2016年8月28日日曜日

【 ようやく38年目に歩き出しました 】〜 故郷から被災者と共に…… 〜

【 ようやく38年目に歩き出しました 】〜 故郷から被災者と共に…… 〜
4月24日に予定されていた『デビュー37周年コンサート』が熊本地震のために延期されていましたが、8月28日の今日、ようやく完結することができました。最初のチケットを忘れずに、根気強く待っておいでくださった方。雨の中8月最後の日曜日をわざわざたくさんの方が足を運んでくださいました。会場はなんと満員の盛況となりました。本当にありがとうございました。
[福山ベーカリー]さんから、有名な“メロンパン”の差し入れもいただきました。いつもお世話になっております[桜ゆりかご会]の皆様から花束をいただきました。名物の荒尾梨農家の[菰田休]さん、有明新報の[菅島くん]とお母さんからは梨を。24時間テレビでお忙しいKKTの報道カメラマン[松下龍一]さん。[中逸長洲町町長]ご夫妻、荒尾市商工観光課他の皆さん、[那須良介]荒尾商工会議所会頭、西村誠恩師、同級生皆さん、詩吟の岳翠会、星めぐみ幼稚園園長様、1週間前に奥様を見送られた[菅井幸夫]さんは京子さんの遺影を持っておいでくださいました。とにかく、デビューの頃からずっと応援してくださる方、僕を小さい頃から知ってる方から、今日初めて生の歌を聞いてくださった方まで、本当にありがとうございました。
音響の遠山クン、村上さん、照明の徳富さん、舞台の渕上さん、素晴らしいステージを演出してくださいましてありがとうございました。本当に気持ちよく心を込めて歌うことができました。やっぱり故郷のコンサートは、ひと味もふた味も違うとしみじみと感じました。たくさんの募金もいただきました。入場料の一部と合わせて、熊本地震への義援金を30日に後援をいただいた荒尾市を通じて日本赤十字にお届けしたいと思います。
《 まだまだできる事は、みんなと一緒にがんばるけん❗️
















2016年8月27日土曜日

九州新幹線“さくら”で桜島へ

【 九州新幹線“さくら”で桜島へ 】〜 鹿児島が近くなったなぁ 〜
若い時は、東京から急行〈桜島〉で20時間以上かかって熊本まで帰っていました。今は熊本から新幹線で最速50分ほどです。トンネルと防音壁で見られる景色がごく限られてしまいました。今日も[桜島]は錦江湾を眺めながら、ドンとたたずんでおりました。僕が初めて鹿児島でライブをしたのは、今から35年前、〈天文館〉通りにあったライブハウスでした。名前も忘れてしまいましたが、その頃大変世話になった“南日本放送”を訪ね、今も現役で番組を持ってらっしゃる[横山欣司アナウンサー]と30数年ぶりに再会することができました。(9月27日には南日本放送の番組が決まりました)。路面電車とアーケード街と天文館。街の落ち着きは今もさほど変わってないような気もしました。大船渡でも立ち寄りましたが、ここにも“屋台村”が人気があって賑わっていました。お昼は海鮮酒場〈こころ〉でマスターオススメの“海鮮丼”をいただきました。うまかったなあ〜。市内のビル群から見上げる夏の終わりの空です。桜島は霞んでいましたが、まだまっ青な夏の空です。朝ドラ「あさが来た」で[ディーン藤岡]が演じた事でも人気が出た、薩摩生まれの大実業家[五代友厚]の銅像と出くわしました。現在、彼の波瀾万丈な人生と素晴らしい人間性を描いた映画が製作されていると言うことです。肥後八代生まれの偉大な石工[岩永三五郎]が築いた、見事な美しい石の橋(西田橋)が市内に残されています。
ライブは、天文館の繁華街のただ中にある《シェルター》。音楽が心底大好きな音にこだわっているマスターがいろんな人にステージを解放していて、夜な夜なここで生の演奏がされいるそうです。今回も徳之島出身のサックス奏者[吉澤レイモンド武尊]くんが数曲サポートしてくれました。熱いライブの後はさらにに熱い打ち上げです。天文館は不思議なほどたくさんの人で賑わっていました。前回のライブの後に盛り上がった居酒屋〈のすけ(ダイスケオーナー)〉の壁には、その時のサインが残されていました。ちょうど1ヵ月前だったんだ〜。今回も中学校の親友[園木俊郎]クンも、渋谷の“らんたん”にも来てくれた歌手を夢見ている女性も里帰りを利用してわざわざ来てくださいました。来月の27日には姶良市と鹿児島市内でのライブ、10月1日にはホールでのコンサートと急に薩摩とのご縁が広がってきたようです。さぁ、明日28日はいよいよ4月から地震のために延期されていた[デビュー37周年のコンサート]が生まれ故郷の《荒尾》で開かれます。暑さは少し和らぎました、台風がちょっと僕を気にしているようです…



















