2016年5月29日日曜日

恋しや故郷 懐かし父母 …

【 恋しや故郷 懐かし父母 …】~ 歳を重ねるほど いとおしくなる ~
久しぶりに両親と一緒に実家の草刈りと庭掃除をしました。僕は生まれて1歳と3ヶ月でこの家に引っ越してきました。ちょっと見ると今風の普通の家のように見えますが、中身は戦前の官舎の払い下げ住宅で、築80年にもなります。何とか地震にも耐えました。人は大きなものに夢や希望を抱きながら、一方ではごく身近な現実を受け止めながら生きている。
戦時中荒尾には[東京陸軍第二造兵所]があり、旧制玉名中学校に通っていた父は、よく勤労奉仕に借り出された話をしていました。同い年だった母は大牟田高女に通っていて、三井三池染料工業所に勤労奉仕に行っていたそうです。この世代の青春は暗く辛いものでした。“天皇陛下万歳!” 鬼畜米英” 1億総活躍ではなく“1億総動員”の時代でした。“欲しがりません 勝つまでは!”の精神が染み付いた両親は、節約、倹約、贅沢をせず三人の子供達を育ててくれました。今でもじっとしていることが世間様に申し訳ないようで、いつも忙しく何かをしています。「ちっとはゆっくりせんね!」「どっかに行って来んね!」「たまには贅沢すったい!」そう言っても「よかよか、これでよか。家が1番良かつよ」そう言って30年も使っているバッグや靴を履いている。ともに88歳。まだまだ元気!と思いながらも、急に老いたようにも感じる。真面目に真面目に、頑張って頑張って、国のために家族のために一生懸命生きてきた人たちの最後ぐらい、穏やかに、憂いなく、気持ちよく送ってあげたい! それが戦後の豊かな日本で生かされ、生きることができた後の世代のせめてもの感謝の気持ちのお返しでは無いだろうか…。そして今の平和な世界を作る礎となって亡くなった多くの人たちの事も決して忘れる事はできない…
実家の庭に、37年前のデビューコンサートの時にいただいた紫陽花が今年も可憐に咲き始めていました。慌ただしく新幹線さくらで関西に戻り、今日は熊本の球磨郡あさぎり町免田のふるさと会に参加させていただきました。









2016年5月27日金曜日

《 歴史的この日に立ち会うことができる。これからの世界を作るために、われわれは少なくとも何らかの責任を負うことになるだろう… 》

《 歴史的この日に立ち会うことができる。これからの世界を作るために、われわれは少なくとも何らかの責任を負うことになるだろう… 》
【 幾年 故郷 来てみれば… 】〜 人吉を訪ねて来ました 〜
熊本地震から約40日が経ちました。アメリカから帰国した次の日、玉名高校時代の恩師が住まわれている人吉を訪ねました。「故郷の廃家」「旅愁」の作詞で有名な音楽家、教育者である[犬童球渓]の故郷です。恩師[鶴上寛治先生]はそのお孫さんにあたる方です。今年84歳を迎えられるのですが、地元に伝わる〈ウンスンカルタ〉の普及や観光案内人協会の会長をされたりで、大変お元気で今も多忙な日々を過ごされています。仲睦まじい奥様[うしを]さんも明るく行動派で、僕の高校の先輩にもあたります。犬童球渓は当時女々しいとされた西洋音楽を深く愛していたため、つらい体験もあったそうです。新潟の女学校に赴任していた時、故郷を思いこの2曲を作詞をしました。ずっと“故郷に恩返しがしたい”と言う気持ちで生きていたといいます。昭和18年、“自分は国のため役にたつことができない”と自ら命を絶ちました。64歳の若さでした。無言の平和への願いではなかったんでしょうか…。鶴上先生10歳の時だったそうです。この度《犬童球渓記念館》が完成し、一足早く拝見することができました。いつかここでコンサートができたらと心から思いました。





今日はオバマ大統領が広島を訪れます。平和への願い、各廃絶の思いが世界に届くでしょうか…。人吉は地震の被害はほとんどありませんでしたが、不幸にも市役所が使用不可になり、いろいろなところに影響が出ているようです。


この日昼間は、これから人吉で7月いっぱい続く〈震災震災チャリティーコンサート〉のトップバッターとして[ボーノボーノ]のギャラリー"PRIMAVERA"で歌いました。




