【 宮城県亘理郡山元町花釜地区 】 〜 あの日がよみがえる 〜
宮城県の東南端の太平洋に面したのどかな町です。人口1万人を少し超えるくらいの町で637人の方が亡くなりました。想像を遥かに超える状況の中で、誰もが必死に命を守りましたが、2台の幼稚園のバスが流され、8人の園児1人と先生が亡くなりました。豊かな土地には水田や畑が広がり、そのため3.6kmほど内陸部まで津波が押し寄せ、町の4割近くが被災し、花釜地区は全域が水に浸かりました。1000人ほどの住民の皆さんは、教訓を伝え、将来の津波の被害を最小限にするために、毎年町の防災訓練に合わせて避難訓練を続けてらっしゃいます。海の近くにあった[中浜小学校]は震災遺構としてそのままの姿を残してあります。皆さんの顔がわかるほどの花釜地区で今回のコンサート開催にあたり、骨を折って下さった高橋誠一さん、行政区長の渡辺弘孝さんには大変お世話になりました。山元町の橋元伸一町長さんもお忙しい中顔を出して下さいました。暑い中足を運んで下さいましてありがとうございました。河北新報の橋本記者さんにもお世話になりました。
▲9月24日花釜区交流会館に来てくださって、残って集合写真に写ってくださった方々… この中には、僕の姉の住む千葉県酒々井町から山元町に移り住んだ方も来て下さって、もう20年ほど前に、姉の“Uー子”のシャンソンコンサートに度々来て下さって、時々ゲストで参加してた僕のことも強烈に覚えて下さっていて、「熱情」をリクエストして下さいました!もうびっくり❗️こんなこともあるんですね‼️ 嬉しかったです❣️ 〜