2015年2月28日土曜日

【 東京だよーおっかさん 】〜 クラフトだよーますますいいなあ 〜

6歳の時初めて東京を訪れ、[皇居]に来た時、砂利が敷き詰められてるのを今も覚えている。蒸気機関車の夜行列車の四人掛けの椅子に、母と三つ上の姉と生まれて半年の弟と四人で横になり、丸一日かけて上京した。母は、向かい合わせの椅子に板を何枚か渡し、簡易のベッドを作ってくれた。ただでさえ、弟の布のオシメからみんなの着替えから大変な荷物なのに、今みたいなキャスターのついたスーツケースなどないのに、どうやって木の板を持ち運んだろう? しかも、弟はおんぶ紐でからっているのだ。僕の手を引いて、姉を気にしながら…。母は強し❗️ そんなことを思い出していた。《自分は60才になる今日まで、母に何をしてあげられたのだろう…》 東京の夕焼けも美しく、愛おしい… 。都会に住む人も、田舎で暮らす人も、親を思う、自然を愛でる心は変わらない…。





今日は、久しぶりに[ クラフト ]のライブを見てきた。音楽に年齢は関係ない。いや、むしろ、いろいろを体験した人間のその表現はますます味が出る。僕もそうありたい…


偶然にも…ひょっとしたら何かのお引き合わせか? 岩手県の観光イベントと出っくわしてしまった。去年訪れた、釜石の《平田》(“へいた”と読む。去年地元の人に教わった)の仮設住宅のそばにあった《リアス海藻店》がブースを出していた。震災前は大きな会社だったが、会社も工場も全て失い、落胆した父から息子さんが会社を引き継ぎ、どん底から従業員の生活も守りながら頑張って再建されてる途中なのだと言う。話を聞いているだけであの日が蘇り胸が熱くなる。また、必ず会いましょう❗️硬い握手と約束をして、海藻をいっぱい買い込んだ。一人暮らしなのにね‥。ハハ(ちょうどこれから里帰りをするので、血圧が高めの母と、糖が多めの父への手土産に丁度いい)。それがこの海藻、まあ〜ものすごくうまいんだなあ〜。毎日食べると、成人病検診の数値がびっくりするほど下がるんだって❗️ がんばれ被災地‼️ 俺もガンバル❗️君のために… 僕のために… 


 明日3月1日は県立高校の卒業式です。来年から【岱志高校】となる《南関高校》と《荒尾高校》の三学年揃っての[最後の卒業式]を目に焼き付けておきたいと思う。2年後に卒業する高校の名前が消えるのだ。生徒たちはどんな気持ちで卒業して行くのだろう…

