2014年12月31日水曜日

【 新しい年に向けての希望の虹 】〜 幸せは 馬車に乗って 〜

《カナダからの 最後の手紙 》
拝啓、暮れも押し詰まり、いよいよ大晦日となりました。皆様方におかれましては、あわただしくも、健やかに穏やかにお過ごしのことと存じます。私こと関島秀樹は、今年デビュー35周年を最高の形で終えることができ、11月3日には無事に人生の還暦を迎えることができました。これを機にしばらくライブ活動を控え、創作活動に力を入れて、自分自身を振り返り、新たなる人生の後半戦(今が折り返しで、できたら120才まで生きようと思っている。ハハハハ…)のスタートに備えようと思います。(いつゴールが来たとしても、後悔しないように…)第二幕の開演はそうお待たせしないと思います。すぐうずうずして歌いたくなると思いますから…。
皆様には色々とお世話になりました。どうもありがとうございます。皆様の幸せと素晴らしい新年が迎えられることを祈っています。どうぞまたの再会の日までお元気で…。 敬具
2014年 大晦日 関島秀樹












2014年12月30日火曜日

〝池上線 冬〟作詞:福田一三 作曲:関島秀樹 歌:関島秀樹

この歌は[福田一三(かずみ)さん]の作詞です。今から30数年前、デビューして数年たって、自分の詩がなかなかうまく書けない頃、ある人から紹介されて、一時期ずいぶん二人で作品を作りました。よく銀座や有楽町、新橋のガード下で安い酒を飲みながら人生や恋の話をしたものでした。とても繊細で知的で穏やかな方で、東京は荒川生まれの江戸っ子、歳は僕より少し上でしたが、経験も豊富でいろんな方面の知識があり、具体的に理路整然とお話をされました。しばらくそういうことを重ねていくうちに、僕以上に僕のことをわかってらっしゃるようで、“ドキッとするような”僕自身の深層心理を言葉にしてくださいました。84年から僕が京都に行くようになり、少しずつ会う機会も減っていきました。ここ5年ほど全く連絡がつきません。今どうしていらっしゃるか、ぜひ今までのお礼とご無礼の気持ちをお伝えしなければと思っています。この曲は僕が蒲田のアパートでまだ一人暮らしをしているとき、福田さんが僕の生活を想像して書いてくださいました。今でも冬になると必ずライブで歌っている大切な曲の1つです。
この音源は、多分、1986年頃の[京都アザーサイド](のちの[わからん屋])が御所南にあった頃のライブ録音だと思います。東京にいた頃、[中島みゆきさん]や[海援隊]のギタリストだった【小谷道明】さんにサポートしてもらっていました。彼は、奥さんのためにプロのミュージシャンを捨て、奥さんのふるさと長野に暮らし始めました。地元でサラリーマンをしながら、アマチュアの仲間と音楽を楽しんでいました。久しぶりりに京都に来てもらい、演奏した時のものです。彼は二年前に突然亡くなりました。訃報を聞き松本まで車を飛ばして会いに行きました。彼の人間性そのままの、とても穏やかな優しい寝顔でした。《僕は、先に逝った大切な仲間たちのためにも、その思いを背負って歌いつづなければいけないのです。》

【 カナダより愛をこめて…】〜 ビクトリアの街角から 〜

バン屋さん、花屋さん、チョコレート屋さん… 特別なことは何もない。いつもと変わらない週末の街の風景です。淡々と年越しを迎えます。ただ、アフタークリスマスのセールは大変賑わってました。これは万国共通ですね。日本では[歳末大売り出し]でしょうか? 景気は回復してるのでしょうか? 一人暮らしのお年寄り、年金暮らしの方、円安で苦労されてる中小企業の方‥僕と同い年の[安倍ちゃん]が、ご夫婦でサザンのコンサートに行くのを“微笑ましいなあ〜”と、素直に受け取れない何かがあります。『さすが 桑田君です』。これで紅白にも出ないで欲しいなぁ〜。今頃になって[明菜さん]を引っ張り出すなんて、他の歌手の方に失礼です。な〜んかおかしいなあ〜。話は戻って、【福袋】はささやかな楽しみですよね。日本独特です。〈中身が何かわからないけど、お得だから買って見よう!〉でも、さすがに最近は[中身をはっきり見せる]のが流れらしいですね。それじゃあ、開ける楽しみがないよね。早くから並んで…それでもお得だからいいのかあ〜。
暮れの家族揃っての大掃除。畳をはがして、外で叩いたり、障子の張替えをしたり、神棚を綺麗にしたり、正月のお飾りや新しい下着を買いに出かけたり、年越し蕎麦を食べて、除夜の鐘を聞いて初詣。三が日は“おせち“を食べて、“書き初め”“羽子板””凧揚げ”…。年賀状を見ながら、無沙汰の友に思いを馳せたり、お年賀の挨拶の途中でついつい飲み過ぎたり‥ そんなお正月が懐かしいなあ〜 …年いったかなあ…














