【 40.3度の酷暑の被災地の恐怖 】 〜 現地に行って初めてわかることがある 〜 28日の発災の日に熊本に入り、初めて1日だけ動ける日ができたので、特に心配だった。氷川町と八代の知人を訪ねました。高速は城南町インターで降り、宇城から渋滞の3号線を避け、山道を抜けて氷川町に入りました。長いお付き合いのある松橋の【まつの木作業所】は水が通じるようになり、通所者の皆さんも元気だと言うことで安心しました。
途中からの道は段差が各所にあり、路肩が崩れているところもありました。屋根にブルーシートのいえいえが見え、お墓はどこも崩れていました。氷川町の公民館では、まだ水道が通じてないところも多く、水や食事の配布に長い行列ができていました。農家の方は、田んぼや畑に水を流すのに苦労されていました。2年前にコンサート 開かせていただいた立派な古民家は、縁側のガラス戸や襖が壊れ、建物全体が斜めになり何とか立っていると言う様子でした。次の地震が来れば壊れるかもしれないと心配されていました。ずっと不通のままのJR八代駅に行くと、当時の散乱したままの案内所や製紙工場の煙突が悲しく立っていました。八代の文化の発信地として、古くから地元の人に愛されていた喫茶店【ミック】が完全に潰されていました。貴重な資料や作品がたくさんあったと思います。言葉もありません。ご主人は何とか潰された建物の中から助け出されたそうです。恩師の家は建物は大丈夫でしたが、家の中はタンスや食器棚が倒れ、ごちゃごちゃになり、足の踏み場もないないほどで、6日たってやっと片付けて1段落されていました。ただ水はまだ出ないので、湧水や差し入れ等で何とかしないでらっしゃるということでした。高市首相が今日は氷川中学校を訪れ、被災者をねぎらってらっしゃいました。[人的支援をお願いします]と書いた紙を掲げていらっしゃる人を見かけ、お話をお聞きしましたら【介護職員]が絶対的に足りなくて逼迫していると言うことで、必死の思いで通る車にお願いして、その後高市首相が通ったバスに向かっても一生懸命支援を訴えてらっしゃいました。
こんな時は、みんなが助け合って、譲り合って、分け合って、声を掛け合い、親切になり、優しくなります。どこの被災地でもそうです。ありがとうございます。助かります。お互い様です。そんな言葉が飛び交います。避難や後片付け、復旧はまだまだこれからも長く続きます。酷暑の夏です。台風も心配です。熊本の北半分は幸いに、被害も少なく、普通の生活が続けられています。どうかみんなで助け合ってこの困難を少しでもこの後の被害も少なく、具合が悪くなったり、よもや亡くなったりする人が極力出ないように祈るばかりです。

























