2015年2月27日金曜日

【 大都会の真ん中で感動しました】〜 すばらしい日本の一端を見た 〜

防災のイベント終了後、雨も風もちょっと強くなってきたので、帰る方向が同じということもあり、車いすのファンの方と一緒に途中まで帰ることにしました。東京メトロ[虎ノ門駅]まで約7〜 8分。途中風で傘が飛ばされそうになりながら何とか駅にたどりつき切符を買って改札を入ろうとすると、「こちらは渋谷行きで浅草方面は反対側のホームになります。ごめんどうですがいちど地上に出て大きな交差点を2つ渡り、道路の向こう側のエレベーターのある11番入り口から反対側の改札口へ降りてきてください。」と地図を渡されました。『ガーン❗️』この雨風の中また地上に上がるのか…。外は夕暮れの中、地図も見えないし、反対側の入り口の番号なんて読み取れない。間違ってたらまた違う入り口まで傘をさして車椅子で向わなければいけない。そんな時、《宅急便》のお兄さんが、走りながら、忙しい中、実に親切にわかりやすく、ビルの中にあるエレベーターの場所を教えてくれました。[ありがたい感動しました❗️]。
15分ほどかかって改札口にやっとたどりつくと、先程の駅員さんが待ち構えていました。「違う所から降りてこられたんですね」『と言われても…』。〜やっぱり忙しく動く大都会では障害のある人は疎まれるのかなあ〜 とここまではそう思っていたのですが…ここからが[すばらしい❗️]。その駅員さんがずっとついてくれて、車椅子専用の板を渡して電車に乗せてくれました。そのまま電車に乗り込んで一緒に次の[新橋駅]の改札出口まで案内してくれると、また別の駅員さんが[JR新橋駅]まで案内してくれました。
すると今度はJRの駅員さんが行き先を聞かれ、総武線快速だとホームに上がるまで40分かかるけど、[秋葉原]で乗り換え、各駅の総武線で行くのでしたらすぐ案内できると…(総武線快速のホームは地下深くにありそこまでのエレベータはまだないと言うことでした)そして同じように新橋から電車に乗せてくれました。[秋葉原]に着くと連絡がちゃんいっており、また4人目の駅員さんが、ここにはエレベーターがないものですから、夕方の帰宅を急ぐ人の多い中、なんとエスカレーターを完全ストップして、(エスカレーターの階段の所が3つだけフラットになるようになっており、そこにちょうど車椅子が乗るようになっているのです。)初めて見る状況に[ものすごい感動です❗️]。隣の狭い階段を登り降りする皆さんのご不便の中、少し冷たい視線を感じながら、駅員さんと車いすの方と僕と3人だけで上までエスカレーターを貸し切ってしまいました。ほんの5分ほどですが、皆さんにご不自由をかけさせてしまいました。こちらも乗る時間帯はできる限り考えないといけないと反省しました。それからまた、板を渡して総武線の電車に乗せてもらいました。
そして最後は[到着駅]でまた連絡が伝わっており5人目の駅員さんにおろして頂きました。新橋駅には専門のヘルパー介助員の駅員さんがいらっしゃってとても素晴らしい気配りで、待ってる間も、「急に寒くなりましたねぇ〜。花粉症の僕にはこの雨は助かるんですけどね…」などと、気さくに愛想良く世間話まで話しかけてくれました。たくさんの人が行き交う雑踏の中、ひとときあったかい雰囲気になりました。秋葉原駅では多い時には100名ほどのこういうご案内があるそうです。若い駅員さんは自分のヘルパー介助員の資格を取りたいと目を輝かせていました。
こんな駅員さん達がたくさんいらっしゃるんですね。すごくうれしく思い[感動しました❗️]。夕方のラッシュ時お忙しい中、5人の駅員さんに親切にご案内頂きとても気持ちよく安全に目的地に到着することができました。会社の規則とは言えなかなかできるものではないと思います。障害のある人、ご年配の方、妊婦さんやベビーカーの方、重い荷物を持ってる方、初めてここを利用する不慣れな方、外国人の方、本当にその日疲れてる方などなど他人の不便さや不安はなかなか身をもって感じる事は難しいですが、このたくさんの人の中にはいろんな人がいらっしゃって、また一方で見えないところで一生懸命日々頑張ってる方がいらっしゃって、スムーズに安全に毎日が動いてるんだなぁ〜としみじみと感じる良い体験をさせていただきました。[とても感動的❗️]な時間を過ごさせていただきました。親切な宅急便の方、駅員の方、ご迷惑をかけた周りの方々すみませんでした。本当にありがとうございました。

2015年2月26日木曜日

【 春は名のみの風の寒さや… 】〜 銀座、銀座、銀座、雨の銀座 〜

久しぶりの上京です。東京に来たらまずは開業100年を迎えた、赤レンガ造りのレトロな東京駅。とても気品あふれる荘厳な自信に満ちた素晴らしい日本の玄関の顔をしていました。そして昭和歌謡でずいぶん歌われた【花の銀座】でしょう。あいにくの雨の銀座。[木村屋のあんぱん]も良いのですが、音楽をやってる人間としてはまずは銀座の[山野楽器]でしょう。それにしても銀座4丁目の風景がずいぶん変わっていました。三愛と和光、三越は変わりませんが、東京オリンピックへ向けての開発が進んでいるのでしょうか? 昔からあるビルがすっぽり建て替えられてたり、大きな空間ができたり、今までの銀座の雰囲気からするとちょっ落ち着きがなく変な、カ・ン・ジ…。>
山野楽器に《島津亜矢さんデビュー30周年》のポスターと特別コーナーがありちょっとうれしかったです。6年前にコンサートをした【王子ホール】もすぐ近くです。









