2017年2月26日日曜日

【 動き出さなければ 始まらない 】~ たくさんの人たちに支えられて… ~

【 動き出さなければ 始まらない 】~ たくさんの人たちに支えられて… ~
25年前に、出会うべくして出会った[スタジオBOSCO]の森 崇。今回のレコーディングでもミキシング、オペレーター&録音ディレクターをお願いしています。アレンジと演奏は音楽ディレクター&ミュージシャンの[宇戸俊秀]。ギターは神奈川県からからわざわざ参加してくれた[佐藤克彦]です。さあてどんな仕上がりになるでしょうか?乞うご期待! また新しいサウンドが生まれました。この情熱がある限り、作り続けます。






明日は世界最大の映画祭、グラミー賞がロサンジェルスで発表されます。二二六事件から81年。もう語る人も少なくなってきたなあ~ 昭和も遠くなりにけり…

2017年2月25日土曜日

我が家から1キロのところにスキー場があるのだ!

【 我が家から1キロのところにスキー場があるのだ!】〜 23年目にして初めて訪れました 〜
ここは雪国なのか❗️。京都から30分。標高1,103メートルの比良山系の打見山。[琵琶湖バレースキー場]です。こんな素晴らしい場所があるのにここに越してきて初めて来ました。これも昨年8月11日の山の日に、ここに新しく生まれた[琵琶湖テラス]で山の歌「山にむかいて」を歌ったことが引き金になりました。冬の間はテラスには下りられませんが、山頂からの風景は相変わらず絶景でした。そして、雪の多い今年の冬は、全コース滑降可能で、家族連れから若者たち、外国からの人など、スキーを楽しむ人で大変な賑わいでした。この度は東京から、僕の音楽アレンジャーでピアニストの[宇戸俊秀くん]が来訪してくれ、また近くの[BOSCOスタジオ]で新しい歌のレコーディングをすることになりました。さぁこんな真冬のすばらしい環境の中で、どんな新しい音楽が生まれるでしょうか? どうぞ楽しみにお待ち下さい。夢は広がるばかりです…。






 
















2017年2月23日木曜日

龍馬館は龍馬と向き合う場所

【 龍馬館は龍馬と向き合う場所 】〜 もうひとつの 京都マンスリー 〜
龍馬さんが亡くなって151年。大政奉還から150年。来年が明治維新150年だ。寺田屋を始め、鳥羽伏見の戦い…酒蔵…疎水を通り大阪へと物資を運んだ三十石船など、ここ京都伏見には江戸から明治へと激変する時代の匂いが未だに漂っている。ここでのライブを続けている理由は、京都の風情の残る、中心地にある[わからんや]と違い、京都の南のはずれ、新しい時代を模索していた地方の藩士たちが、理想を掲げ、まっすぐに、熱く、命を燃やした場所だからだ。今でも、歌っていると、ふと当時の志士たちの息遣いや話し声が聞こえた気がする時がある。「僕自身が見られているのだ。試されている気がする。」そんな気持ちがするうちは、ここでもう一つのマンスリーライブとして続けていきたいと思う。音響を一切使わない、アンプラグドのライブです。この辺りはなかなか味のある街です。酒も美味いです。飲み屋さんがいっぱいです。会津も土佐も薩摩も長州も肥後の若者たちも、ここいらでずいぶん飲んで議論したんだろうなあ〜。まあ、何かのついでに、ぜひぶらりとお出かけ下さい。戦前の古い大きな梁のある民家を改築した、何の飾り家もない気さくなところです。今夜は盛り上がって、突然ダンスを始めるお客さんもいらっしゃいました。




今日2月23日は皇太子殿下の誕生日ですが、近くの[醍醐寺]では、“五代力さん”と親しまれている[五代力尊仁王会]があり、“餠上げ力奉納”という巨大餠を持ち上げての力比べで賑わいます。僕の知り合いの[FM 845の宇佐美美希さん]は8年越しの悲願が実り、執念の上位入賞を果されました。ちなみに男性は150キロ、女性は90キロの餅を持ちあげるのです。… 凄い!❗️

