2014年9月30日火曜日

【 デビュー35周年第7幕 日本橋編 】 〜 いよいよ今週末に迫る!〜

まぁ時間の経つのはこんなに早いものか… 秋の夕暮れのつるべ落としのごとく… 60歳を4分の3ととるか、2分の1と考えるか… もう4分の1と思うか、まだ2分の1と思えるか… コンサートも残すところあと2つです。
 今回のもう1人のスペシャルゲスト紹介しよう。母校熊本県立玉名高校の後輩で、素晴らしいプロのロックミュージシャンがいます。忙しいスケジュールを調整して駆けつけてくれます。SHIME です。クラフトの三井誠さん共々、こうご期待です!!

SHIMEのブログ
http://shime25.blog.fc2.com/

2014年9月29日月曜日

YouTubeに“未来へのおくりもの”をアップしました。

〝未来へのおくりもの〟~ 世界遺産を目指す万田坑へ捧ぐ ~
 故郷の熊本県荒尾市の観光大使を仰せつかって7年目になります。
今、風が荒尾市に吹いているような気がしています。今週で終わりましたNHKの朝ドラ『花子とアン』“白蓮”さんの夫、宮崎龍介の故郷です。父は宮崎滔天。渡り鳥の休息地となっている有明海の荒尾の干潟は〈ラムサール条約〉に契約しました。そして世界遺産を目指す万田坑は、【 るろうに剣心 】のロケ地として、“佐藤 健くんも訪れ、注目を浴びました。その、万田坑の応援歌を、8月9日の35周年のコンサートで、地元のライブハウス「すたあ気分」のオーナーで歌手の[原 えいじ]君と一緒に歌いました。ぶっつけで、息も合ってませんが、心は1つ。まあ お聞きください…バックで盛り上げてくれたのは、今回も応援出演してくれた、荒尾太鼓の若い女性たちです。

2014.8.9 関島秀樹デビュー35周年記念コンサート
       荒尾総合文化センター 大ホール

Vo.関島秀樹&原えいじ
Pf.宇戸俊秀 E.G.梅田光雄 A.G.三好ひろあき 
Perc.松藤一英 Dr.堀川誠 Ba.児玉康成 Syn.吉田敬
荒尾太皷の皆さん


2014年9月28日日曜日

【 50年前はどうだった…】 〜 あの頃の僕たちは 自信を持っていた 〜

1964年9月28日、今からちょうど50年前に琵琶湖大橋が開通時しました。堅田から守山への右車線を走ると『琵琶湖周航の歌』のメロディーが聞こえます。今日は歩いて渡るイベントがありました。
11月24日の【 関島秀樹と行く 琵琶湖島巡り】では、この橋を船でくぐります。50年前の3日後の10月1日には東海道新幹線が開業しました。そして10月10日は東京オリンピックでした。10歳の誕生日を前にした関島少年は、日に日に日本が豊かになってゆくのを目を丸くして、ワクワクしながら夢を膨らませていました。戦後の復興から近代化に移行する象徴的な年だったような気がします。ドカベンこと香川伸行さんが52歳の若さでなくなりました。僕がデビューした1979年の春の選抜で、牛島投手との活躍で準優勝し、その年のドラフトで南海ホークスに入団しました。ちょうど35年前なんですね…。1989年。25年前のマドンナブーム、『山が動いた』の土井たか子さんも亡くなり、細川内閣や非自民の連立内閣など遠い昔、みんな過去になってしまいましたね…。1979年以来35年ぶりの御岳山の噴火は大惨事になってしまいました。今から23年前の、雲仙普賢岳を思い起こしてしまいました。人生、いつどこで何が起こるかわからない…。運も不運も紙一重…。この世に生まれ、今日こうして生きていることは、スポーツで優勝するくらい…いや、宝くじが当たるくらい…いや、大切な人に出逢うくらい、素晴らしい人生を生きられることくらい…“奇跡!”なのかもしれない…