今日は虎ノ門にある[日本財団]の1階ロビーで、首都圏での地震を想定した【防災フォーラム】がありました。多くの活動されている団体の代表や学者の先生方の発表がありました。最後に僕の体験と歌を皆さんに聞いていただきました。僕の歌はお腹がいっぱいになるとか、知識が豊富になるとか、そーゆー意味では防災に関して何のためになるわけでは無いのですが、歌から感じること、歌から力をもらうこと、背中を押してもらうこと、どん底から這い上がるきっかけになること、慰められたり悲しみが癒されたり、ふっ切れたり勇気が生まれたり… そんな形に現れないようなところで、誰かの、何かの役に少しでも立てたならうれしいです。
いつ、どこで起こるかわからない地震。「遭遇したらしょうがない。そのとき対処するしかない!」とは言え、できる限りの準備をし意識を持っているだけでも災害を最小限に食い止めることができると思う。3月11日 4年目の東日本大震災のあの日がもうすぐやってくる。



2015年2月23日月曜日

【 もうーすぐ は~るですねぇ♪ 】 ~ 恋をしてみませんかー ~

各地で春1番が吹き始め、雪景色の山々の風景もそろそろ見納めとなるでしょうか…。暖かい熊本から帰り1週間。滋賀にも少しずつ春の気配を感じるようになりました。座禅草が雪の間からの間から顔を出しています。静岡では河津桜も咲き始めあちこちで梅の便りも聞こえてきました。今年は13年間続いた《さくら道バスツアー》がありません。でも、岐阜の御母衣湖の二本の《荘川桜》は、厳冬の雪に埋もれた今、遅い春に花を開く日をじっと待っています。〈寒い冬を越えると必ず春が訪れるのです〉。5月の連休のころ挨拶にいきましょうか…。琵琶湖の湖面から《七色の虹》が湧き上がってきました。何かいいことがありそうな予感がします…。明日は春のような暖かい陽気を感じることができそうですよ。日本のアニメ映画『かぐや姫の物語』はアカデミー賞でノミネートされただけでも、世界に日本の素晴らしい感性と情景を伝えることができました。






2015年2月22日日曜日

【 熊本城マラソンから1週間 】 〜 今日は東京マラソン 〜

42.195kmを体感した後だったので、東京マラソンの途中経過がすごく実感として伝わってきた。
何となく体がウズウズしているのはどういうことだろうか…。ここしばらくFacebookが更新されていないのは、たぶん関島はぶっ倒れてるんじゃないだろうか? とご心配の向きもあったかもしれませんが、それは火曜日までで、それ以降は何の疲れもなく、ひょっとしたらまた走るかもしれないなぁ〜なんてことを感じる1週間でした。当日僕が着ていたTシャツには、僕がこれまで生きてきて、僕に少なからず影響与えてくれた、僕に力をくれた、僕を生かしてくれた感謝してもし切れない、恩返しもできなかった、先に逝ってしまった忘れがたき人たちの名前を書かせてもらい、それを背負って走りました。そんな皆さんの力も僕を後押ししてくれて完走できたんだと思っています。皆さん本当にありがとう。
今日は故郷荒尾市の《第16回関西荒尾会》(会長 小代教乗、相談役森本茂三郎)が大阪で開かれました。この会の立ち上げの時にも僕はメンバーの1人でしたから、足掛け17年も関わっています。それぞれ良い年を重ねましたが、僕自身も会員で、16回のうち12回位はお邪魔してるんじゃないでしょうか。歴代の荒尾市長もほとんど出席され、今回は山下慶一郎新市長も4人の市職員とともに参加されました。熊本県議会副議長の重村 栄さんも荒尾から手弁当で、関西熊本県人会新会長 宮崎正郎さん、熊本県大阪事務所長 本坂 道さん、関西和水会会長 山内英治さん、荒尾高校同窓会関西支部会長 立山生一さん他たくさんの懐かしい故郷の面々が出席されました。玉名高校の同級生も4人参加しました。最後は炭坑節総踊りで、今年も賑やかに楽しく会を終えることができました。故郷があるって幸せだなぁ〜。もうみんな親戚のようです。また元気で再会しましょう❗️





