2023年9月25日月曜日

【 海岸線のまち 復興物語 】〜 心の復興とは… 〜  9/20-22

 【 海岸線のまち 復興物語 】〜 心の復興とは… 〜

釜石からそぼふる雨の中、リアス海岸を通り南へ向かいます。復興はそれぞれです。その町に合った復興のかたちがあります。住民の総意とはいかなくとも、早い復興が望まれたし、被災された方の生活、将来の人たちの命を守ることが最優先でした。そのため無料のすばらしい復興道路はできました。至る所が高い堤防や防潮堤で守られています。すっかり海が見えません。「津波が来ても見えない!」という声もあります。避難所から仮設住宅へ。その後復興公営住宅や高台移転。でも、元の姿に戻ることはほとんど所でできませんでした。故郷に帰らない、戻れない人も多くいらっしゃいます。新しい仕事で町の復興を❗️と言う夢や情熱を持った若者も県内外から結構いますが、全体は人口減少、高齢化が進んでいます。常磐線や三陸鉄道も変わりました。途中再開できない所はバスに変わっています。災害当時の様子や復興までの流れを展示したメモリアルホールも各地にあります。慰霊碑や災害遺構もあちこちに見られます。よく[心の復興]という言葉が使われますが、“心の復興”とは何でしょうか? 何もかも受け止めて、乗り越えて、憂いなく、穏やかに日常を暮らせることでしょうか… 

12年半たっても時が止まったままの方、心の傷が癒せない方もまだまだいらっしゃいます。今でも突然当時の記憶が蘇り、悲しくなり涙が出てくると話されます。もう故郷の事は忘れた、故郷には帰らない!そういう方の一方、新しいまちづくり、祭りの復活!コミュニケーションを築こうと前向きに進んでいかれてる方もたくさんいらっしゃいました。お互い元気での再会に祝杯をあげます。ご馳走で歓待して下さいます。コンサートには、はじめての方も多いです。皆さんの笑顔と喜んでくださる姿を見て、僕の方が励まされ元気をいただきます。12年が経って区切りをつけようと思ったのですが、元気なうちはまた会おうね❗️飲もうね!歌おうね!また歌いに来てくださいね❗️そんな言葉をいただくと、元気でいて下さい❗️また来ます❗️来年会いましょう❗️毎年会いましょうね❗️そんな言葉が溢れてきて、多分区切りはつけられないような気がしています。12年一区切りですが、また新しく始まるような気がしています…