2025年10月18日土曜日

【 “飛雄馬”くんが歌う『帰らんちゃよか』】 〜 “北岡ひろし”さんが歌う『宿題』〜

 【 “飛雄馬”くんが歌う『帰らんちゃよか』】 〜 “北岡ひろし”さんが歌う『宿題』〜

大騒ぎした大阪万博も終わりました。ロサンゼルスドジャースの快進撃は続いています。どうしても“ノーベル平和賞”が欲しいトランプさんは、自信満々の公約にもあったため、とりあえずの和平にもっていきたくて後先考えず、どんな手でも使ってきます。相変わらずのめちゃくちゃな“大統領令を”乱発し関税や外国人の締め付け締め出しを強め、ロスの街中でも“ICE“の容赦ない不法移民狩りを続け、留学生の門も厳しいものになっています。日本の政治は、国民の緊急事態はそっちのけで、どことどこがくっつくかの綱引きが大詰め、新総理が誰になるかまだわからないようで、早く希望を持って安心して働ける暮らしを取り戻してほしいものです。そんな日本を離れてのんびりしていますが、嬉しい話が続いています。

⭕️明日10月18日土曜日13時から熊本県立劇場演劇ホールで、ひょんなことで知り合った熊本出身の21才の演歌歌手【飛雄馬くん】の新曲発表コンサートが開かれます。熊本地震で大きな被害を受けた西原村の出身で、PR大使もされています。『帰らんちゃよか』に感動してくれて、ご両親の熱心な後押しもあり、18歳で東京に出てプロ歌手を目指し見事デビューを果たしました。「帰らんちゃよか」も自分の持ち歌として歌ってくれています。その飛雄馬が、昨年の東京の〈ランタン〉のライブに連れて来て紹介してくれたのが【北岡ひろし】さんです。

⭕️【北岡ひろし】さん(僕の大学時代の同級生で、八代高校出身の剣道4段の錬士と同じ名前なのですが…ハハハよだんです!)その時聴いた僕の『宿題』という歌がとても気に入ってくださって、小学6年生の時に書いた中村良子さんにも連絡を取り、了解を得て、11月5日に発売するご自分の新曲に加えて下さることになりました。18日の飛雄馬くんのコンサートには、ゲストで招かれて「宿題」も歌われるそうです。中村良子さんも、そしてその当時の先生だった上田輝子先生もご招待で観覧されるそうです。興味がおありの方はどうぞ飛雄馬くんのコンサートにお出かけください。「帰らんちゃよか」も聴けると思いますよ。

⭕️昨年の僕の〈沖島のコンサート〉に来て下さった長崎生まれ滋賀県にお住まいの80歳の女性。僕の歌に触発されて、戦後80年を迎える今年、1歳の時に長崎の原爆で被爆したご自分の体験を『望郷』という詩にしたためられ僕に歌を託されました。僕もとても心を動かされ、詩を加筆し、お渡ししたところ、CDにして、ぜひ家族や知人に聞かせたいと言うことになり、もう一つの詩の『夾竹桃』と『原爆を許すまじ』の3曲をまとめて1枚のCDが出来上がりました。ジャケットの挿絵は、大津市在住の日本画家、【鈴木靖将】さんの書き下ろしです。11月3日には、滋賀県の三井寺行わられる[平和といのち]の石碑の建立式でその歌を披露することになりました。販売用のCDではございませんが、興味がある方はお知らせください。

⭕️またまた、たまたまひょんなことで出会って、当時、その方がやってらっしゃるお店でお会いし『帰らんちゃよか』をとても上手に歌って下さった“ビッグママ”と呼ばれ、50歳でデビューした“道の駅の歌姫”と呼ばれ話題となった【不知火鈴香】さんも[良くない恋泣くよ]で見事夢を実現してプロデビューされました。

