2016年6月5日日曜日

【 知らせることの難しさ… 】〜 無名ということ 〜

【 知らせることの難しさ… 】〜 無名ということ 〜
《 本日、皆様からお預かりした心温まる貴重な義援金は、僕が責任を持って被災地へお届けさせて頂きます❗️ 》
昨日の[飯岡文芸賞のイベント]では、緊急なお知らせ(NHKのニュース)で振り回してしまいました。主催者の方から連絡があり、少しでも多くの方に内容を届けられたらとみなさんにもお伝えした次第です。今朝のニュースで紹介され良かったです。[稲むらの火]や僕のことは残念ながらありませんでした。限られた時間ですから仕方ありませんし、今回はそれがメインですからそれで充分ありがたいことでした。報道は、どんなメディアでも、制約があり優先順位があり、送り手で絞られ、受け手もそれを逃すと何も無かったことになります。ライブもイベントもその場にいないと無です。それをどう伝えて行くかが難しいところです。人が集まれば成功というものも有り、少なくてもちゃんと伝わって良かったと言うのも有ります。どの立場の人かで満足も違います。不特定多数のお客様やいくつも出し物があると、好き嫌いがあり、時間の制約も有り、前の出し物が終わって席を立たれたりすると、ちょと残念… 途中で帰られるとかなり残念! あくびはいささかの動揺… まあ、それぞれのご事情だから仕方のないことで、もう気にしなくなりました。無名の良さは真っさらな出逢い、思いもしない感動が生まれること。有名な嬉しさは、話が通じること、こっちを向いてくれること。NHK紅白の影響力は大きい。島津亜矢さん、「帰らんちゃよか」の話が格段に通じるようになった。だからと言って、僕への評価が変わったわけじゃないし、僕自身もずっと変わってはいない。有難いのは、それで少しは会場へ足を運んでくれる人が増えたり、僕の歌を注目して下さる人が増えた事だ。〈有名になる事が目的ではないが、名前が通るともっとボランティアにも大きなお役に立てるかなあ〜と思う事がある〉
この飯岡の町との出逢いは、21年半前の[阪神淡路大震災]いや、遠く1854年11月5日の安政大地震の[稲むらの火]からつながっている。[濱口梧陵]さんは千葉銚子の豪商の、分家として和歌山で生まれ、のちに《ヤマサ醤油》を起こした偉人で、今度も支援を頂いた。飯岡出身の詩人の[高橋順子さん](「海へ」で三好達治賞を受けられた)も素敵な方で、千葉黎明高校と横芝敬愛高校の書道部のパフォーマンスも感動だった。なんと、この日集まった【熊本地震への義援金】を僕が託され、届ける事になった。こんな大役を任される事になったのも、東日本大震災後、3日11日の慰霊の日に毎年伺って歌を届けてきたという積み重ねだろうか?今度は僕の故郷への応援をいただいて、 光栄で、有難くて感動の1日となりました。まだまだ力不足ですが、お世話になりました。本当にありがとうございました。