2016年8月25日木曜日

たんと~SORaへ飛ぶ

【 たんと~SORaへ飛ぶ 】~ 博多の中洲でのお客を泣かす? ~
大牟田に新しく出来たコミュニティー〈FMたんと〉に2度目の出演を“たんと”して、鹿児島本線快速下関行きで博多に向かいます。途中、筑紫平野の緑の稲と青い空、白い雲のコントラストが旅の心を高揚させてくれる。博多は10ヶ月ぶり。デビューから10年くらいは、よく夜の街にくりだしてたな~。久しぶりに明るいの中洲を散歩しました。ネオン街しか思い浮かばないけど、昼の中洲も素敵です。水上公園が今年新しくなって、那珂川を見渡せるおしゃれなテラスが出来てました。(“テラス”づいてるなあ~)ライブハウス《 S.O.Ra 》のあるビルもなかなかの個性的な店がいろいろあります。店の前にはギターショップがあります。今夜も玉名高校の先輩グループ、同級生、熊本、北九州、大分からは先月、滋賀のチャリティーコンサートに来てくださった[A・KE・MI さん]のグループもありました。マスターは“人吉”の方です。終わってからレッスンを終えて、時々僕をベースやギターでサポートしてくれる[児玉康成]クンが駆けつけてくました。うれしかね~。今夜も酒がうまかね~。みなさんありがとうございました。
「[日田兆クン]はもう帰っと? ほんなら[柿内順也クン]、荒尾まで送ってもろてよかろか!」。明日は鹿児島たい!









2016年8月24日水曜日

【 歌え若者!】〜「スマッシュ イレブン 」〜

【 歌え若者!】〜「スマッシュ イレブン 」〜
僕の音楽との大きな出会いを作ってくれたのはラジオの深夜番組だった。全国的には「オールナイトニッポン」があまりにも有名だが、熊本で、それも1番福岡に近い荒尾で育った僕には、福岡のラジオ番組にずいぶん刺激を受けたものだ。その中でも今も強烈に覚えているのはKBC九州朝日放送の「歌え若者」(岸川均ディレクター)と、RKB毎日放送の「スマッシュ イレブン」(野見山実ディレクター)だった。それぞれがアマチュアのバンドやフォーク歌手のオリジナル曲での生演奏や音楽の紹介、プロへの登竜門のような番組だった。中学から高校時代の僕は、実力も度胸もなかったので、それらに出場するなんて考えも及ばなかったが、毎週欠かさず楽しみに聴いていた。この偉大な2人の名物ディレクターは福岡からプロとして飛び立っていった井上陽水、チューリップ、海援隊、甲斐よしひろ、石橋凌、シーナ&ロケッツ、チャゲ&飛鳥、長渕剛… 多くのアマチュアミュージシャンを発掘して後押してきた方です。伝説のライブハウス〈照和〉ともつながります。福岡は憧れの大都会でした
今回はそのKBCのお昼の人気ラジオ番組に生出演。岸川ディレクターが[ばってん荒川さん]との名コンビで長年続いた人気公開生番組の『ふれあい天国』(僕もずいぶん出演させていただきました)の話や、「帰らんちゃよか」の話に花が咲きました。奇しくも10年前、平成18年の10月22日ばってん荒川さんが69歳で亡くなりました。後を追うように岸川均さんも11月17日に69才で亡くなられました。僕は大変お世話になった大切な方を、ひと月もしないうちにお二人見送ることになりました。今年はそのお二人の、10年忌を記念するそれぞれの特別番組やイベントが計画されています。そんな思い出深い《博多で明日はライブ》です。
写真1・・九州朝日放送「ガブリナ」のパーソナリティー、トコさんと児玉育則さん、
写真5・・ NHKのど自慢で「帰らんちゃよか」を歌って鐘2つだったのは、右から3人目に座っている[上田新一]クンで、僕の中学校の後輩でもあり、弟と同級生です。その夜、上田クンの同級生に、今年2人とも米寿を迎える僕の両親も、弟の同級生だから知らないわけじゃなし、情報を嗅ぎつけて合流し、これまた弟の同級生同士がやっている鉄板焼きの店なかなかうまい〈うまかもん〉でささやかに「帰らんちゃよか」のど自慢歌唱記念のお祝いをしました。