⭕️ 来年デビュー40周年を迎える【島津亜矢】さんの、9月17日発売『帰らんちゃよか2025』のシングルも新しいアレンジで好評です。

⭕️そんなこんなで僕は何もしないのですが、いろんなところで僕が関わった歌が巣立って一人歩きしていっているようでとても嬉しいです。とは言え僕も現役を降りたわけではありませんので、日本に帰りましたらライブが続きます。まずはデビュー前からの音楽仲間、【サスケのカツちゃん】との“ほのぼのライブの2人旅が四日間続きます。24日の[ぼちぼち]がスタートです。それから大分を回って、熊本玉名で70歳最後のライブです。

11月3日の《ぼちぼち バースデーライブ》から大阪~東京~名古屋と“君に会いに”行きます❗️ぜひ元気で待ってて下さい❗️会えるのを楽しみにしています‼️































2025年10月13日月曜日

【 カメハメハ大王の島 】 〜 憧れのハワイ空路 〜

 【 カメハメハ大王の島 】 〜 憧れのハワイ空路 〜

昔々、火山の噴火と隆起でで生まれた無人の島に、南の冒険心に富んだポリネシアや南国の人々がこの島に住み着きました。1778年にイギリスのジェームス・クックがこの島を発見し欧米の人たちもこの島に触手を伸ばし始めました。どこの植民地の歴史も似たようなものです。力の強いものが自分の欲望を満たし、未熟(純粋とも言っていい)なものや力のない(足るを知るものは必要を感じない)ものは、略奪や暴行を受け(全てではなく話し合いで平和に共存することもある)利用され、搾取され、新しい価値観や生活様式を受け入れざるを得なくなる。それを近代化、経済発展、ルネッサンスというのだろうか… しかし、ネイティブの人たちがハワイ王国を建国し初代カメハメハ大王がハワイを治めました。1894年にはハワイ共和国が誕生しました。その後1900年にアメリカがハワイを併合し、第二次世界対戦後の1959年3月11日、アメリカの50番目の州となりました。

今、ハワイの人口の14%が日系人と言われています。1986年,初のハワイへの官民移民が始まり、8年間の間に、約3万人の日本人がハワイに移住し、当時のサトウキビ労働者の約70%が日本人だと言われています。その中には、民間移民で1880年(明治13年)9歳でハワイに向かい、苦学、努力の末、1908年に熊本県人会を立ち上げた[甲斐政次郎]と言う甲佐町出身の方もいらっしゃいました。勤勉で真面目な日本人は、多くの信頼を得て事業でも政界でもスポーツ、エンターテイメントでも日本ではほとんど知られていませんが、たくさんの素晴らしい人たちがいらっしゃいます。9期もアメリカの上院議員を務めた[ダニエル・イノウエ]さんは近年ホノルルの空港の名前となり、ハワイ島のコナ空港は、スペースシャトルで非業な死を遂げた[エリソン・オニズカ]さんの名前が付けられています。[ジミー佐古田]さんや[与那嶺要]さん、ウクレレの[ジェイク・シマブクロ]さんなども有名です。

日本では1964年旅行規制が解除され、ハワイへの旅行が自由にできるようになりました。1948年に[岡晴夫]の『憧れのハワイ航路』が流行り、ハワイアン音楽、フラダンス、ハワイを舞台にした映画もたくさん作られました。今も人気のハワイですが、火山の噴火や津波などの自然災害も続き、生きている島です。街の中心地に[津波博物館]もありました。今回は35年ぶりに親戚の結婚式でハワイを訪れる機会を得ましたが、ハワイの歴史、その中での日系人の苦難の歩み、素晴らしい活躍なども知ることができ、海と青空、4千メート級の火山、日本庭園、世界最長の滝などを充分堪能できた旅でした。ドジャースも勝ち進んでいます。日本に帰る頃には総理大臣は新しい誰になっているのでしょうか? 高校野球の九州大会に臨む地元荒尾市の〈有明高校〉の活躍も気になります。ベスト4に勝ち残れば史上初の荒尾市からの甲子園出場があるかもしれません❗️これからの日本!世界に胸を張って誇れる、堂々と進んで行ける国となるのでしょうか???