2014年12月29日月曜日

【 ビクトリー 届かず!】〜 荒尾高校ラグビー 健闘〜

カナダの古い町ビクトリアにいます。『荒尾高校ガンバレ! ビクトリー✌️ 』って、“気”を送ってたんだけど… 僕の気合いが足りなかったね。でも、最後まで仲間と勝利を信じ、前へ前へと進む一生懸命な姿は、それだけですがすがしく、感動的だったと想像します。応援の方も、声をからしてチームと一体にとなって戦って、素晴らしい時間を過ごされたことと思います。ほんとうにお疲れ様でした。一緒に応援に駆けつけられなくてすみません。次回は必ず行きましょう。
ここは、カナダからは日本に一番近い、西部の最も南の国境の港町。歴史のある風光明媚な素晴らしい街並みです。オリンビックが開かれたバンクーバーからは車で一時間ほどです。どこを見ても感動的でため息の出る風景です。20数年前に1度訪れたのですが、あまり景色は変わっていないような、ずっと時間が止まっているような気もします。もちろん新しくなったところはあるんでしょうが、大切なものを大事に残している気概とプライドを感じます。記憶に残っている懐かしい場所を思い出しながら、街を散策しています。アメリカと比べると人は少しゆったりしているようです。心の余裕と人を気遣う思いやりがあるのでしょうか? そんな風景のいっ片を、暮れの慌ただしい日本の皆様に少しだけお届けします… 日本は寒いですか?
こちらは日本の冬と同じ6度 〜 -2度くらいの寒さです。町ではほとんど雪は降りません。どうぞいい年の瀬を… ごきげんよう…
【尚、僕の携帯電話は何故かカナダでは通じません。悪しからず。完全…OFF…です。】







2014年12月28日日曜日

【 よくがんばったよ!】〜 勝負は時の運 〜

ふるさと熊本、《荒尾高校のラグビー部》は全力を尽くしで精一杯戦いました。結果は負けてしまいましたが、1年間の練習の成果を存分に発揮したのではないかと思います。選手の皆さん、徳井監督さん、城戸校長先生他学校関係の皆さん、父兄の皆さん、応援していた全ての皆さん本当にお疲れ様でした。勝って《荒尾高校の校歌》は歌えませんでしたが、来年以降また【花園】を目指してがんばりましょう。校名は変わりますが、荒尾高校の伝統、そして新しく[南関高校]の伝統と力を合わせて、新生【岱志高校】の新しい歴史を作っていきましょう。いつの日か、花園で岱志高校の校歌をみんなで歌える日が来ることを楽しみにしています。
カナダより 愛を込めて…



〝熱情〟作詞:CALLA 作曲:関島秀樹 歌:関島秀樹

これは【HIV感染者】の詩です。今から20年ほど前、日本で感染者が見つかり、関心が一番高かった頃です。このままではどんどん広がってしまうのではないかという心配があり、啓発が始まりました。一方で正しい知識が伝わらずに【偏見】で誤解を受け辛い思いをした人たちもたくさんいました。彼自身には何の落ち度もなく、[血友病]の治療を受けた病院で、[輸入血液製剤]の中にHIVウィルスが混入していたために【感染】させられました。当時は治療法もなく【死の病】と言われていました。13歳で感染させられた彼は、17歳のときにそれを両親から知らされました。その時の彼の心情が【H.I.VOICE】(感染者や家族、友人の方たちの交流の冊子で、心の拠り所になっていた)に連綿と綴られていました。《 愛してるがゆえに 君をこれ以上愛せずに 自ら 愛することを やめてしまう 》彼の心の葛藤が痛いほど伝わってきました。曲が出来上がった後、一度彼と会う機会がありました。とても頭が良く明るくユーモアのある青年で、その時は恋人も出来、新しい治療法も発見されて、《前向きに生きている》とてもいい表情していました。今も元気で、どこかで幸せに暮らしていることを願い、信じています。