2015年2月17日火曜日

【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 フィニッシュ ~ 秀樹感激(還暦)!のゴール ~

【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 フィニッシュ ~ 秀樹感激(還暦)!のゴール ~
残り1km。もう城内。最後のゴールへの直線の100mのフィニッシュ(花道)を走って行ける体力だけが残っていればいいのだ。熊本城の雄姿が、やさしい二の丸広場が僕を迎えてくれた。
真っ赤なFINISHの文字がまぶしい。もう足の痛みはどこかに吹っ飛んでいた。軽やかに、心晴れ晴れと最後の花道をかみしめて走る。
『ゴールするのもったいないなぁ~』
この感動をずっと長くかみしめていたい。そんな素直な気持ちになれた。清々しいフィニッシュだった。
「きつかった~。ホントに途中つらかった。」
「でもキモチいい~。心地いい体のつかれだ~」
洗練された熊本城マラソン。心からのおもてなしで受け入れ、サポートしてくれるサポーター。スタッフもボランティアもすばらしい。応援の皆さんが一緒になって参加し、大会を盛り上げている。4回目だというのにもうすっかり定着し、完成している。また来年はさらに参加希望者が増えるだろう。熊本人のあったかい気配り、お祭り好きのにぎやかな明るい気質がこの大会を創り上げていると思います。すべての皆さんへ、本当に楽しませていただき、いい体験をさせてもらいました。
ほんのささやかで、偉大な、夢の1つを実現することができました。「ヤッターーー」本当にありがとう。
完走できて万々歳でした。・・・またするかって?ウーンそれは今はわからない。でもマラソンは素晴らしい、人生を思わせる。
本当に楽しかった!  
                        2015.2.15 初マラソンを終えて..  関島秀樹



【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 №7 ~ 35km⇒40km藤崎台球場付近 ~

【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 №7 ~ 35km⇒40km藤崎台球場付近 ~
熊本西大橋を渡り切ったら、娘たちが歌と踊りで黄色い声援を送ってくれた。♪負けないで!さあもう一度・・・?(ちょっと違うかぁ~) 何だか24時間テレビの城島君になった気分だ!・・『お父さん!ガンバッテ~!』・・「ショック!!」でもそうなんだよね。〝おじいちゃん〟って言われないだけマシかなあ~。
未知の距離、未経験の長時間の連続運動、〝こんなに衰えたかなあ~〟〝足が固まっちゃったみたいだ〟〝もっと練習しとくんだったなあ〟とにかく気持、気持、前へ、前へ・・。
〝収容バス(関所で時間オーバーした人の)が近づいて来たゾ~〟顔も、マジ、マジ・・。
あ~長六橋が見えてきたゾ~。もうやっと街に入る。あと3kmだ!男子高校生が大きな声援をくれる。泰平橋を渡ると(改めて白川はきれいな川だなあ、胸が熱くなる。周りの山々がやさしく見守ってくれているようだ)、なつかしいアコーディオンの先生!(名前が出て来ない・・) もう周りに走っている人は見当たらない。ほぼ歩いている。
最後の第8関門(40.6km)第一高校をクリアーできれば、もうゴールはこっちのものだ!
41km地点。少しずつ登ってゆく。あ~藤崎台球場の照明灯が見えてきた、〝七本の千年のクスノキ〟も力をくれる。『あっそうか~。これが13日に走った時(荒尾)の夕陽の〝ひとすじの光〟だったのか~』 これで謎が解けた。ここにつながっていたんだ。完走を予測していたんだ。心も身体も弱っていた僕に力を与えてくれたんだ。(そう勝手に思うことにしょう)・・写真までピンボケだ・・!



