2011年8月27日土曜日

8/27 横浜「防災フェア」

毎年行われている横浜赤レンガ倉庫一帯での防災イベント。
会場は特に岩手、宮城、福島県の物産ブースが注目されにぎわっていた。
特設ステージで約30分のライブ。
パーカッションの松藤一英もボランティアで応援に来てくれ、被災地の最新の現状報告も交えながらの皆さんへの防災と支援のメッセージを訴えた。




2011年8月26日金曜日

8/26 広野町

「緊急避難準備区域」広野町。
あいまいな設定だ。福島第一原発から20Km~30Km。
避難を強制しないとはいえ、人口の5%しか残っていない。
町の僕の大学の同級生は、ずっと住み慣れた家に居る。
放射線量計を買い、毎日家の周りを計測しながら静かに抵抗を続けている。
店も閉まっているので、40分もかけ夕食のおかずを用意してくれ、二人で暗く静けさに包まれた生活感のまったくない町の一角で酒を飲み交わした。
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ちょうどこの日、双葉町、大熊町の一部の方が原発事故の避難以来初めての一時帰宅が2時間だけ許され、その姿を町の体育館から見送った。
白い防護服姿。こわばった不安そうな表情・・・。悲しみと怒りが込み上げて来る。

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2011年8月25日木曜日

8/25 福島 土湯温泉

6月に訪れた時は浪江町からの避難民の方が600人以上いらっしゃったのが、現在はほとんどが緊急仮設住宅へ移られているので、その時のリーダーだった亀田さんを訪ねて仮設住宅の集会所へうかがった。小雨の中50名ほどの方が待ってて下さいました。
少しほっとした様な・・・
でもこれからの暮しと、まだいつ帰れるかもわからない不安もかかえながらの再会に胸があつくなった。
たまたま滋賀県の医療グループが巡回で来られていて、一緒に「琵琶湖周航の歌」を歌った。
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夜は同じ小滝温泉に泊まらせていただき、おいしい食事とあたたかいおもてなしと温泉につかり、
少し疲れ気味の体を休ませてもらいました。
小滝旅館の皆様、そして紹介下さった京都の坂田さん、ありがとうございました。

※6月の訪問時、土湯温泉に避難されている方を「双葉町の方々」と紹介していましたが、「浪江町の方々」でした。ここにお詫びして、訂正させていただきます。
大変申し訳ありませんでした。

2011年8月24日水曜日

8/24 相馬

相馬市役所内の「さいがいFM」に2度目の出演。
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今日は全身防災服の方がお世話をして下さいました。
孫2人と奥さんと4人で避難の途中、奥様を亡くされた。
それから3ヶ月ずっと1日も休まず、遺体安置所に通い、遺体確認のボランティアを続けられた。
妻への鎮魂と、生き残った自分の役割と・・・。

夜は幸いにも被害の少なかった“蒲庭館”の大広間をお借りしてのコンサート。
肉親を亡くされた方、仮設に暮らし始めた人、復旧の応援に来た九州の方などでした。
夜の静けさ、潮騒、5ヶ月前、本当にあの大地震や大津波がほんとうにあったんだろうか?
夢であって欲しかった・・・・・
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2011年8月23日火曜日

8/23 気仙沼 大船渡 山田 大槌

石巻は母校玉名高校の先輩に、前回に続きお世話になりました。
6月に見た運動公園に自衛隊の仮宿舎はなく、そこに仮設住宅が並んでいました。
ガソリンスタンドの女性は大川小学校で助かった生徒のお母さんでした。
明るく元気に働いていらっしゃるのでそんなこと想像さえてきません。
106名のうち助かった32名の1人。まだ見つからない方もいらしゃって・・・。胸が痛む。

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2011年8月22日月曜日

8/22 宮古 田老 釜石

二度目の釜石。もうほとんどの避難所が仮設住宅に移られていました。
老人施設を2ヶ所たずね、一緒に昔なつかしい歌を歌いました。
多くの方が住んでいた家が流され、もう帰る所がないと悲しそうに話されていました。
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2011年8月21日日曜日

8/21 道の駅「風の丘」にて

この日は24時間TV「愛は地球を救う」の日。
昨年は熊本でお手伝いをしましたが、今年はこれまた“縁”の息子さんのお世話で遠野のスーパーと道の駅「風の丘」の2カ所で、募金を呼びかけるサプライズライブを開かせていただきました。

