2018年9月25日火曜日

【 月は おぼろに 東山 】〜 今宵は 三條大橋から見る 十六夜か… 〜

【 月は おぼろに 東山 】〜 今宵は 三條大橋から見る 十六夜か… 〜
久しぶりに僕の京都ライブの原点、京都木屋町〈わからんや〉のライブでした。我が家に帰ってきたようです。円町にあった〈どん底はうす〉から数えて33年半。その前は梅津段町にあった〈シャムスン〉(にも世話なったなあ)や〈赤ずきん〉〈サーカス サーカス〉。その後バンドでやる時は、〈都雅都雅〉や河原町三條の〈BIG BANG〉(そんなんもあったなぁ〜)。〈拾得〉〈磔磔〉にも出演させてもらいました。関西フォークの中心。岡林信康、高石友也、加川良、高田渡、フォーククルセイダーズ、杉田二郎、ばんばひろふみ、尾崎亜美、シモンズ、グループサウンズのタイガースやジャズからカントリーまで、“円山音楽堂”“京大西部講堂”、音楽と文学と学生運動のメッカでもあった。『20歳の原点』「京都の秋の夕暮れは コートなしでは寒い位で…」「なのにあなたは京都に行くの〜♪」「京都〜大原三千院〜♪」「やさしい雨の嵐山〜♪」 … 学生時代、高校の修学旅行も京都だったし、大学受験の帰りにも京都に立ち寄り、すっかり京都に憧れ、どっぷり京都の魅力に取り込まれてしまっていた。
34年前、それほど惹かれれていた興味津々の京都から仕事の依頼があったときは、大喜びで東京から通ったものでした。それが僕の運命を大きく変えたのでした。それほどまで大好きだった京都の隣の滋賀に住んで25年。いつでも行けるのに… 京都に来てからずっと僕の音楽を支えてくれていたドラマ−の[五十川きよし]君が亡くなって10年。バンドリーダーでキーボードと編曲をして僕の音楽にアドバイスをしてくれていた[口垣内八州彦]君が亡くなって2年。FM845の番組も5年前に終わり、最近は仕事以外ですっかりゆっくり京都を尋ねることもなくなっていた。世界からたくさんの人が京都に訪れるのにね。もったいないなあ〜。



今夜は久しぶりに初秋の三條大橋をのんびりと歩いてきました。関西空港がしばらく使えなかったせいか、めっきり外国人の観光客がいなくなった印象です。昔のゆっくりした、はんなりした京都が戻ってきたようでした。そんなに外国からの観光客が必要なのでしょうか? 本当の日本の魅力知って、それを味わいたい方は、黙っていても静かに来てくれると思います。ガサガサと薄利多売の量販店のような団体さんをわざわざ呼び込んで、日本の魅力を消してしまうようなことがあれば、主客転倒です。金、金、数、数、得、得、勝、勝、俺、俺、のような経済最優先、強者盲信はもういいんじゃないでしょうか… 。




今夜はとても懐かしいメンバーが特に集まった不思議なライブでした。26日は母が生前、一番大切にしていた日です。何かあるのでしょうか? それとも月のエネルギーでしょうか?
34年前、京都に来た時、大変お世話になった嵐山の喫茶“ヤマムラ”のマスター、今は祇園でスナック〈ギャザー〉をやって、そのママさんと一緒に元気になって来てくれました。あの当時よくお邪魔した花園の喫茶〈ミルキーウェイ〉の美人姉妹も久しぶりに。祇園でスナック〈ペンギン村〉をやって27年、熊本県人会の“荒木大”ちゃんも、“祇園龍馬会”を立ち上げると勇んで来てくれました。玉高の後輩でMC業で長く頑張っている“木下奈穂子”さんも関東から関西へ居を移し頑張ってると報告に来てくれました。そしていつも掛け声で盛り上げてくれる若々しい“松尾朴”さんも退院後初めて来て下さいました。いつも来てくれるその他の方たちもほんとうにありがたく、「嬉しかったなぁ〜」感激のライブとなりました。みんな元気でよかった❗️どうもありがとう。昨日24日も今日25日も、「京都」と「三日月の恋」をしみじみと歌いました。