【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 №6 ~ 30km熊本港線 ~

【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 №6 ~ 30km熊本港線 ~
さあこれからが熊本港線の長~い味気ない一直線の道だ。黙々と走る・・いや、寒さと強い向い風にほとんどが歩いてしまう。先に行ってる人とすれ違うのが「つらい!」「ちょっと悔しい!」。体は重く、前に進まない。ついあっち側渡りたい衝動にかられる…3kmほど先の折り返し地点の遠いこと遠いこと。
でもこんなところでも太鼓や大漁旗.が背中を押してくれる。「ガンバッテ!」「しっかり!」・・『はい!わかっているのですが、足が痛いのは気のせいではないのです。思うように足が前に動かないのです』 トホホ・・・・。
行きに渡った熊本西大橋が大きな壁に見える・・・


【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 №5 ~中間点・25km飽田付近 ~

【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 №5 ~中間点・25km飽田付近 ~
初の[バナナ]サービス。たくさんのベテランサービスの笑顔の声援に力をいただく。
ちょっと立ち寄りたい酒蔵をしばらく行くと、また田園風景。飽田地区の皆さんが総出で準備されたのぼり旗、こいのぼり、風車や菜の花まであしらわれ、まるで[ビクトリーロード]のようだ。[案山子]まで応援してくれる。
飽田中学校あたりがちょうど中間点となる。『エーッ!やっと半分来ただけかあ~』。3時間10分もかかってしまった。『これじゃ、7時間以内でゴールできるかなあ~』
このあたたかい地区に別れを告げようとする頃、また声がかかった。持病のある子供を大切に育てるご夫妻。わざわざ待っててくれました。「寒い中どうもありがとう。子供さんがとても元気そうでよかった~」

【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 №4 ~ 15km川尻付近 ~

【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 №4 ~ 15km川尻付近 ~
歩きながら坂の上まで行くと視界が大きく広がる。右手にはアクアドーム。ここからはきれいな田園風景だ。心が和む。それにしても沿道の応援の人の熱心な温かい声援には頭が下がる。ずーっと何時間も声をかけたり、手を叩いてらっしゃるのだろうか…。子供たちやお年寄りの方の応援が目につく。まだまだ笑顔で答えられるし、手にタッチすることもお安い御用だ。
住宅街ではにぎやかなサックスの演奏で出迎え。ロンドンオリンピックでバドミントンの垣岩を応援した[ルネサス]の横を抜けると第2関門(14.5km地点)。
新幹線の高架が顔を出す。JRを越えると古い街並が残る川尻だ。けっこうカップルで仲良く走る人を見かける。何といっても[ひょっとこ愛笑会]の皆さんには思わず笑わされ、一瞬心身の疲れから解き放たれる。

【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 №3 ~ まずは10km ~

【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 №3 ~ まずは10km ~
まっすぐな美しい[けやき通り]を走る。途中のJR高架橋の上りで、30km金栗記念ロードレースのトップ集団とすれ違う。すごい速さだ。
新土河原から熊本西大橋に右折する手前で、突然『関島く~ん❗』と黄色い声のする方を振り向くと、なんと高校の同級生が娘さんと応援してくれていた。『大感激だ』。[なんさまガンバレ]、[上護藤大太皷]、ここでやっと10kmだ。「あと4倍もあるのかあ〜」。疲れがどっとくる。