2025年10月1日水曜日

【 メジャーリーグディビジョンシリーズ ❗️】 〜 “Let's go Dodgers‼️ 〜

 【 メジャーリーグディビジョンシリーズ ❗️】 〜 “Let's go Dodgers‼️ 〜

今や日本のベースボールファンの聖地となっているロサンゼルスドジャーススタジアム。今日から始まるポストシーズンの【大谷翔平】クンの規格外の活躍と山本由伸、佐々木朗希両投手のピッチングも楽しみです。その他にもダルビッシュや今永、鈴木、吉田など、このシリーズに登場する多くの日本人選手の活躍にも注目が集まっています。野茂さんがメジャーリーグに挑戦した30年前には想像も出来ない事です。彼らが活躍することで、日本人のイメージがどれほど上がったことか… プレーだけではなく野球に対する姿勢、行動や立ち居振る舞いまでも称賛されています。本当にうれしいことで、僕も胸を張って歩けます。ハハハ…

しかし、これまでの日系人の歴史は苦難の連続でした。時期や種類、くくりもそれぞれなので数字はおおざっぱに聞いてください。今、海外で暮らす日本人及び日系人はざっと500万人。アメリカ全土で160万人。カリフォルニア州に46万人。ロサンゼルス都市圏に16万人。在留邦人だけで6.5万人と言われています。日本人をルーツに持つ人、その後他の国の人と結婚したり国籍を変えた人。ハーフや、クォーターなど様々な日本人とのつながりを持つ人たちです。その中でもロサンゼルスは日本とのつながりが強く、人の数でも、日系企業、コミュニティーの多さでも世界1の都市です。

その歴史は明治初期の頃、他国の奴隷のような形で日本から海外に連れていかれた人から始まった移民。貧しい時代の日本の国策としてのハワイ、北米、南米への移民政策もあり、当初は、夢のような話とは到底かけ離れた荒地での壮絶な開拓もありました。人種差別、排斥運動、やっと手にした市民権や社会的地位、財産も、第二次世界大戦では敵国ということで全てを奪われて砂漠の中のキャンプに隔離され、戦後またゼロから新しい人生を築き上げられました。そういう他国での生活の中で、心の支えとなったのが日系コミュニティーです。その大きなものがお寺さんでした。ロサンゼルスにはいくつもの宗派のお寺があります。〈浄土真宗本願寺派西本願寺ロサンジェルス別院〉では長いことお正月に“紅白歌合戦”が開かれていて、僕も何度か出演させていただきました。今回は〈真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院〉で50年間僧侶をされ、長く輪番を勤め上げられた[伊東憲昭]さんの退任式に出席してきました。夏のお盆祭りやお餅つき、新年会、花まつり、お寺でのコンサートなど様々な場面で大変お世話になりました。数年前のお寺の放火事件や昨年のドジャース優勝のときのお祝いのインタビューなど、よくマスコミにも登場されました。大のドジャースファンです!オバマ大統領やローマ教皇などにも対面された大変立派な功績を残された方でした。偶然お生まれが熊本だったことも深いご縁を感じ、若い頃は長髪で、フォークソング等を歌ってらっしゃったこともあって、気さくにお付き合いさせていただき、お祭りで一緒に歌ったこともありました。昭和23年生まれ、4人の子供と7人の孫に囲まれ、まだまだ若々しい“のりさん”でした。各界、老若男女、遠く日本からもお祝いにこられて、700人以上の方が詰めかけ、会場がいっぱいになる大盛況のお別れの会となりました。

1980年にはグラミー賞にもノミネートされた日系アメリカ人バンド【HIROSHIMA】の琴奏者[JUN KURAMOTO]さんがお祝いの演奏を披露されとても幸運で感動的でした。

見ず知らずの言葉も文化も習慣も違う国で、長く苦難の歴史を乗り越えられ、今は市民権を獲得された日系人を想うとき、日本に住む在日外国人の日々の暮らし、苦労に思いを馳せてしまいます。戦禍や貧困、差別、難民として苦しむ人も… どこの国や地域の地球に生きるすべての人が、同じようにそれぞれの夢を抱き、人を愛し、家族や仲間を大切にして、幸せを求めて生きているはずなのにです…