2016年4月9日土曜日

てんごの夢 ~桜のように生きた男の物語~


毎年判で押したように桜の話題でもちきりになる国なんて…なんて幸せなんでしょう。戦争の心配もなく、徴兵もなく、飢餓や飢饉、侵略やクーデターで国を追われることもなく、大部分の人が何とか生き延びていける。自由にものが言え、好きなところに行けて、自由に結婚し何人も子供も作れ、不当に拘束されることもなく、よっぽどのことがなければ犯罪に巻き込まれることもない。こんな幸せな国は他にあるのだろうか? でも幸福感はそれとは別のところにあるのだ。桜の時期に何かが始まると言うのは、やはり日本人のメンタリティーに一番合っていると思う。卒業式、入学式、入社式…情緒的な国民性は良くも悪くも変わらない。控えめな色合い、決して主張しない、一斉に咲き一瞬にして散る。そんな桜と共感するところがあるのだろう。
僕が特に桜と縁が深くなったのは15年前、岐阜の【荘川桜】と出逢ってからだ。この桜にはただきれいなだけではない、深い人々の悲しみの歴史と願いが込められていた。高度成長の昭和35年。御母衣ダムが作られ、ダムの底に消える村を追われた人々の、唯一の思い出の二本の桜だった。移植も大変だった。たくさんの人々の思いを背負って生き返り、再び花を咲かせた。多くの人々に安らぎと希望と力を与え続けている荘川桜。元国鉄バスの車掌[佐藤良二さん]は名古屋から金沢まで260kmの〈桜のトンネルをつなげよう〉と言う夢を抱いた。47歳で夢半ばにして亡くなったが、奥さんの[八千代さん]は美濃白鳥で、『てんご』と言う民宿を元気で続けていらっしゃる。佐藤さんの思いを乗せた実生の桜たちは、全国で今も花を咲かせています。
今年も荘川桜はゴールデンウィークの頃に、きれいな花を咲かせてくれるでしょう。“人々が仲良く暮らせるように… 平和な世界と幸せを祈って…”

※最後までご覧いただくとなつかしい映像があります・・