【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 №2 ~ 《歴史めぐりフルマラソン》のスタートです ~

【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 №2 ~ 《歴史めぐりフルマラソン》のスタートです ~
9時2分、熊本城を背に通町筋電停をスタート。スタートラインまで約10分かかった。左右に上通り下通りを見ながら鶴屋デパート前をゆっくりゆっくり進む。日差しがまぶしい。今日は暑くなりそうだ。
産業道路に入り、まずは南へ向かう。JRの高架橋もさほど苦にならない。しかし今日の暑さにはちょっと厚着をしすぎたので坂の途中で歩道に上がり、ウエアーをバッグに入れて走り続ける。玉高カラーのエンジの次は還暦の赤だ。まだ4kmほどしか来ていない。もうすでにトイレに並んでいる人がいる。1万3,000人いればいろんな体調の方がいるんだろう。
沿道には鈴なりの人。[津軽三味線]の女性の演奏がはずむ心をさらに弾ませる。



【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 №1 〜 ダイジェストでどうぞ 〜

【 関島秀樹・熊本城マラソン体験記… 】 №1 〜 ダイジェストでどうぞ 〜
なんでまたこんなことをやる羽目になったんだろう…。今までほとんど自分から目立とうとしない、アドバルーンを上げることのない奥ゆかしい僕が、還暦を機に《有限実行》を実践してみようと思ったのです。ぽろっと言ってしまったのがどんどん広まって行き、引っ込みがつかなくなってしまいました。それでも〈抽選〉に外れれば、本気で《フルマラソン》に挑戦しなかったかもしれません。マラソンの神様は僕に『走ってみなさい!』と言われたのです。それじゃぁ後へは引けないと、〈子供の頃からの夢〉だった【フルマラソン】に挑戦することになったのです。
何の勝算も自信も確信もありませんでした。どこまで走れるのか? とにかく走ってみないとわからない。いつ体が悲鳴をあげるかわからない。『体と相談をしながら、いけるとこまで頑張ってみよう』と言うのがスタート前の正直な気持ちでした。
早朝・・なんとここはカリフォルニアではな〈大野下駅〉なのです。前日の夜は穏やかな三日月が出ていました。当日、朝から玉名方面から天水山の峠の茶屋を超える途中で、見事な朝日を拝むことができた。
熊本城を抜けて[行幸坂]あたりに来ると、もうすでに町中が朝日に映えてマラソン一色に染まっていた。胸が高まるね〜。生来の[お祭り好き]の血が騒ぐなあ〜。まずは加藤清正公にご挨拶! もうすでにトイレには長蛇の列です。いつもは熊本で1番車の往来の多い路面電車も通る市役所前ですが、道いっぱいに人が溢れ、左に熊本城のお堀や石垣、天守閣を望みながらスタートを待ちます。あんまり寒くない。

2015年2月15日日曜日

2015熊本城マラソン“速報!”

