2020年6月18日木曜日

【 父の日 】〜 ただ父がいてくれること 〜

【 父の日 】〜 ただ父がいてくれること 〜
[親孝行したいときに親は無し!]若い頃に先輩方からよく聞かされていました。ばってん荒川さんもお会いするたびに『父ちゃん母ちゃんな元気しとんなはんね!大事にせんといかんばい!』と声をかけてくださいました。ばってんさんが僕の「生きたらよか」を初めて聞かれたのは58歳の時。僕は40歳。僕の両親は66歳。ご自身の人生を思いながら何かを感じられたのだと思います。『この歌ば歌わせてくれんね!』59歳の時、ご自分の4曲入りのCDに収録され発表されました。それから10年、途中病に侵されながらも最後まで“お米ばあちゃん”を貫き69歳で亡くなりました。
もう僕もそんな歳になりました。母は2年前に送りましたが、父は敬老施設で元気でいます。生真面目な公務員一筋の父親は、家では口数も少なく自分の話はほとんどしませんでした。一方みんなとにぎやかにワイワイするのが大好きで、お酒が入ると歌を歌ったり、「タニシ殿」や「しりとり歌」などお座敷芸は一流でした。根は寂しがり屋だったと思います。「生きたらよか」(帰らんちゃよか)の内容は半分ほどは現実をヒントにしていますが、あとの半分は僕の希望と想像です。『あんたの思ったようにやってみなさい!』と背中を押してくれたのは母の方です。父は慎重な堅実な性格ですので、いつまでも心配していたと思います。自分が現役を退いて時間ができてからは、母と一緒に僕の歌やイベントに来れる限り来てくれました。『今日はよかったなぁ〜!』と喜んでくれるのが1番の励みでした。今は面会ができませんので4ヶ月ほど会ってませんが、職員の方が動画でやりとりをしてくれ、元気そうな姿を見て安心しています。もっと元気な時にゆっくり話を交わしたかったなぁと悔いています。最近『お父さんに似てきたね〜』と時々言われます。何気ないしぐさや行動が、ふとそういえば父がやってたなぁと思いあたるようになりました。
自分がこれから進む道ですが、この年になるまで生きていてくれたことがありがたく思います。父の日を祝う相手があるのが幸せです。