2014年9月26日金曜日

【 勝つことが 最終目的ではない!】 〜近江の志賀清林より愛をこめて!〜

スポーツは、勝つことを目標に、鍛え、競い、闘う。その姿が美しいし感動を呼ぶ。特にプロスポーツは勝ってナンボ。しかし…【勝てばいい!】という訳じゃない。それも、日本の伝統的なスポーツは、いや【道】が基になっているものはスポーツと一線を画すかなあ。大相撲に引き技が目立つ。それも横綱に…。その影響か、新入幕の逸ノ城まで、その横綱相手に引いてしまった。“横綱の胸を借りる”も“横綱相撲”も無くなってしまったのか…。モンゴル力士が、外国人力士が嫌いなわけじゃない。でもモンゴル相撲とは違う。勝ち名乗りの雰囲気も懸賞金をもらう勝ち誇った態度はちょっと違うなあ。敗者を気遣う。勝っても謙虚でいる。それができてこそプロの大相撲の力士。ただ勝てばいい…それはちょっと違うかな… もう親方もそんな事は教えないんだろうか…

【 スポーツは 素晴らしい!!】 〜 シナリオのないストーリー〜

スポーツを愛してきてよかった。 スポーツに関わって よかった。スポーツはすばらしい❗️これだけ人々に 勇気と希望を与える。ヤンキースのデレク ジーター。引退の花道に「ニューヨーク ニューヨーク」「マイ ウェイ」がよく似合う。誰がこんな筋書きを与えてくれたんだろう。感動で胸がいっぱいになった。この場面を生で共有出来て幸せだった。僕のフルマラソン挑戦にも大きな力をくれた。誰しも人生に何が起こるか分からない。筋書きのない舞台だ。でも人生は素晴らしい❗️❗️一度しかない自分の人生。最後まで堂々と胸を張って歩いて行きたい。

2014年9月25日木曜日

【 熊本城マラソンから招待状が届いたよ!】 〜 龍馬館ライブ99回目の日に 〜

いやーとうとう来ましたか! 初めての経験です。1ヵ月前、[初出場枠]で落選のお知らせをもらった時はショックでした。ただの抽選の結果で、こちらには何の落ち度もないはずなのに、何か、出場にふさわしくない人間の烙印を押されたような寂しい気持ちになりました…。ですから今回は両手を挙げて大喜びできるはずですが、うれしいのと同時に、5ヶ月後には本当にフルマラソンに出場しなければいけない現実を突き付けられて、体が震えました。さあ!これからは本気でトレーニングに励まなければ! いよいよ番が回ってきたね…
 今夜は、京都伏見の竜馬通りにある、龍馬館で行っているマンスリーライブの99回目の日でした。来月は横浜で全国龍馬ファンの集いがあり、10月23日の龍馬館ライフがちょうど100回目となります。こちらのほうもぜひおいでください。さらに11月3日の僕の還暦の誕生日を挟み、11月15日は坂本龍馬の誕生日であり亡くなった日でもあります。「いやーまた忙しくなるゼヨ!」「体も鍛えんといかんキニ!」


来月10/23(木)の龍馬館ライブは 100回記念 です。ぜひおでかけください!!




2014年9月24日水曜日

YouTubeに“風を下さい”をアップしました。

“紙風船”も“フレッシュ”も筋ジストロフィーの病と闘い、或いは共生しながらも多くのみなさんに、人形劇を通じて希望と笑いを提供しているプロの劇団です。とても前向きで、明るい仲間たちです。人形劇のメッカ、フランスでの上演も叶えることができました。そんな遥かな夢を目指していた頃の応援歌です。

〝風を下さい〟作詞・作曲・歌 関島秀樹

 紙風船 私たちの 夢をいっぱいにつめて
 もっと高く もっと遠くへ 飛べる風を下さい

1.ずっと空をながめていた 流れて行く雲や
 自由にはばたく鳥たちが とてもうらやましくて
 そんなある日 風が言った じっと待っていないで
 少しがんばってみてごらん 空が近くなるよ
 何もしなきゃ 何もできない あきらめているだけじゃ
 できることから できるだけでいい 歩き始めたんだ