無事完走!
〜夢ひとつ実現〜 応援、ご心配ありがとうございました。

2015年2月14日土曜日

【 バレンタインデーの最高のプレゼント 】〜 熊本城マラソン参加許可証 〜

いよいよ待ちに待った【熊本城マラソン】が明日に迫りました。真っ青な青空の下、春のような日差しを受け、今日はその参加申し込みに行ってきました❗️母校[玉名高校]のずっと若い後輩のメンバーの仲間と連れ立って、市内[辛島公園]にある申し込み所で参加証明のゼッケンをありがたくいただきました。【15929】以後、苦肉のレースになるのでしょうか? まずはこれで明日の朝9時のスタートLINEに立つことができます。
思い起こせば…一昨年の12月の[玉名高校スクールコンサート]がきっかけで始まり、南関マラソン3km、大阪マラソン8.8km、玉名高校小岱山一周マラソン33kmを経てようやくここまでたどり着いた苦難の道でした。人間いくつになっても【目標】を持つと楽しく頑張れるものです。とは言え、長い間休んでいた体を慣らした程度で、フルマラソンを走れるだけの十分な練習ができたわけではありません。体調もベストではありません。今の段階ではちょっとありえない、無謀な【挑戦】かもしれません。当然目標タイムなんて当然ありません。今の自分がどれだけやれるか、自分の体と話をしながら、最後まで何とか走り?歩き?きり、規定の[7時間以内]に【完走】?たどりつければ【万歳‼️】です。できなければ、また足りなかったものを補って【もう一度チャレンジ】するだけです。決して[無理]はしません。人生の折り返しはようやく始まったばかりです。まだまだやりたいこと、やれることがたくさん残っています。熊本城マラソンはコースの味わい、沿道の応援やサポートがとてもすばらしいと評判です。天気も良さそうです。僕もできるだけそれを楽しみながら走り、歩きたいと思っています。《それぞれの熊本城マラソン》を楽しみましょう‼️ どうぞ冷やかし半分、笑いながら結果をお待ちください。皆さんの《無事帰還》を祈って‼️





なんどか出会っている、[ひごまるクン]と[熊本城おもてなし武将隊]のあま姫


目標タイム?


フルマラソンにチャレンジする[玉高]の仲間です。


2015年2月13日金曜日

【 ひとすじの光 】〜 13日の金曜日の“こくんぞさん” 〜

[2月13日] 今日は故郷荒尾にある《四山神社の春の大祭》です。ちょうど今日は13日の金曜日に当たります。西洋では不吉な日などと思われますが、考えてみれば秋の大祭も9月13日。社会の流れとして、大切な日にちよりも日曜日にくっつけてしまう傾向が強い中で、頑に曜日には関係なくこの13日に続けられています。ですから13日の金曜日とぶつかる事はかなりの確率であることで、そう驚くことでもないのです。
今日はこれに先立ち市役所で《観光大使》の委嘱状を山下新市長から授与されました。。なんともう7年目に入りました。ありがたく名誉なことなのですが、他に僕の後を継ぐ人がなかなか現れないからです。その観光大使になってから、3度目の神事への参加になります。その後拝殿においてミニコンサートが行われました。子供の頃から楽しみに欠かさず遊びに来ていた“こくんぞさん”で、しかも拝殿でお参りに来て下さった皆さんに聞いていただきコンサートをするなんて…。天気も最高で暖かく、多くの参拝者の方が集まりました。本当にありがたく幸せで、楽しい時間を過ごさせていただきました。

今朝は空気がとても澄んでいて、雪を頂いた[雲仙]が近くに見えました。



坂道もありますが僕はこの階段が大好きです。


変わってしまった故郷の街並



灯台の横から見る[有明海]と[雲仙]です。


大祭式典の様子です。





拝殿から見た境内です。暖かくて皆さん穏やかな表情です。


とても人気の荒尾のキャラクター[マジャッキー]です。


境内にある荘川桜。移植をしてもう8年目になります。


ちょうど歌の合間に話をしているところです。


お客様がずっと立ったまま熱心に聞いてくださいました。本当にありがとうございました。


おみくじは今年もう既に[大吉]をいただいていますので、もう引きません。午後からは同級生の丹生谷君の母さんが亡くなったということでお参りに行ってきました。遺影の静子さんはとても良い表情をされていました。明るく楽しい方で、カラオケ大会での歌声が忘れられません。
全ての用事が終わった後に海岸を走りました。いよいよ[熊本城マラソン]が明後日に迫っています。今日から受付が始まりました。もうここまでくればジタバタしません。目標を持ってここまで来れたことで僕の目標はほぼ達成されたといってもいいのです。当日はそれを確認するようなもので、スタートラインに立てるだけで半分満足なのです。できたら途中で回収車に乗せられずにゴールできれば、もちろんさらに大満足です。そんなことを思っているうちに素晴らしい夕日と出会い、[ひとすじの光]がさしてきました。何かの《啓示》でしょうか…