2016年8月22日月曜日

オリンピックは素晴らしい感動の宝箱でした!

【 オリンピックは素晴らしい感動の宝箱でした 】~ 新しい未来の平和の形を予感させます~
たくさんの感動のドラマを残して無事オリンピックが終了しました。様々な不安や心配が取り沙汰されていましたが、南米大陸初の《リオデジャネイロ オリンピック》は大成功だったと思います。(細かいところはこれから検証していくとしても…)リオとブラジルの皆さんに感謝とお祝いの拍手を送りたいと思います。日本国外で1番多い約160万人とも言われるブラジルの日系人の喜びも大変なことだったと想像します。特に今大会の万人の活躍ぶりには国の人口の1割近くを日系人が占めるわけですから、我が事のように応援し喜んでくれたことでしょう。
1908年に日本人のブラジル移民が始まり、6年前に初めて伺った時は、たくさんの日系人の方、とりわけ熊本県人会の方には大変歓待していただきました。『帰らんちゃよか』は、祖国を思う望郷の歌として皆さんに親しまれていました。あの時僕をブラジルまで呼んで下さった、玉名高校の1つ先輩《堤寿彦、早苗ご夫妻》は、今頃コパカバーナあたりでおいしい酒でも飲んでるんだろうか…
国を越えて、民族を超えて、宗教を超えて、イデオロギーを超えて、国境を越えて、性別や年齢も越えて、この後にパラリンピックが引き続き行われるわけですから、障害をも乗り越えて、それぞれの多様性を理解し、認め合い、尊敬し、受け入れる広い心が根付いて、子供たちに引き継がれていけば、決して将来は悲観的ではないと信じます。
メダリストもそうでない人も、実力以上の力を発揮できた人も普段の力が出せなかった人も、幸運な人もついてない人も、全てが素晴らしい。鍛えあげられた肉体は美しい。研ぎすまされた精神は修行僧のようだ。静と動、戦闘体勢とコンセントレーション、人間はなんと美しいのだろう。僕は9歳のときに第18回東京オリンピックを見て真のスポーツに魅かれるようになった。その後中学、高校での体験から体育の教師を目指すようになっていたのだ。その気持ちは間違っていなかった。努力すれば伸びるんだ。可能性は際限がない。答えは正直だ。夢を掴むことだってできるんだ。でもそれが全てでは無いことも理解していなければいけない。夢のような17日間は素晴らしい光と映像とブラジルのダンスと音楽で彩られた感動の閉会式で幕を閉じた。さあ4年後は二度目の《東京オリンピック》だ。また夢が広がるなぁ~ 元気でいなきゃなあ……
写真・・2010.10.28 - 11.1 ブラジルにて