【 もう27年か…とも思う 】 〜 あの衝撃は今も消えない!〜
滋賀に越して住み始めて8ヶ月。娘が生まれて2ヶ月半の頃。家が潰れるかもしれないという恐怖は初めてでした。その後テレビに映し出される神戸の街の映像は、到底現実のものとして受け入れることができませんでした。何もできなかったあの時。震災から10年目を迎えようとする前の年に、和歌山の広川町にずっと伝わる[濱口梧陵]さんの〈稲むらの火〉の史実に出逢いました。これはもっと多くの人たちに知ってもらい、伝えていかなければいけないと痛感し『稲むらの火』を作りました。出来上がった半年後にインド洋スマトラ沖の大地震と大津波が起こり、TSUNAMIを現す言葉が外国にないことを知り、英語の歌詞も作りました。その津波が和歌山を襲った1854年〈安政南海地震〉の11月5日が[世界津波の日]に制定されました。そして阪神淡路の震災を忘れることなく後世に伝えるべく『あの日を忘れない』を合わせて作りCDにして、各地でささやかな啓発の歌語りを続けてきました。その後も大きな地震や自然災害は続いています。これからもいつかどこかでそれは必ず起きるものです。忘れないために…備えておくために…忘れないために…備えておくために…