2019年5月26日日曜日

今日の宿題はつらかった 亡き母思う詩が音楽になるまで・・・

「宿題」の詩を書いた中村良子さんと上田先生が4月20日の荒尾のコンサートに来てくださいまして、初めて対面することができました。その様子がこのほど新聞に掲載されましたので紹介します。
(2019年5月26日 朝日新聞)

https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190525000132.html


取材時の記念写真


2019年5月22日水曜日

〈BS 新・にっぽんの歌〉で「帰らんちゃよか」が[市川由紀乃]さんの歌唱で歌われました。

5月19日(日)に、〈BS 新・にっぽんの歌〉で「帰らんちゃよか」が[市川由紀乃]さんの歌唱で歌われました。
【再放送】が)NHK BSプレミヤム放送(3チャンネル)で、5月25日(土)お昼12時~13時30分とと5月31日(金)午後4時30分~6時に放送されます。興味がある方はどうぞご覧ください!

2019年5月19日日曜日

【 もともと日本人はこうだったんだろうか… 】〜 人間としての質が落ちてきたような〜

【 もともと日本人はこうだったんだろうか… 】〜 人間としての質が落ちてきたような〜
“良心”と言う言葉が聞かれなくなって久しい。人間社会は“信頼”の上に成り立っている。それがことごとく壊されてきている。「人を見たら泥棒と思え!」それが笑えなくなってきた。お年寄りから騙してお金を取るなんて考えられなかった。ネットの中で人を陥れたり傷つけたり平気でする。表現の自由の履き違いだ!いつから【何でもあり!】になってしまったんだろう。野球が大好きだった僕は“ドラフトのルール破り”のことを思い出す。“金儲けのどこが悪い!”【やったもん勝ち! 】なんて、人の気持ちなんか考える余地もない。人間として社会で生きていくための、守らなければいけない最低の約束事があった。もう何を、誰を信用していいのかわからない。 交通事故もそう、いじめ、虐待、パワハラやセクハラ… それを見過ごしている周り、本気で解決しようとしない。組織や自分を守るための保身、隠ぺい、責任逃れ、知らんぷり!そのくせ周りを気にする。アンケートやランク付け、人の意見や、今流行の〇〇、人気の〇〇に人はなびいてゆく。付和雷同、自分で決められない。周りに流される。自分の気持ちを伝えられない。ネットで名乗らなくなったせいか、自分自身がない!なんでもかんでも【ヤバイ!】で片付けないで欲しい。【ウザイ!】【死ね!】なんて、軽々しく使わないで欲しい。相手を尊敬したり、辛い立場の人を思いやったり、人間の尊厳を、それぞれの個性を大切にして欲しい。イライラした人や不満な人が増えたのだろうか…もちろん、素晴らしい生き方をしてる人や、すごく素敵な若者たちもたくさん育っている。あちこちで出会いがあるけど、もう悲しいことに、寂しいことに“人間としての基本が欠如している人”たちが目立ってくるようになってきてしまった…。
🎸 【デビュー40周年感謝ライブ】を博多でやってきました。サポートはベースマンの児玉康成くん。この日はギターでも彩りを添えてくれました。













日曜日は南阿蘇の[大野勝彦美術館]で、熊本地震で断線したままの豊肥線の早期復興を願うコンサートをやってきました。大野勝彦さんも5月3日に大切なお母様を見送られたばかりで、寂しい思いをされていました。ここは昨年の4月15日、復興応援のライブをして以来で、それを終えて荒尾の自宅に帰った時に、母の死と遭遇した日なのです。複雑な思いが交錯する中で、雨あがりのデッキからは、年にそう何度もないような、遠く有明海や雲仙を見渡す素晴らしい風景を見せてくれました。あの時以来の2人のステージでしたが、僕と大野さんのお母さんがこの景色を見せてくれたような気がしています…









2019年5月15日水曜日

【 新しい世界はどうなるのだろう 】〜 沖縄本土復帰記念の日に… 〜

【 新しい世界はどうなるのだろう 】〜 沖縄本土復帰記念の日に… 〜
👐1972年(昭和47年)は高校三年生。この年、ずっと秋に開催されてた玉高名物[体育祭]の《応援合戦》が、受験勉強に支障が出ると言うことで春に移行した。応援団長を任せられた僕と応援団員は、入学したての新入生と新二年生のやる気を起こさせ、まとめるのに必死で、沖縄返還のことは半分上の空だった。今日5月15日は、27年間アメリカの統治下にあった沖縄が日本に返還された日。今なお基地の問題は残り続け、本土並みにはまだ遠い道程だ。そんな折、国会議員が北方領土の返還に関し、バカなことを言った。こちらは74年も返還を願って地道に活動されてきた。体験者が減り、語り継ぐ機会もなくなる。戦争の悲惨さ、虚しさ、重みを感じない日本人が増えてきている気がする。人の痛み、相手の気持ち、心の機微を読み取れない。