夜はいつもの[モルト]でのディナーライブでした。2店ともかなり美味しいイタリアンレストランで、すばらしい食事と音楽を通して、復興へのお願いと皆さんのたくさんの真心をいただきました。

九州自動車道もまだ一部渋滞が続いています。帰りの熊本駅の新幹線の改札口にこんな手書きのお礼のメッセージを見つけました。多くの方に支えられています。ありがとうございます。《まだまだ…みんなで頑張っとるけん❗️



2016年5月25日水曜日

【 明日から始まる伊勢志摩サミット 】 〜 一足早く無事に帰国しました 〜

【 明日から始まる伊勢志摩サミット 】 〜 一足早く無事に帰国しました 〜
長女の大学卒業式への列席と結婚25周年のお祝いを兼ねた約2週間の休息から無事に日本に帰ってまいりました。日本は梅雨の季節を迎えています。湿度はずいぶん違います。アメリカの紫陽花はちょっとドライです。アメリカを中心とする連合国に敗戦して以来、いいところも悪いところも一緒くたにアメリカに大きな影響を与えられてきました。オバマ大統領が広島を訪れます。原爆の投下の謝罪は難しいでしょう。サミットでもそれぞれの国の利益を最優先にするはずです。トランプが日本の防衛についてプレッシャーをかけています。当然のことながら自分の国を1番大切に思います。悲しいかなそれが現実です。
熊本地震の復興へもはまだたくさんの課題が残っているようです。被災された方は相変わらず不自由な生活を続けられ、梅雨を迎えるにあたり、不安が膨らんでいらっしゃることと想像に難くありません。「自分の事はさておき…」「みんなで分け与える…」「じっと耐えしのぶ…」そんな日本人の美しい精神が評価されていますが、なかなか今の世界には通じないところがあります。でもそんな、国を越えてみんなが助け合う、共存共栄の理想の世界もなくしてはいけません。これから僕自身もささやかながら、被災地応援の第二ステージが始まります。世界も動いています。どこまで気持ちが通じるか…本当に微力ですから…わかりませんが、精一杯、61年の今までの人生を生かして、できることをできる限り頑張りたいと思います。大切な【家族】ためにも… 助けを求めている人のためにも…
《頑張る!… 君のためにがんばるけん❗️》
今日はこれから人吉に向かいます。今回の地震の影響で市役所が使えなくなったそうです。
















2016年5月20日金曜日

〜 志賀より 九州 、熊本・大分の被災地へ応援のエールを❗️〜

【熊本地震復興応援チャリティーコンサート 志賀実行委員会】
〜 志賀より 九州 、熊本・大分の被災地へ応援のエールを❗️〜
〈滋賀県滋賀郡志賀町〉が《大津市》となって今年でちょうど10年となりました。(平成18年3月20日交付)。僕のお気に入りだった3段活用地名がなくなると言うことで[さよなら ありがとう 志賀町]と言う題名のコンサートを2006年3月19日に行って以来となります。あっとと言う間の10年でした。ここに住むようになって今年で22年です。先日大学を卒業した娘が生まれたのと同じ年でした。翌1月17日は阪神淡路大震災が起こった年です。
その《旧志賀町》の皆さんから、この度の【熊本地震への支援】の声が上がりました。僕の[故郷が熊本]ということをご存知のたくさんの方からご心配、お見舞いの連絡をいただきました。本当に嬉しくてありがたいことでした。その声にお応えすることと、故郷熊本への恩返しと言う意味も含めてこのたびの復興応援チャリティーコンサートを開かせていただくこととなりました。多くの旧志賀町の皆さんのご協力をいただいて、主催に[志賀実行委員会]。会場も(旧志賀町民センター)『和邇文化センター』のホールです。同時に被害のあった大分県へも支援を広げたいと思います。阪神淡路大震災を体験した下村さんは神戸から。滋賀にご縁のある天水さんと宇野さん。そしてわざわざ大分からA・KE・MIさんが、それぞれ全てボランティアで参加して下さいます。僕がまとめ役ではありますが、いろいろなジャンルの歌が楽しめると思います。どうぞ“旧志賀町の10年目の同窓会”のような気持ちで、音楽を楽しみながら被災地への支援をいただけたら幸いです。もちろん他の地域の皆さんもぜひぜひご参加いただけたらありがたいです。
勝手な思い入れとお願いで申し訳ありませんが、熊本・大分の被災地への応援のお気持ちと、少しの余裕とお時間がございましたらぜひお出かけください。心よりお待ちしております。