2.胸の内を伝えるのは とても勇気がいるね
 だけど言いたいことが言えないのは もっと苦しいから
 わずか3センチでも動かせる からだと声があれば
 人形に命を吹き込んで 君に届けられる
 紙風船 ひとりだけでは 叶うことのない夢も
 みんなの想いがひとつになれば 大きな風になる
 
 紙風船 私たちの 夢は大空を越えて
 遠くの国へまだ見ぬ人の もとへ羽ばたいて行く
 紙風船 私たちの 夢をいっぱいにつめて
 もっと高く もっと遠くへ 飛べる風を下さい


2014年9月23日火曜日

【お彼岸に彼岸花をすり抜けて…】 ~秋の近江路を駆け抜ける~

阿蘇山が世界ジオパークに!うれしいね~!! 今日の暑さに、またツクツクボウシがないていた。でももう外は秋一色!爽やかな風に誘われて、秋を探しにひとっ走り…キモチイイ~。大阪マラソンまで1ヶ月。熊本城マラソンまであと5ヶ月…。デビュー35周年コンサート第七幕首都決戦まであと10日!還暦まではもう40日だあ~
写真①・・刈り取られた田んぼのあぜなど、あちこち彼岸花が咲き乱れている…

写真②・・今はバラからケイトウ、野菊、コスモスやらイロトリドリ…

写真③・・すぐ近くにある片道2km の直線のマラソンロード。横を湖西線が走り、比良山系が見守る...
写真④・・昔ながらに稲を干す...

写真⑤・・これはアジサイ??? 

【もっと遠く飛べる風を… 】 〜 彼らに力と勇気をいただきました 〜


 3 5周年の記念コンサートに応援に来てくれて本当にありがとう。みんなと出会ってからもう20年近くになるかなぁ。思い起こせば、最初は滋賀で出会ったH.I.V 感染者の詩からだった。彼のストレートな苦しみと立ち向かう勇気を表現した『熱情』と言う歌が生まれ、これを聞いた僕の同級生の難病と闘うS君の後押しが大きかった。「ただ自分の歌を作り歌うだけではなく、歌が何かの力になる、歌が誰かの希望になる…」と教えられた僕にとって大きな転機になる時だった。でも、何か力になればと思ってやってることが、実はいつも僕の方が勇気やエネルギーをいただいて励まされてきていたのだ。ありがとう。僕らはこれからも、できることからお互いに励み励まし、助け助け合いながら楽しく頑張っていこうな!
写真①・・・ステージの前に人形を持ってずらり並んで一緒に歌ってくれました。
写真②・・・次の日は、僕の母校熊本県立玉名高校の東海地区の同窓会に出席しました。最高齢は父の同級生昭和3年生まれの方から若い人でも僕より8つ若いだけの52歳。同窓会も遠くなりにけりかぁ〜。いやいやこれがなかなか味があるのです。福田副校長と前田同窓会会長も熊本から駆けつけられ、皆さんと校歌高らかに歌ってきました。
写真③④・・・11月23日の〝35周年記念コンサート最終章 琵琶湖編〟と翌24日は、琵琶湖汽船の船を貸し切り琵琶湖の島巡りを行います。晩秋の近江路、天気に恵まれたら最高に気持ちいいなぁ〜。両手を広げ心よりお待ちしております。








※11/23 びわ湖ホールのご案内はこちら
 https://www.facebook.com/events/1376991792565651/

2014年9月21日日曜日

【35周年in 名古屋】 ~ 熱く燃えたよ!~ 第6幕 名古屋編。

やっぱりここ名古屋は不思議なパワーをいただきます。出会った人が熱い! 歌への想いが強い!人への信頼が深い!僕への期待がずっと続いていて、本当に有難い! だから、僕もそれに応えたい! 情熱は無くさない!諦めない!夢は棄てない!
ありがとう みなさん! 紙風船、フレッシュの仲間たちも! 頑張る…君のために…僕のために… 君がいるかぎり…
~ 名古屋の熱い夜は、この、今の気持ちにみんながずっと浸っていたくて、日付が変わってもその宴は延々と続いていました…