娘を性的暴行の父親への無罪判決。幼い子や高齢者への暴力。弱い立場、恵まれない人、障がいのある人、うまく生きられない人への気遣い。いじめ。いつのまにか、強い、力のある人、見た目のカッコイイ、かわいい、うまく立ち回れる、調子のいい人ばかりがもてはやされる世の中になってはいないか? 昔は[勧善懲悪][弱気を助け強気をくじく][正義の味方][清く正しく美しく][能ある鷹は爪を隠す][謙譲の美徳][正々堂々とやれ!][姑息な、卑怯ことはするな!]なんてことをよく聞いたものでした。
「恥ずかしい!」「情け無い!」「親に、お天道様に顔向けができない!」なんて思って歯を食いしばって頑張ったものでした。


👩‍🌾 滋賀で幼い子供を巻き込んだ悲しい交通事故から一週間です。子供の命や希望のある未来を守れないのは社会とすべての大人の責任です。普段から、子供たちや弱い立場の人を守ろうと言う気持ちが希薄なのです。僕も含めて、子供たちの個人、集団での登下校の様子を見ながらハラハラしていても何も行動にできなかったのです。横断歩道や駐車場で幼い子の手を握らない親。自転車で親の後を追う子ども。世間は危険がいっぱいで、そういう中を生き抜いていかなければいけないたくましさも必要ですが、本当に弱い子を守るべきは親や大人たちです。横断歩道で人が待っていても車は止まりません。曲がった先の横断歩道に人がいても渡るのを優先する車は少ないです。今や黄色信号や赤に変わったばかりなら、気をつけながら通過してもいいと言うのが当たり前になりました。自然災害も含め、どこにいても危険なのはわかっています。でも、できることをすべて尽くしてなるべくその確率を下げなければいけません。【令和】の日本はどんな社会にしたいでしょう。この交通事故を機に、【滋賀】は、日本で1番歩行者に優しい車の運転をする県を目指してほしいと思います。
🥰 黄色で止まる。横断歩道で歩行者がいたら止まる。子供やお年寄りを見かけたら減速する。譲り合いの運転をする。琵琶湖と山々に囲まれた自然豊かなこの街を、ゆったりと安全運転で走る!そんな日本で1番安全で、世界に誇れる県なってほしいと思う❗️そんな素敵な夢を目指したいものです‼️



こんな写真が出てきました。この前の年から応援合戦に色が使われるようになりました。(僕の記憶が正しければ)。当時は赤組と言ってましたが、1970年の紅白で布施明さんが「愛は不死鳥」を歌われたときのイメージを拝借してこんな格好をしていますのが赤組の団長の僕です。応援合戦では優勝でした❗️

2019年5月7日火曜日

【“明治維新”151年 “令和元年”初ライブは“京都”から…]〜 京都から東京へ〜

 【“明治維新”151年 “令和元年”初ライブは“京都”から…]〜 京都から東京へ〜
◎260年続いた江戸幕府が終わり、1868年 都が京都から東京に移り、新政府“明治”が始まりました。それから151年、新時代“令和”が始まりました。65年近く生きてくると、あれからたった150年ほどしか経っていないのかと感じてしまいます。大騒ぎをした史上初のゴールデンウィーク10連休が終わり、その間に厳粛に平和に、平成”から“令和”へと時代が移行しました。今年2度目の新年を迎えた気分で、また心新たに新緑の素晴らしい季節にスタートすることができました。歌い始めは京都「わからんや」からです。




◎大河ドラマ【いだてん】も〈ストックホルムオリンピック〉が終わり、〈ベルリンオリンピック〉が中止となり、[金栗四三]さんの新たな生きる目標が見えてきました。世界に通用するマラソン選手を育てるのです。そのために【驛傳】と言うものを生み出しました。京都〈三條大橋〉をスタートし東京〈上野不忍池〉をゴールとする、全長516キロを23区間に分けて三日間かけて走破する、世界初の壮大な【東海道五十三次駅伝競走】が1917(大正6)年の4月27日から29日にかけて行なわれたのです。そしてこれが、今やお正月の風物詩となった[箱根駅伝]の第1回1920(大正9)年へと続いていくのです。
◎連休中、たまたま友人の息子が出場する関西大学対関西学院の〈関・関サッカー定期戦〉を〈西京極陸上競技場〉へ応援に行く機会がありました。ここは全国高校駅伝や都道府県女子駅伝で何度か応援に来ている駅伝のメッカです。この一角に《駅伝発祥の地》のモニュメントがあります。
 



そして、5月7日のわからんやのライブの日、三條大橋東詰の[東海道五十三次駅伝競走のスタート地点]にある、もう一つの《駅伝発祥の地》のモニュメントを訪れました。[いだてん]も激動の明治から大正への時代を背景に、新たな興味深い登場人物が現れ、ますます面白くなってきました。





🎸遅まきながら今回書き下ろし、デビュー《40周年記念アルバム》にも収録した[黎明の星]〜金栗四三 走りつづけて〜も大好評で、今や玉名市役所や大河ドラマ館で毎日流れています。先日は〈ラジオ日本〉の[夏木ゆたか]さんの番組でも流していただきました。今や歌も全国へと広がっています。【金栗四三】は見事に、明治、大正、昭和、平成、令和へと今もずっと走り続けています❗️

