2019年6月29日土曜日

【 ありがとう 坂本・龍馬夢ライブ 】 〜 120回目の完結 〜

【 ありがとう 坂本・龍馬夢ライブ 】 〜 120回目の完結 〜
足かけ15年、京都伏見の“龍馬館”で続けてきた[坂本・龍馬夢ライブ]が今回をもちまして、一応“終了”と相成りました。伏見にスタジオがある〈FM845〉のレギュラー番組をきっかけに、せっかく木曜日に伏見に来るんだからと、〈竜馬通り商店街〉のご協力をいただきほぼ毎月のように続けてきました。春の30石船に乗っての[桜を愛でる会]11月15日の坂本龍馬生誕を祝い、命日を偲ぶライブ。商店街のお祭りに参加したりと、楽しい時間を積み重ねてきました。これも1998年に荒尾で開催された《全国龍馬ファンの集い》の際に作った龍馬を讃える歌『龍馬の夢』が始まりでした。その後、滋賀県に《近江の風 龍馬夢倶楽部》を立ち上げ、今年の5月に[全国龍馬社中 近畿・北陸ブロック会議]開催することができました。龍馬会の皆さんにも随分後押しをしていただきました。しかしながら、このライブのきっかけは全く別のところから生まれたのです。15年ほど前、番組を聞かれていた坂本さん、通称“さか”さんがされていたスナック〈さか〉におじゃますることになり、ファンの方も増え、近くにとそんな場所がないかと探していただいたのが龍馬館でした。しばらくして、“さか”さんが体調を崩され、僕のライブを聞くのが支えだと言ってくださり、ライブのタイトルを[坂本・龍馬夢ライブ]と名付け、回復を祈って毎月続けてきました。体調は少しづつ悪化し、一人で階段を上られるのも大変で、最後は奥さんの手を借り、酸素ボンベで酸素吸入をしながらも『秀樹の歌を聞くのを励みに病気と戦ってる!』とおっしゃって下さり頑張ってらっしゃいました。その“さか”さんも亡くなり、お世話になった方々、お店も随分変わりました。ちょうどいい頃合いかとこれを機に一旦店じまいをさせていただきました。勝手なわがままで、楽しみにされてたファンの皆様には本当に申し訳ありません。でも歌は続けますし、またなにかの特別な機会に『龍馬夢ライブ』ができると思います。それを楽しみにお待ち下さい。長い間お世話になりました。この日は久し振りにお酒を飲みながらのライブで、終わってからも皆さんと別れを惜しみました。ありがとうございました。今日は、これも長らくお世話になった、奈良〈ビバリーヒルズ〉のラストライブです。






2019年6月18日火曜日

【 命を守れ!命を捨てるな!命を育め!】〜 どうしたんだこの日本は!〜

【 命を守れ!命を捨てるな!命を育め!】〜 どうしたんだこの日本は!〜
真面目にコツコツと定年まで働いて、安心して余生を過ごせないらしい。引きこもりが100万人を超えてるそうだ。いじめ、不登校、DV、様々なハラスメント。街に出ると多くがスマホの世界に入り込んで、周りを気遣うこともない。ほとんど目を合わせない。マニュアル通りの受け答えや笑顔はうまくなったが、顔立ちもファッションもスマートになったが、心が伴わない。若く元気そうなのに我先に椅子に座る。「すいません、ごめんなさい」も言える人が少ない。それは大人も同じだ。僕らの頃は《三無主義》と言われた。無気力、無責任、無関心… その後は《シラケ世代》とも言われた。でもここまで無節操ではなかった。常識や限度は知っていた。お年寄りや先輩、親は敬うし、信じられるものがあった。必ず正義の味方がいた。情熱も純情もあった。人の心、命、それぞれの人生を大切にしていたと思う。ラガーマンだった古瀬鈴之佑巡査の命を助けてください! 滋賀の交通事故で重体の子供さんを元気にして下さい!
今日はなんてきれいな満月でしょう。世の中の諍いや事件、事故が嘘のようです。

🚂 先日初めて熊本三角線の“A列車”に乗りました。《A列車で行こう!》です。天草や不知火の島々や碧い海も素晴らしかったです。







肥後の大津(おおづ)で“豊肥線”を歌でつなぐ復興コンサートがありました。大分[竹田高校]と[大津高校]の素晴らしい吹奏楽の演奏でした。子供たちは地球の未来です。希望なのです。次の日は《京都大分県人会》にお邪魔しました。






🍶 遡りますが、滋賀草津の[太田道灌]ゆかりの〈道灌蔵〉で近畿・北陸ブロックの《龍馬会》が開かれ、協賛のライブをしました。







また、日本画家[鈴木靖将]先生の個展が〈伊吹薬草の里〉で開かれていたので行ってきました。病から復活され少し痩せられましたがお元気でした。僕は初めての伊吹山に温泉もあり感動です!