2014年9月19日金曜日

【 風の丘より 心を込めて… 】 ~ 皆さんありがとうございます ~

 いよいよ『関島秀樹デビュー35周年記念コンサート』、明日が名古屋です。どれだけ皆さんにこのお知らせが届いたでしょうか? どれくらい僕の思いが皆さんの心に届いているでしょうか? 明日は穏やかな天気になりそうです。ぜひ、お時間と懐と心に余裕のある方は会場にお出かけください。ハハハハハ… 両手を広げてお待ちしております。終わりましたら懇親会も計画しています。余裕のある方はどなたもご参加ください。
 今回は十数年来のお付き合いのある、筋ジストロフィーの人形劇団“紙風船”そして“フレッシュ“の仲間たちも応援に駆けつけてくれます。
 東日本大震災の被災者の皆さんの気持ちを込めた【誓春】。この笑顔のポートレートは、僕の35周年ために、病気と闘いながらも、素晴らしい活動をしている親友、下関に住むイラストレーター・画家の市川武さんからプレゼントしてもらったものです。《ありがとう》の木版は、僕の35周年のために、病気と共生しながら、地道に皆さんに元気と幸せをを与えている、岡山に住む親友山本正吾からいっぱい頂いたものです。皆さんにもお分けします。彼の愛娘のさやかちゃんも手伝ってくれました。荒尾のコンサートで一緒に歌った《めぐみ幼稚園》の子供たちから頂いた激励の言葉。たくさんの思いを込めて歌います。皆さん本当にありがとうございます。関島秀樹は今日も元気です!がんばる君のために!!



2014年9月18日木曜日

【 あっという間の秋です 】 ~ 琵琶湖 秋風景 1 ~

短い夏から北海道大雪山では初冠雪。ここ風の丘では、昨日までは鳴いていたツクツクボウシもぱったりと鳴りを潜め、完全に、すっかり秋の虫たちの大合唱に取って代わりました。琵琶湖、湖西の秋風景です。
(写真1)日本の棚田百選に選ばれた高島、畑地区の棚田。
(写真2)畑のバス停 (写真3)湖西から北の彦根方面を見た琵琶湖 
(写真4)安芸の宮島と見紛うほどの高島のパワースポット、白髭神社の鳥居。 
(写真5) 大吉コレクター。この日も大吉をゲットしました! 断っておきますが、何枚も引いたわけではありません。石巻日和山、鹿島御児神社に続きただ1回でいただきました。“ クジじゃないんだから…” “大吉がいいってわけじゃないんだから…” 「でも…ただ単純に気持ちが良いのです…」






