2018年10月4日木曜日

【 故郷を出てから 45年… 】〜♪ 東京へは もう何度も行きましたね♪ 〜

【 故郷を出てから 45年… 】〜♪ 東京へは もう何度も行きましたね♪ 〜
日本体育大学に落ちて、国士舘大学に入学させてもらい東京での一人暮らしが始まった。自分一人では何もできなかった18歳の少年の大人へのプロローグだった。結局、第一志望の体育教師への道には進まなかったが、音楽の世界に足を踏み入れ、その魅力に引き込まれ、多くの人に出逢い、助けられ、支えられ、導かれてここまで歩いてこられたことに心より感謝しています。その出逢いのピースが一つでもかけていたら、僕はここにはいないだろう。そんな大きなピースの大切な人たちが今日も渋谷の[らんたん」に来て下さった。この店は以前円山町にあり、紹介してくれたのは、1978年、当時働いていた音楽事務所“バードコーポレーション”の仕事の関係で知り合ったN君。オーナーの小川さんやマスターの竹内くんは相変わらずあの頃のまま、今も暖かく迎えてくれる。1979年、デビューしてからお世話になったKラジオ局やラジオのDJへの道を開いてくれたK番組制作会社の人。デビュー以来ずっと応援して下さる人々。荒尾市の“S小代窯”で偶然出逢い、名古屋でのライブのきっかけを作ってくれた書家Hさん。「稲むらの火」を教えてくれ、今も防災に自分の人生を捧げているKさん。9年前、僕の「生きたらよか」を歌い、福岡から東京に出て7年、ずっとプロ歌手で頑張ってる I さんとご両親。大学、玉名高校の同級、同窓の面々… 。 その一人一人との出逢いが今の僕を作って入れている。そして、今日初めて来てくれた人は、これからの僕への人生に何かしらの影響を与えてくれるだろう。こんな、それぞれの顔が見えるライブを続けて来ることができて、僕はほんとうに幸せだ。今日もありがとうございます。このような場所が各地にある。こんな人生を続けて来年で40年を迎える。