2016年5月18日水曜日

子供達の新しい旅立ちに幸あれ❗️

【 子供達の新しい旅立ちに幸あれ❗️】〜 無事卒業式を終えることができました 〜
サンフランシスコの郊外にある、娘の大学の卒業式に出席しました。アメリカらしい、型にはまらない、自由で明るい感動的な卒業式でした。親としての役目を1つ終えました。終了後は広々とした大学の校内でざっくばらんなパーティーです。華やかなマリアッチの演奏が流れ、まさに[カルフォルニアの青い空]のように彼らの未来は希望に溢れています。自分の卒業式からは40年が経ちました。きちんとした式次第に則った、生真面目で几帳面な緊張感のある卒業式の式典でした。それぞれがその国らしくてすばらしいと思います。
果たして、あの頃自分は何を考えていただろうか…。将来のはっきりとした目標も見つけられず、漠然と未来を考えていたような気がします。アメリカの大学生は、在学中にほとんど将来の目的を決めるらしいです。それに沿って、よく勉強はします。途中で違う興味を見つけたらまた大学に入り直したりして軌道修正もします。大学の名前や、何年で卒業したかなどに就職が左右されることはほとんどないようです。何をどれだけ勉強してきたか、これから何をやりたいかというのが重要です。奨学金制度も充実していて、貧しい人も頑張れば、ほぼどこの大学にも入ることができます。でも勉強しなければ振るい落とされます。今、日本の大学生で問題になっている、就職した後奨学金を返すために厳しい生活を強いられるような事は少ないようです。子供たちに希望のある未来を考えさせ、その選択肢がなるべく多く用意され、〈それを実現するために努力すれば報われる〉という気持ちを持たせると言う意味では、アメリカの方が環境は整っているような感じがします。しかし、自分の人生を築くための本番はこれからです。すべての大学生に…《 卒業おめでとう❗️》 。[子供は“未来”]です。[子供は“希望”]です。[子供は“宝”]です。 それを大事にしない国は滅びます。日米、そして世界の子供たちの将来に幸あれ‼️です。










2016年5月13日金曜日

【『クラフト&関島秀樹の夏の共同音楽会』 開催決定です❗️】 〜 苦難を共有すると人は優しくなります 〜

【『クラフト&関島秀樹の夏の共同音楽会』 開催決定です❗️】
〜 苦難を共有すると人は優しくなります 〜
 熊本地震から1ヵ月。いまだに余震の揺れは続いています。東日本大震災の時もそうでしたが、今の状況と向き合い、すべての現実を受け入れて再スタートが切れたら良いのですが、原発事故の影響で避難されている方は、収束が見えない現実に、なかなか一歩を踏み出す踏ん切りがつかないと言う話をよく耳にしました。将来への不安と地震の恐怖心から抜け出すのは容易ではありませんが、とにかく昨日よりも今日、少し前に進めたらと思います。報道が少しずつ少なくなって来ていますが、決して忘れる事はありません。応援をしている人はまだまだたくさんいらっしゃいます。大変な困難な状況を共有すると、人は皆優しくなるようです。熊本の中を歩いていると皆会釈をし声を掛け合います。「大変でしたね〜」「大丈夫でしたか〜」「今日は天気になって良かったですね」「お気をつけて…」「頑張るしかないですね…」見ず知らずの人にもついそんなことを話しかけてしまいます。言葉遣いが優しくなります。ドアでも、車でも相手の人に先を譲ってしまいます。相手を気遣う気持ちが芽生えているんですね。もともと皆あるものですから、こういう事はずっとつづいて行けたらいいですね。
 7月23日の高瀬蔵の代替会場が決まりました。車で約20分ほど海へ向かった長洲町の【ながす未来館】の中にある[メディアルーム]です。ミュージシャンでもあり音響を担当している西田くんの粋なはからいでした。受付の吉川さんは高校の後輩でした。持つべきものは友や同窓生です。早いうちに決定してほっとしました。クラフトの皆さんにも了承を頂き、同じ日、同じ時間、同じ内容で会場だけこちらに移して[クラフト&関島秀樹の夏の共同音楽会~帰郷~]が開かれることが決定しました。会場が移動して少し不便になる方がいらっしゃるかと思いますが、逆に近くなる方もいらっしゃるといます(JR長洲駅徒歩10分です)。会場が100名までしか入場できませんので、どうぞ早めにチケットを手に入れてぜひ応援に駆けつけていただけたらこれ以上の喜びはありません。もちろん[熊本地震復興応援チャリティーコンサート]とサブタイトルに付けさせて頂き、入場料の一部を義援金とし、会場には募金箱も用意させていただきます。でもプレッシャーに感じないでくださいね。来ていただくだけで復興の応援になるのですから。募金はなくても全然構いませんから…。
忘れないで、思い続ける気持ちが1番ですから…
2016年 5月13日   風の丘音楽工房 関島秀樹