2014年9月16日火曜日

【 すべての道は すべての人につながる 】~ 3000kmの旅を終えて ~

9月6日、我が家のある滋賀県蓬莱を出発した11回目の東日本大震災の被災地を訪ねる約3,000キロの旅も、14日無事に帰り着くことができました。国道6号線も開通し、今回までのように、福島県広野町から相馬市まで3時間半もかかる不便さも解消されるでしょう。復興に少し明るい希望が見えました。岩手県遠野からの帰り道は、あえて今まで通らなかった道を選んで帰りました。なんとナビゲーションが案内する最短距離は、日本海経由でもなく日本列島のど真ん中を突っ切るルートでした。びっくり! 福島県郡山を抜け、那須ICから一般道。方向は宇都宮方面へ。何?来月行くんだけど…。参ったなあ…。栃木県矢板を超えたところで塩谷町に入った。偶然立ち寄った道の駅で、ここがなんとなんとあの作曲家 船村徹と作詞家 木下龍太郎の故郷だったのだ。オドロキ‼︎ 今回、美空ひばりの「みだれ髪」の舞台となったいわき市の塩屋岬を訪ねたばかりだったのに…。どういうこと?⁇ 少し走ると大谷川に架かる橋のたもとにかやぶき屋根の大きな家が見えてきた。川魚料理を食べさせてくれる料理屋さんだ。“やな”にはビチビチとあゆが上がってくる。ついついいい香りに誘われていただいてしまいました。悪いねぇ…。 ちょっと走ると掛け流しの温泉…。申し訳ないなぁ…。入らないと失礼だよな…。ゆた〜っとのんびり…えっ!その先は日光? 一昨年ライブをしたペンションの近くを通るんだ。驚愕!誰か、糸引いてるんじゃないの??? ここでは明日から有名なツールド 日光が始まる。石巻では被災地復興ツールド競技がある。僕にマラソンの次は自転車をやれって言う事かな? オーナーはお元気そうでした。思いもよらずこんなところに僕の大好きな画家、星野富弘さんの富弘美術館が…。しかしもう時間が遅く閉館。またゆっくり来いと言うことかな…草木ダムを通り、熊本出身の森高千里で有名になった渡良瀬川を左に見ながら、桐生〜前橋〜安中でバッティセンターがあり、軽く体をほぐす。あと10センチでホームラン!まだまだやれるでぇ〜。下仁田インターチェンジから中央道へ…。駅弁で有名な横川で釜めしでもと思ってサービスエリアへ。えらく混んでいる。あーそっか世界遺産で有名になった富岡製鉄所がすぐ側にあるんだ。また出直して来いってことかな…。一旦一般道へ下り、長い峠を越えて再び岡谷から中央道へ。すると、またまた7月にライブを行った中津川を通る。なんてこったあ〜。さすがに夜遅いので立ち寄らなかったが、その後は縁の深い岐阜県を通り名神へ…。関ヶ原で降りて湖岸通りへ…。早朝の琵琶湖は真っ青な淡海に朝日がきらめいて、優しく僕を迎えてくれました。旅は楽しい。旅は人生を豊かにする。何か行動を起こせば必ず何かが帰ってくる。行きは復興途上の被災地を見てきた。まだまだ多くの苦難が残されている。帰りは日本の素晴らしい自然の風景を眺めて来た。被災地は必ず復活する。いくら時間がかかってもいつかあの故郷取り戻す。そう信じている。日本の素晴らしい風景と人々に出会いながら僕はそう確信した。僕たちは忘れない! いつまでもがんばる君のために…







2014年9月13日土曜日

【 遠野の ものがたり 】 ~ここには日本の暖かい故郷がある~

大学時代、あんべ光俊の歌う『遠野物語』を聞いた。懐かしい日本の故郷の情景を思い浮かべるとともに、彼の独特な甘いハスキーボイスと癖のある歌い方に不思議な郷愁を覚えていた。柳田國男の『遠野物語』を読んでみた。古い民話の数々に、ただの作り話ではない日本人の生きる知恵や悲哀が込められていた。遠野の田園風景はずっと昔からそのままなんだろう。ここに来ると、座敷わらしやカッパが住んでいてもおかしくないような気になってくるから不思議だ。そして東日本大震災の時は、ここが岩手県のボランティアのサポートセンターの中心になっていた。架空の動物たちが人を騙したり悪戯をしたり惑わせたりするのも、それは人間が好きだからだろう。いざというときは人間の手助けをしてくれるんだと信じている。それは人間の本心や動物、自然の化身なんだろう。大自然に畏敬の念を忘れず、人間もその一部として、自然と共存し生かされていることを忘れてはならない。また今年も“遠野まつり”とすれ違いだ。今回も“縁”(ゆかり)という民宿にお世話になった。この宿のお母さんは、本当に岩手なまりの民話の語り部のような、の〜んびりしたあったか〜い話し方をされ、いつもほっとした気持ちにさせられる。息子さんの釣ったイワナの刺身とお母さんの“ひっつみ汁”は最高だ!






【 ひよっこりひょうたん島はどこへ行く 】 ~ この子らの 未来のために…~

町長も含め40人の町役場職員が亡くなった大槌町の旧町役場が解体される。残す、残さないはそれぞれの感情がある。どちらも、もう二度とこのような悲しみは繰り返さない❗️と言う思いは一緒だ。復興は進んでるようには感じられない。11%の町民が亡くなっている。
井上ひさしのひよっこりひょうたん島のモデルとなった島は、この町の入江にある蓬莱島だ。僕の住んでる所は、滋賀の蓬莱山の麓だ。そこに住む30人ほどのみんなで《風の丘》と名付けた。井上ひさしさんは、架空の国《吉里吉里国》を作った。子供達が、想像の翼を広げ、未来に夢を持って、元気で、仲良く、楽しく、平和に生きられるようにとの願いは、どこも同じなはずだ!





