数の3~4倍ほどの父兄がグランドに並べられた椅子に座って見守っているというか観戦している雰囲気です。自分の子供や知っている友達の名前が呼ばれると、歓声をあげたり、名前を呼んだり、ときにはサッカー観戦の時に鳴らすクラクションやクラッカーが炸裂します。一日も学校を休まなかった人、スポーツで活躍した人、学校の成績が良かった人、クラブ活動やボランティアを頑張った生徒など、それぞれの素晴らしさを称えます。セレモニーが終われば、それぞれお友達や家族と一緒に記念撮影に収まります。暗くなるまで思い出話やこれからのことなどで話に花が咲き、あちこちで別れを惜しんでいました。こんな風景は日本と変わりありません。
ああ~これで1つ肩の荷が降りたかなぁ~……。 





2014年6月20日金曜日

[ ヒデキの LA 便り ] ~ 俺も歩けば 何かにあたる ~

1番街で信号待ちをしていると突然見知らぬ人から声をかけられました。
日本から来て40年のこの人、Kさんです。オフィスには様々な著名人との写真やサインなどが飾られて、この方の日米の交流の広さが感じられました。そんな中、唐突に杉原千畝の話が出てびっくりしました。君は滋賀県だったらこの人のことを知ってるか?。「杉原千畝と命のビザ」という写真集を出した写真家の寿福滋さんは、今、滋賀県在住なのです。何か引き寄せるものがあったのでしょうか。胸に熱いものを感じました。そして寿福さんと言うと、何度か会いに行った、熊本県の人吉にただ1人女性の球磨焼酎の杜氏として有名な、寿福酒造の代表取り締まり役の寿福絹子さんを想い浮かべてしまいました。またこの方とも何か繋がりがあるのでしょうか…
人生は面白いもんだなぁ~これだからぶらぶら歩きはやめられない


[ ヒデキの LA 便り ] ~ 俺も歩けば 何かにあたる ~


ー ロサンゼルス名物 フリーウェイの渋滞 ー 左へ行けば「来て!来て!のサンタモニカ… 」 真ん中は「LAダウンタウン… 」 右へ行けば 「 If you going to サンフランシスコ… 」


ー 映画によく出るロスのビル群 ー
















ー 日系人の博物館 ー 
ここに入るとアメリカでの日系人の歴史が分かります。ロサンジェルスドジャーズの42番のユニフォーム。1964年、黒人初のメジャーリーガーにな...ったジャッキー・ロビンソンのものです。キング牧師などの活動で、黒人が公民権を手にしてちょうど50年。毎年4月15日には、大リーグの選手は、彼の功績に敬意を表し、全員42番のユニフォームを着てプレーします。奇しくも、日本人初のメジャーリーガー村上雅則がサンフランシスコジャイアンツでデビューしたのもこの年です。日本人街は500メートル四方ほどの小さなエリアです。


やはりスターバックスもあります。その傍らに日本人街を見守るように穏やかに座っている銅像がありました。第二次世界大戦中に6,000人のユダヤ人を救った杉原千畝の像です。ここアメリカでは否応なく国籍や人種を意識させられます。様々な価値観を持った人たちが、共存することも難しさ、素晴らしさを同時に感じます。



~カリフォルニアBlue sky blue~

サムライジャパン 頑張ってるねぇ〜 いいよ〜 。
後半何とか得点して勝利して欲しいなぁ。LAから勝利を祈る、真っ青な空を送ります。
がんばれ 日本!!


2014年6月19日木曜日

[ ヒデキの L.A 便り ] ~ 変わりゆく 日本人街 ~


ロサンゼルス市庁舎やロサンゼルス市警のすぐ近くにある日本人街(リトル東京)。
あっ こんなところにSAKURA の文字が…。ここは敬老ホームです。
日本からアメリカに移民した日系人の歴史も優に100年を超え、1世2世の方もずいぶん少なくなりました。アメリカで日本人が市民権を得るまでの壮絶な戦い。日系人排斥。太平洋戦争中の日系人のキャンプへの強制収容。日系人442部隊の活躍。アメリカに来て試合をする日本の大学、高校野球や...スポーツ選手たちのホームステイなどのボランティアでの支援。東日本大震災のときには、10万ドルの義援金もすぐに集まったそうです。七夕飾りを仙台まで空輸したり、ボランティアの瓦礫の処理などにもずいぶん行かれたそうです。日本に伝わらない話がたくさんありました。
今若い日系人の方たちの努力で日本人街も変わりつつあります。防犯や旅行者の案内所も兼ねた、"こうばん"もできました。その中心の1人が、ここリトルトーキョーで古くから和菓子屋を営む日系人三世この人です。彼も僕と同じ時期、震災から3ヶ月ほど後に同じ石巻に行ってボランティア活動をし、同じような風景を見て、僕と同じような痛み悲しみの感情持ったと話していました。
外国に住む日系人は、日本に住む日本人以上に、母国、故郷に対する感情、想いは、時に何倍も何十倍にもなるんだなぁ~と感じました。
周辺を整備し、オープンカフェーや、外国の人が興味を持つ日本のカルチャーなどを紹介する店を増やして・・・今や、7~8割の人が、日本人、日系人以外の方です。日本人街も新しい顔で、かつての賑やかさを取り戻しつつあります。







2014年6月18日水曜日

[ ヒデキの L.A 便り ] ~ 父の日の墓参り ~

ここは公園ではありません。セメタリー、アメリカのお墓です。広々として開放的で、日本のお墓とはずいぶん雰囲気が違いますよね。日本には仏壇がありますから、父の日にわざわざお墓参りをする方は少ないかもしれません。お彼岸、お盆、命日ぐらいでしょうか…。ここに椅子やパラソルを持ってきて、食事をしながら1~2時間ゆっくりされている方もいらっしゃいます。
この日も、小さい女の子とお母さんが2人で来てらっしゃいました。おそらくお父さんが若くしてなくなったのでしょうか…。長い時間会話をしているようでした。母娘にとって、お父さんは、心の中でずっと生きているのでしょうね。