2016年5月12日木曜日

7/23高瀬蔵コンサート中止のお知らせ

[高瀬蔵(熊本県玉名市)]が、このたびの地震で大きなダメージを受けて修理補修のため無期限使用停止となりました。現在入っている高瀬蔵のイベントスケジュールはすべてキャンセルとなりました。それに伴い7月23日(土)に予定されておりました『クラフト&関島秀樹の夏の共同音楽会』も中止となります。楽しみにされていた皆様には大変残念なお知らせですが、何卒ご理解とご了解をいただきたいと思います。
そこで今、主催者としまして何とか近くでの代替ホールを探して、できるものでしたら場所を変えてのコンサートが実現できるようにと動いております。ここ1週間ほどで新たな会場のお知らせができると思いますので、今しばらくお待ちいただけたら幸いです。皆様にはご心配とご迷惑をおかけしますこと、心よりお詫び申し上げます。クラフトのメンバーも関島秀樹も前向きですので、必ずや開演できると信じております。
『がんばるけん❗️クラフト‼️』『負けんばい❗️クマモト‼️』
  2016年5月12日   風の丘音楽工房 関島秀樹

2016年5月10日火曜日

【 夜は必ず新しい朝を待っている ❗️】〜 ♪ 幸せは空の上に ♪ 〜

【 夜は必ず新しい朝を待っている ❗️】〜 ♪ 幸せは空の上に ♪ 〜
震災から26日が過ぎました。学校の再開が始まりました。まだまだ前のような状況ではありません。いろいろと我慢しなければいけないことがあります。とは言え子供たちの笑顔に心が救われます。一方で新たな被害の状況やこれからの困難な現実が見えてきます。でも少しずつでも前に進んでいきます。避難から新しい生活への“一歩”を踏み出さなければいけません。その踏み出す力になるのは最終的には“自分の気持ち”です。がんばりましょう❗️
長女の大学の卒業式に出席のためアメリカに来ています。アメリカでも熊本地震へのドーネイションがあちこちで行われています。特に日系のコミュニティー、南加熊本県人会では関心が高いです。




日本を離れる前に、個人や団体からいくつかの募金のお問い合わせをいただきました。少しでも募金の行き先や使い道がわかるような形の募金をしたいと言うことでした。4月23日の滋賀でのチャリティーコンサートでお預かりした210.882円と24日に荒尾シティモールで荒尾市観光協会と協力して行った募金は荒尾市を通じて日本赤十字社へお届けしました。僕自身これからもいろんな形でチャリティーを続けていくことになります。どちらにお預けするかはまだ決めてはいませんが、日本赤十字社などの大きな団体ではなく、少しでも生かされる先が見える、皆さんに納得していただけるような形でお送りできたらと考えています。もし賛同してくださる方がいらっしゃいましたら【関島秀樹 熊本地震 “誓春”募金】と題して皆様から募金を募りたいと思っています。東日本大震災の時はチャリティーコンサートの会場で募金をいただいたり、コンサートの収益やCDの売り上げの一部をまとめて被災地へお送りしておりました。でも今回のように募金に名前をつけたのは初めてです。なにせ初めての事ですから、これから準備を進めていこうと思います。手数料などかからず、なるべく募金された金額がそのまま生かせるような形を整えたいと思っています。今しばらく時間をいただけたらと思います。法的なことも含めてうまく整いましたらお知らせいたします。またこういう形が難しいと言うことでしたらまた別の形で考えたいと思っています。気持ちばかり先走る素人の考えで申し訳ございません。何か良いアドバイスがございましたら教えていただけたらと思います。今は遠く離れて、できることを考えています。これまでの新聞で報道された記事を添付いたします。「稲むらの火」や「誓春」など、東日本大震災の被災地にも届けたCDを荒尾及び玉名、長洲の小中学校でも生かしてもらえたらと、寄贈するお話は、震災前の4月13日にそれぞれの役所に伺い、その時に28日に教育長にCDをお渡しする段取りが決まっていました。なんとも間の悪い流れになってしまいました。