2017年2月21日火曜日

歌い続けること 続けられるということ…

【 歌い続けること 続けられるということ… 】
~ ホームグラウンド…故郷… 親友…家族…一緒に人生を歩いてゆける大切な人 ~
いつでも帰れる場所がある。いつも待っててくれる人がいる。いつでも安心して帰ることができる。そこでは素の自分でいられる。心地よく居心地が良い。自分を理解してくれ、優しくそして厳しく見守ってくれている。そんなところだろうか…
僕が38年の歌人生で一番数多くライブをしている、僕のライブ活動のスタート場所でもある。京都では33年前から歌い始めました。その時のオーナー池野さんも店長の嶋ちゃんもそのままなのです。円町にあった[どん底ハウス]がすべての出発点です。[アザーサイド]にも名前が変わった時もありました。堀川今出川~竹間公園~先斗町~蛸薬師~そして今の木屋町六角です。僕もスタッフもそしてお客様もみんな歳を重ねて、でも3階まで狭い急な階段を登って来てくださいます。この場所がいいのです。ここに集まる人がいいのです。この店のある場所が好きなんです。ある時は鴨川の恋人たちを見ながら三条大橋を渡って、ある時は新緑の御池通りから寺町を抜けて、またある時は四条河原町から人ごみの新京極を通り、たまには先斗町の歌舞練場を横切り、そして桜咲く、枯葉舞う高瀬川を見ながら木屋町通りから… 。ほぼ毎月なので、四季折々の京都の風情を楽しみながら店に到着する。僕のホームグラウンドだ。ここに来ると原点を取り戻す。僕を育ててくれた店だ。これからも、僕が歌い続ける限り、ここでのライブだけは続いてゆく。どうぞ一度お出かけ下さい。3階まで歩いて上がる気力がある方は…






2017年2月20日月曜日

『生きたらよか』

1⃣ ⭕️『生きたらよか』は➡️ 2⃣ ⭕️ “かえらんちゃよか” 〜 『帰らんちゃよか』は➡️ “かいらんちゃよか” 】
【 “どこかの だれかれが”は ➡️ 3⃣ ⭕️ “あそこの だれかれが “ 〜 “お前の 思おた通りに 生きたらよか ”は ➡️ 4⃣ ⭕️ “お前は 思おた通りに 生きたらよか” 】
 『帰らんちゃよか』が誕生して23年になる。[ばってん荒川さん]がこの題名を付けて下さいました。名づけ親です。元々のタイトルは『生きたらよか』。人生に…物事に… ほとんどこだわりのないと思ってきた僕が、何故かこだわり続けた4つです。聞き流せばどちらでも良いように思いますが、今思うとやはりこちらがしっくりくるのです。
今日、同じ熊本の人吉出身で演歌歌手の[塚原啠平くん]から連絡がありました。「 関島さん!これはどっちが正しいのでしょうか? 」啠平くんは「帰らんちゃよか」をレコーディングしCDとして発売するそうです。(もちろん各方面に了承を得ての正式なことです。)僕も『島津亜矢さんの事務所やレコード会社がオーケーされればいいよ』と了解しました。さぁどんな出来栄えでしょうか? 「哲平くんの歌いたい言葉を選んだらいいよ!」と答えました。とても楽しみにしています。
今はカバー曲がよく歌われます。でも本家を超えるようなものは見当たりません。“紅白”でも未来に歌い継ぐ名曲などと、かつての歌を歌います。それを超える名曲が生まれてないんでしょう。“試合放棄”です。ぜひ、今だから、この時代だからこそ作れる、歌える、歌わなければ、伝えなければいけない歌を作って欲しいものです。はい、僕もその仲間の1人です。
 今日は大津市役所で、3月4日と3月10日に行われる、東日本大震災および熊本大地震応援イベントの【プレス発表】があり、4社の新聞社が取材に来てくださいました。新曲発表か何かの記者会見のようです。ハハハハハ…。どの新聞にどのように紹介されるかはわかりませんが、6年間続けてきた被災地への鎮魂の祈り【一希一灯会】が少しずつ認知され、評価されてきた結果なのかなぁと嬉しく思います。ぜひ当日は足をお運びいただけたら幸いです。
▼まつうらようこ さんプロフィール




2017年2月19日日曜日

【 ふるさとの同郷会で大宴会❗️】 〜 遠くにあれば 思いはつのる〜

【 ふるさとの同郷会で大宴会❗️】 〜 遠くにあれば 思いはつのる〜
毎年2月に大阪で行われる関西荒尾会。この会の立ち上げに当たって僕もそのメンバーの1人でした。7〜8人で、天満の一杯飲み屋で話したことを今もよく覚えています。森本茂三郎さん、小代教乗さん、荒木剛さん、お亡くなりになった、かつての名門玉名高校駅伝選手だった涙もろい島啓之介さんもいらっしゃいました。誰かが言い出して始めなければ生まれない。誰かがお世話をしなければ続かない。もう18回目となりました。ありがたいです。貴重な会です。必ず荒尾市長は参加されます。歴代の北野市長、前畑市長、山下市長、そして2月5日に誕生したばかりの浅田新市長も参加されました。皆さん故郷のことを想い、故郷の発展と平穏を願っています。子供たちに素晴らしい故郷を残したいと願っています。10代で故郷を離れ何十年。故郷が遠くなります。その分故郷への思いは深くなり、幼き日の思い出はいとおしくなります。“帰らんちゃよか”が身に染みます。今日だけは皆さん、心は故郷に帰りました。少年、少女の顔に戻ります。また今日も大宴会となり、みんなで[炭坑節]を踊りました… (熊本では、2年前に参加した熊本城マラソンが盛大に開催されました)
故郷の[荒尾高校]と[南関高校]の閉校式が3月1日に行われます。















▼関西荒尾会詳細
http://www.kansai-kumamoto.com/kamei/furusato/arao