相変わらずあちこちで歌ってはいますが、いよいよ恒例ライブの最終回が迫ってきました。
🎤 6月27日京都伏見はちょうど120回目の[龍馬館]。29日奈良は約25回目の[ビバリーヒルズ]。7月2日京都木屋町では通算300回以上の[わからんや]。そして最後が7月7日滋賀浜大津のほぼ20回目の[旧大津公会堂]です。それぞれに軽いお別れ会をしたいと思っています。全くやらなくなるわけではありませんが、40周年を機に一区切りです。どうぞぜひお出かけください❗️

2019年6月3日月曜日

【 竹林と木々に守られ、包まれて… 】〜 木漏れ日と渡る風、葉音と鳥の声が… 〜

【 竹林と木々に守られ、包まれて… 】〜 木漏れ日と渡る風、葉音と鳥の声が… 〜
大阪の街の中にこんな静かな落ち着いた小さな森がありました。こんな自然の中にいるだけで人は優しくなれます。子供たちはたけのこ掘りに大喜び!家族との時間、自然とのふれあい、大切な時間ですね。江戸時代、大和川の付替えに功績のあった[中 甚兵衛]ゆかりの川中邸の[川中知子様]、紹介してくださった[湯村幸子様]、[今米緑地保全会]の皆様、大変お世話になりました。とれたてのたけのこ料理、大変美味しゅうございました。〈千と千尋の神隠し〉の“カオナシ”も会いに来てくれましたよ❗️
ひとりひとりを、一曲一曲を、一場面一場面を受け止めて、大切に噛み締めながら歌っていきます。1つ1つの最終ライブが近づいてきます。[京都祇園龍馬会発会式]、[旧大津公会堂]、大阪[S.O.R.a]のライブでした。今の自分を全霊で、悔いのないように… いつか再開の日まで…
 













【 これまでに見た中で1番すごい番組でした❗️】 〜 生を考えさせられます 〜
《NHKスペシャル〜彼女は安楽死を選んだ〜》この世に生まれると言うこと、生きていくと言うこと、そして人間は必ず死を迎えると言うこと。生きる意味、価値。親、家族、別れ、送る人、残された人… 。今溢れ出してきている様々な信じたくない事件や、いじめ、自殺、引きこもり… 。命、尊厳、未来、希望、可能性など、生きると言うことを改めて考えさせられる衝撃的な番組でした。『命って、生きるということって、これほど厳粛で大切なことなんだよ❗️』『だから人生って素晴らしいんだよ❗️

2019年6月1日土曜日

【 デビューから40年、新なる船出‼️⛵️】 〜本当に大切なものを探して… 〜

【 デビューから40年、新なる船出‼️⛵️】 〜本当に大切なものを探して… 🛶
大騒ぎをした《令和》が始まって1ヶ月が経ちました。経験したことのない5月の暑さもありました。この先の地球規模の天候も心配ですが、これからの日本は何に向かってどう変わっていくでしょうか? 自己、自国、排他、排斥、自分中心で強いものが勝ち残り、弱いものは取り残され、周りのことを考え気遣う余裕がなくなっているようです。家庭や地域、人間関係が希薄になったと言われて久しいですが、その反動が、今まででは考えられなかったような事件や事故、災害につながっている気がします。世界も一度立ち止まって考えてみるべきだと思うのですが 、前だけを見て走る終わりのないマラソンは、周りを見渡して振り返るような余裕はありません!このままではいけないと感じている人はたくさんいらっしゃると思います。ひょっとしたらもう間に合わないかもしれません!
僕自身は、春に40周年のコンサートを充実して終えることができ、母の1周忌の供養も無事に終わり、一つの大きな区切りがつきました。そして、いつも5年ごとに考えるのですが、今回もたくさんの人に支えられ歩いてこられた自分の幸せな音楽人生を見つめ直してみようと思います。
【 僕の人生の楽譜のD.S(ダルセーニョ) 】です。これから先の約55年❗️(60歳の時に誓った希望的120歳までの人生ですが…ハハハハ)これからは、今の年齢と経験と立場と身の丈にあったテンポと歩幅で歩いてみようと思います。
デビュー5年後には東京から京都へ、10周年の後はアメリカに、そして15年後に滋賀に住み始めました。どこのS(セーニョ)に戻るか分かりませんが、まだまだやり残したこと、置き忘れたこと、出会ったことのないもの、伝えたいことがいっぱいです。まずは今あるものを脱ぎ捨てて、フラットなところから歩き始めようと思います。
一つは、当たり前にやってきたライブハウスの定例のライブに一旦ピリオドを打ちます。ですから[7月7日の旧大津公会堂のライブ]が一応最後になります。[ナチュラルクラブ]も次回号で少し休みます。ホームページとFacebookのスケジュールなどは今まで通りです。
ファンクラブの皆さん❗️これまで応援してくださった多くの皆さん❗️今日まで支えて下さってありがとうございました。
曲作り、イベントや企画されたコンサートなど、歌うことは今まで通り続けますので、活動自体を休むものではありません。またいつか復活すると思いますし、少し機会が減るかもしれませんが、お会いできる場面はもちろんあります。
突然の発表のようですが、もう数年前から考えていたことです。僕のわがままを受け止めてください。
今までの人間関係を断ち切るものでは決してありません!元気なうちに自分の足で歩いて、“本当に大切なもの”、“本当にしなければいけないこと”を探してみたいと思っています。
41年目の僕が、どのような第5章を歩き出すか楽しみに見守っていてください。皆さんどうぞお元気で!
「どこにいても忘れません!」またどこかで必ずお会いしましょう❗️❗️❗️