2016.4.29 熊本日日新聞掲載

2016.4.29 中日新聞掲載

2016.5.3 讀賣新聞掲載






2016年5月6日金曜日

《 負けんばい❗️熊本 》 ~ 震災から3週間が経ちました ~ しばらくブレイクタイム

震災から3週間が経ちました。僕にできる最大限のことを応援をしてまいりました。避難所の状況も過渡期に入ります。少し落ち着いた所にはいろんな方が訪問ライブをされるようになりました。ある所では訪問が多くて忙しすぎるところもあるみたいです。とりあえず実績を作ってそそくさと帰る人もいるみたいです。押し掛けや押し付け、独りよがりの勘違いは避難者の方を疲れさせることもありますので控えなければいけません。しばらく僕の応援活動をお休みしたいと思います。これから訪問ライブに来られる方とバトンタッチです。まだまだ長くかかる避難所もありそうです。仮設住宅も作られます。梅雨入りを前に自宅の修理もなかなかスムーズには進まないようです。避難が長期戦になればこれからまた新たにお役に立てることが出てくると思います。それまでどうぞ皆さんお元気で踏ん張っていて下さい。
《 負けんばい❗️熊本 》

2016年5月5日木曜日

梅田光雄 里帰りコンサート

【 梅田光雄 里帰りコンサート 】〜 いてもたってもいられず帰ってきました 〜
 東京で震災のニュースを見るたびに、心を痛め、何かできないものかと日々悶々としていたそうです。同級生で友人のライブハウス〈CIB〉の内野店長から「こういう時こそ音楽で元気付けなんタイ❗️」と背中を押され帰って来られました。着いて早々[壺川小学校]で訪問ギターソロライブをやってこられたそうで、とても充実されたお顔をされていました。 今夜は通常の有料ライブで、梅田さん、とても心のこもった熱い演奏をしてくれました。



避難所の食事をいただきました。 一新小学校

【 避難所の食事をいただきました】〜歴史ある一新小学校は地域の絆も強い !〜
3度目の訪問になります。今回初めて歌をお届けしました。3日前から自衛隊の方も帰られて、食事の配給は自分たちでやってらっしゃいます。この一帯は家が壊れたり赤い紙が貼られて中に入れない方がが多く、一時は2,000人程いた避難者も今は50人程ですが、まだ住むあてがないので、学校が再開しても体育館にこのまましばらくの残られるそうです。食事が少し残ったと言うことで、今夜の夕食のコロッケカレーをいただきました。とても美味しい味でしたが、この単品です。こんな感じの色中を3週間食べるのは辛いだろうなぁと感じました。生野菜や果物はほとんど食べられてないと思いますし、体育館にはテーブルもありません。プライバシーはありませんし、自分だけのテレビや音楽を聴くこともできません。先が見えないので話をしても楽しい話題にはなかなかなりません。ですから各グループごとにまとまっていらっしゃいますが他の方と話をするような様子は見受けられません。本当に家族だけで静かにいちにちを過ごしていらっしゃいます。今日はこどもの日、運動場や体育館で、子供たちが思いっきり遊び、笑い声が弾ける日がいちにちも早く来ることを祈るばかりです。ここに避難している声楽家の[原田千春さん]が藤崎台球場のクスノキの歌を昨日皆さんに伝えられました。益城町の炊き出しの手伝いから帰ってきた長年の音楽仲間でドラマー&パーカッショニストの[堀川誠くん]が急遽参加してくれて、2人でのコンサートとなりました。千春さんは長期の避難所生活で気管支を痛めてしまい、今は歌唱禁止ですが、ここでもの久しぶりの音楽仲間の笑顔のスリーショットです。ツーショットの横に微笑むかわいい女性は、この学校の後藤校長先生で、今日5月5日が誕生日でした。これでも以前に比べると、少しずつ少しずつ、明るさと微笑み、笑い声が聞こえるようになりました。