【 シュウくん 遠野に辿り着く 】 ~ 遠野は ヤッパ 遠いのォ~ ~

9月3日に荒尾の菰田梨園を出発した、荒尾梨のニューフェイス《秀麗》(しゅうれい)のプロモーションと被災地を巡る2000キロの長い旅は、ここ遠野のカッパ淵で終焉を迎えました。新幹線に乗り、滋賀のヒデキのデッキから琵琶湖を眺め。そして車で被災地の復興の様子を見ながら、途中福島では、荒尾ジャンボ梨の子孫の新高とも出会い、ここまでやっとたどり着きました。キュウリを餌に釣糸を垂れてみましたが、カッパさんには会えませんでした。シュウ君はお供えのキュウリの横でカッパさんに会えるまで待つそうです。ここを訪れた人は、お供えに梨が混じっているのを見てびっくりされるでしょう。すみません、荒尾と遠野の友好の証です。怒らないで下さいね。それにしてもシュウ君、ずいぶん日焼けしたねぇ~。元気でなあ~ いつか民話になるんだぞ~
遠野道の駅の愛称は『風の丘』なんだよ。(写真5)今住んでる滋賀の愛称と同じ。やっばり縁があるのかなあ~








2014年9月11日木曜日

【 釜石の鉄の魂が 燃え続けている 】 〜じぇじぇじぇ ラグビーも復活だ!〜

鉄の街・釜石と石炭の街・三井の大牟田・荒尾は深いつながりがある。市内は、止まってる場所と復興しつつある所が混在している。中妻の仮設でのコンサートに、今から50年以上も前に、北九州から三池争議の前後によく仕事で訪れたという80をすぎた方がおいでになった。三井倶楽部や立願寺温泉のことを昨日のことのように懐かしく話をされ、目頭を熱くされながら聴いて下さった。「お元気なうちに、ぜひとも荒尾にお出かけ下さい!」「ぜひ、また歌いに来てください!待ってるから…」堅い堅い握手で別れた。仮設での生活が5年に延長された。釜石はなかなか復興住宅を建てる土地がなく、いつまでこの不自由な生活が続くのか…。お年寄りにとっての一年は長い。かといって仮設を出ればお金がかかる。甲子第6仮設で「今何が欲しいですか?」とお聞きしたら、即「お金だねえ」と答えられた。人生の締めくくりを、せめて穏やかに過ごせないものか… 虚しさが胸を覆った…





【 意志を強くもち 努力する 】 ~ みんなそれぞれがんばってるんだ ~

頑張れ! は 少し気が重い… がんばろう! は ちょっと元気が出る…がんばる! は 自分に問いかける…。がんばる君のために…君かいれば…あきらめない…希望はすてない…
気仙沼、岩井崎。美しい海岸の陸中海岸国立公園は、いつからか三陸復興国立公園と呼ばれている。ほとんどの建物が流され、たくさんの方が亡くなられた岬の最突端の宿は、すぐ近くに琴平神社があり、高台だったこともあり、奇跡的に難を逃れた。磯料理が自慢の宿は今、復興事業関連の人たちでいっぱいだ。この状況にはちょっと似つかわしくないビアノの調べが流れてくる。娘さんたちはみな音楽が大好きだそうだ。宿のご主人は嬉しそうに笑って話されました(写真3)
岬に通じる途中の道沿いにあった気仙沼向陽高校の校舎は、あの時津波で壊されたままの姿で町の復興を見つめている。見違えるほど街中が賑やかになった気仙沼市内から、今いちばん復興の土木作業が盛んに行われていると感じる陸田高田を通り、大船渡を抜け釜石に向かう。