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会場の道の駅の名前は「風の丘」

2011年8月20日土曜日

8/20 遠野

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 北上川河畔に建立された歌碑

遠野は3度目。みんなの宿“縁”ゆかりは、本当に多くの縁を下さいました。
今回は昔はプロのミュージシャンを目指した頃もあったという息子さんの計らいで、この宿のロビーでのコンサートが実現しました。
お母さん、お姉さん
心暖まるひとときをありがとうございました。
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2011年8月19日金曜日

8/19 秋田

秋田は地震の被害はほとんど聞かず、まったく普通の生活を続けていらっしゃいますが、被災地の方が避難されたり、やっぱり重く静かな雰囲気でした。
昨年に続き2度目のライブでした。

2011年8月18日木曜日

8/18 仙台 亘理 名取

一ノ関の酒屋さんは龍馬会つながり。
多くの酒のビンが倒れ、大きな被害を受けられました。
江刺の何度かのライブをさせていただいたお店もほとんどのビンが割れ、これを機に店を閉められました。

2011年8月17日水曜日

3.11東日本大震災 被災地訪問「鎮魂と希望のコンサート」Ⅱ

8/17(水)
5ヶ月を過ぎ、初めてのお盆を迎えても、心の痛みが癒される訳もなく、将来への不安はかえって広がる一方です。
特に原発の放射能汚染の拡大は予想をはるかに越えるものでした。
2回目の訪問は、1回目の時にお会いした方との再会と行けなかった所をたずねるのが目的でした。

会津若松は故郷荒尾で幼い頃通っためぐみ幼稚園との御縁でした。
50年以上前のかつての教室や教会の一部おもかげの残る園の現在の牧師さんの故郷が会津若松なのです。
弟さん夫婦がされている“魚園”は自然がそのまま残る中の料理屋さんで、とても暖かく迎えていただきました。

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2011年8月16日火曜日

2011.8.15

暑い夏だ。これまでになかったような体の芯まで染み入る暑さだ。
日本人に何かを訴えている様な気さえする。
3/11を機に何かに気づいただろうか?
戦後の日本を振り返り、日本のこれからを真摯に考え、何かが変わるだろうか?
早く元気を取りもどし、日常に帰って復興をめざすというのは、早く忘れて表面的なおふざけで明るさを装うことではなく、他者を思いやり、悲しみやつらさを共有し、今自分にできることを無理なく精一杯やってみることじゃないだろうか?
せめて一年に一度8/15、終戦の日の正午、日本人の多くが黙祷を捧げることを続けるのはむずかしいのだろうか?
戦没者慰霊式典と甲子園だけじゃなく(もちろん個々でされている方も多いが)昼のワイドショーや笑っていいともでも、駅やスーパーや商店街でも、日本人全体が共感していたらすばらしいだろうなって思う。

初めてのお盆を迎えた被災地の皆さんの気持ちはどうなんだろう。
少しずつ記憶から遠ざかってはいないだろうか?
大切なものを見失ってはいないだろうか?
何かを思い出す、大事なきっかけを逃すことにならないだろうか?
ふるさとを、家族を、祖国を、平和を・・・。
広島、長崎の原子爆弾で、あの日亡くなったとされる方の約10分の1の方が3/11の地震、津波で尊い命を亡くしたり、未だ行方不明のままなのだから・・・。

17日から二度目の被災地を巡る旅に出発します。東北も暑い・・・

0814nara.jpg 燈火会音楽フェスティバル 2011~燈々無尽~ 2011.8.14 奈良にて

2011年8月11日木曜日

甲子園の後に・・

京都・伏見「坂本・龍馬 夢らいぶ」

~勝負は時の運~  2011年夏 甲子園

ただその時に勝つか、負けるかにはちゃんと理由があってその大事な宝物を手に入れた方が、普段の力を平常心で出せたほうが勝利を呼び込むことがてきるのだ。
惜しくも専修大学玉名高校は、県予選のような落ち着いた自信に満ちたプレイが出せないまま終わってしまった。これが初出場のプレッシャーだろうか?
でも、よく頑張ったと彼らを讃えよう。
玉名の名前を全国に轟かせてくれた。ありがとう専玉!
懐かしい県人に何人も会えたよ。甲子園の独特な雰囲気。
球場の回りの屋台,ショップ。全国の方言が飛び交う。
ここはまさにお祭りだね。
日本の故郷がある。ふるさとの匂いがするんだなあ~。

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