2019年5月1日水曜日

〜【 令和 】元年 あけましておめでとうございます 〜

〜【 令和 】元年 あけましておめでとうございます 〜
新しい時代がスタートしました。日本独自の国家行事で、世界の人々にはさほど関係なく、理解できないかもしれませんが、この連綿と続く日本の伝統、文化、国家観、人生観、国民性の基盤となる天皇制と元号の歴史です。時にわかりにくく、非合理で、不平等で、形式的、前時代的と言われますが、これが日本、これが日本人です。平成天皇、皇后様の行動、言動、振る舞い、国民を思い、国民に寄り添い、平和を願う心優しい穏やかな姿に、多くの人が助けられ勇気をいただきました。今回の[平成]から[令和]に移行する国家儀式が広く報道されることで、日本国民が改めて日本と言うものを見直す良い機会になるし、世界に日本というものを正しく理解してもらえるきっかけの一つになると思います。それも平成天皇がお元気なうちに新年号を迎えられるので、国民もまるで新年を迎えるような、明るく、希望を感じる、前向きな気持ちで新元号を受け入れることができました。
僕自身も[平成]のうちにデビュー40周年を迎えることができ、1つの区切りをつけることができました。たくさんの人に助けられ支えられ、ここまで歌い続けて来ることができました。本当にありがとうございました。[令和]の関島秀樹はまだ白紙状態ですが、これまでの道を振り返り、噛み締めながら、また一歩一歩歩いていこうと思っています。体力と、声と、好奇心と、情熱がある限り、活動の形は変わっても、次の高みを目指して、心に届く、未来に残る、誰かの何かの力になる歌を作り、歌い続けていきたいと思います。[令和]も変わらず、どうぞよろしくお願いします!
       2019年 【令和 】新春元年  桜満開の5月1日 関島秀樹

【『宿題』がテレビで紹介されます 】 〜お母さんの詩です〜

【『宿題』がテレビで紹介されます 】   〜お母さんの詩です〜
このたびの40周年記念CDアルバムに収録しました『宿題』と言う歌が熊本の朝日放送で紹介されると言う連絡が入りました。この歌は3年ほど前、僕の玉名高校時代の恩師[鶴上寛治先生]から紹介されたものです。先生が「この詩を読んで涙が止まらなかった。この詩にメロディーがつけられますか?歌になればもっとたくさんの人に知ってもらえるから」と僕に宿題を出されました。
内容は、先生から「お母さんの詩を書きなさい」と課題と出された中村良子さんは、小学校1年生の時にすでにお母さんを病気で亡くしていたのです。最初は「書けません!」と戸惑っていた良子さんに、先生は「しっかり者の良子さんだったら、お母さんのことを思い出しながらきちんと向き合ってくれる、そのことが将来の良子さんの為になる」と背中を押されたようです。
ようやく昨年メロディーをつけて鶴上先生に聴いてもらいましたら、すごく感動していただけました。「人前で紹介するのにはご本人の了解がいるでしょう」と、その後先生は手を尽くされてようやくご本人に連絡が取れるようになりました。28年前の小学校6年生の[中村良子さん]はとても明るく立派な大人に成長されていました。快く了承され、今回の4月20日の荒尾でのコンサートのプログラムに『宿題』を歌うつもりでしたので、当時の宿題を出された〈弓削小学校〉の恩師[上田輝子先生]とともに来て、生で『宿題』をお聴きになることになりました。その流れを知った熊本朝日放送の方が、私たちの出会いとコンサートの様子を取材されました。その模様が以下の番組で放送されます。どうぞ興味のある方はご覧ください。。

▼熊本朝日放送
5月2日(木)の「くまパワJ」3部(18:15~19:00)で放送予定
https://www.kab.co.jp/kumapawaj/

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「宿題」詞:中村良子(弓削小6年生)

今日の宿題はつらかった 
今まででいちばんつらい宿題だった
一行書いては なみだがあふれた
一行書いては なみだが流れた
「宿題は、お母さんの詩です」 
先生は そう言ってから
「良子さん」と 私を呼ばれた
「つらい宿題だと思うけど がんばって書いてきてね。
 お母さんの思い出と しっかり向き合ってみて」

「お母さん」と 一行書いたら 
お母さんの笑った顔が浮かんだ
「お母さん」と もうひとつ書いたら 
ピンクのブラウスのお母さんが見えた
「おかあさん」と 言ってみたら
「りょうこちゃん」と お母さんの声がした
「おかあさん」と もういちど言ってみたけど
もう 何も聞こえなかった

がんばって がんばって 書いたけれど 
お母さんの詩はできなかった
一行書いては なみだがあふれた
一行読んでは なみだが流れた
今日の宿題はつらかった
今まででいちばんつらい宿題だった

でも
「お母さん」と いっぱい書いて お母さんに会えた
「お母さん」と いっぱい呼んで お母さんと話せた
宿題をしていた間
私にも お母さんがいた
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