2014年12月27日土曜日

【アメリカから脱出 】〜サンタの操縦する飛行機に乗って…〜

クリスマストラフィック(渋滞)を抜けて、LAX(ロサンゼルス空港)から《アラスカエアーライン》で エスケープ(脱出)。『Xmasに極寒のアラスカへ行くのかあ〜!?』と思われそうだが…。今回は、あのイチローが長年いた[シアトル]で乗り継ぎ[カナダ]へ向かう。25日の夜の空港はだいぶ人も落ち着き閑散としているが、空港全体はまだまだクリスマスムードでにこやかに華やいでいる。職員も、店員も、お客さんも、サンタやトナカイの帽子をかぶってはしゃいでいる。シアトルからの乗り継ぎの飛行機は、70人乗りの双発機。プロペラ機に乗るのは20年ほど前、南西航空で那覇から石垣に行った時以来かなあ〜。そういえば、大昔、夢の国産飛行機 YS -11 に乗って東京から高知に向かったことがあった。オリンビックの聖火を運んでデビューしたことから“オリンピア”呼ばれ、大人気の飛行機で大喜びだったんだが、天候が悪く、機体は大揺れ、ちょっと恐怖を感じたことがあったのを思い出した。
アメリカでもローカル空港はセキュリティも緩く、掃除席のドアも開けっ放しでコックピットも丸見え。持ち込みの荷物も大きかったので、まるで空港バスのようにタラップを上がるとこで引き換え証も無しに貨物室に預かってくれた。貨物室のドアがきちんと閉まらないとかでなかなか出発しない。『イヤ〜な予感が頭をよぎる。』天候は曇り後雨……結局30分遅れで出発。お決まりの機内設備の紹介もぞんざい。なんと《操縦士はサンタクロース》だ❗。機内もキャビンアテンダントもすっかりその世界に入り込んでいる。お客さんもどうってことないように静かで、まあ何事もなかったように飛び立った。2~3分遅れると「ご迷惑をかけました」のアナウンスが入る、日本の公共機関も世界に誇る正確さだが、この国のちょっとした“遊び心”と”大らかさ”があちこちで、つかの間の笑いや、ほほえましさに出逢わせてくれる。Xmasが終わるころ、国境を越える上空の雲の切れ間からカナダの街の灯りが見えた。《世界が平和であって欲しいなあ〜》
日本は今頃、新年を迎える準備を始めているだろうか… テレビでは2014年を振り返っているだろうか… 年賀状を書き終え、大掃除、お餅つき、お飾り、おせち料理の買い物に出かける頃だろうか…北風が冷たいだろうなあ…









2014年12月26日金曜日

【 クリスマスにはどんなプレゼントが届きましたか?】〜 何もなく ホッとしています 〜

2014年のクリスマスも終わり。ロサンゼルスは17時間も遅くまで楽しんでいました。テロや大きな事件もなく心を撫で下ろしています。《人はどうして人の悲しむことをしてしまうんでしょう…》《悲しみの連鎖は報復では終わらないことはわかってるはずなのに…》。
クリスマスの風習は土地によって少しずつ違いがありますが、多くのアメリカの家庭では、クリスマスツリーの周りにいただいたプレゼントを毎日並べて行き、24日のイブの夜に1つだけプレゼントを開けます。小さな子供のいる家では、プレゼントを持ってきてくれるサンタクロースのために、クッキーとミルクを用意します。翌朝クッキーを食べ、ミルクを飲んだ形跡が残っていると子供は大興奮です。それから家族みんなが集まってそれぞれのプレゼントをオープンします。何時ごろから始まったのか、日本の[お年玉の]の習慣も子供たちが楽しみにしていていいのですが、金額の多い少ないで一喜一憂するよりも、プレゼントの内容で喜んだり笑ったり、その人がどんな思いでこれを選んだのかに思いを巡らすことの方がどれだけ楽しいかしれません。《誰にどのプレゼントをあげたらいいか》それを想像するのが大切なのです。《何をあげたら喜んでくれるだろう》それを考える時間が楽しくて、それがその人への愛情の深さなのです。プレゼントを送るのには時間もエネルギーも必要で大変な労力がいります。《結局お金が1番喜ばれるよ!》そう言ってしまったら身も蓋もありません。
[今年はどんなサンタさんが現れましたか…][心がぽっと温かくなるようなことがありましたか…]《メリークリスマス☆ 来年はどんなクリスマスになるでしょうか…いい年が訪れますように…》







2014年12月25日木曜日

ハッピークリスマス♪

今から27年前、京都で【10日前のクリスマスイヴ】と言うタイトルのコンサートをおこないました。少しミュージカル仕立てのコーナーでは、地元の劇団の方の、若くて1番素敵な女性とダンスをするシーンもありました。ハハハ…。今からでは想像もできませんね。一生懸命〈ワルツ〉のステップを練習しました。『10日前のクリスマスイヴ』は多分その時の為に作った曲だと思います。(もう記憶が曖昧ですが、その当時の録画も密かにあります)あれから見直すこともありませんし、そしてこの『ハッピークリスマス』も何度も歌ったわけではなかったのですが、なぜか今年はちょと歌いたくなりました。あの当時はクリスマスコンサートやディナーショーのようなことを時々やっていましたが、最近ご無沙汰しておりました。まだ若くて、生恥ずかしさもなく[恋をする情熱]がたくさんあったのでしょうか??…。いくつになっても心が乾いてはいけませんね。《第2幕》は〈恋心〉を想い起こさせるような、少し〈ドキドキ〉する、〈夢〉のあるコンサートもいいかもしれませんね…。《 だって【サンタクロース】はぜったい存在するんです。相手を思いやる優しい気持ちと、奇跡や人を信つづける心がある限り… 全ての人の心の中に… きっと…》
☆*:*:*Merry Christmas*:*:*☆ ステキな日でありますように…♪

▽ピアノは長年一緒にやってきた口垣内八州彦です。この日も体調は万全ではありませんでした。その後体を壊し今は音楽活動を休止してリハビリでがんばっています。奇跡の復活を信じて...

ハッピークリスマス♪

2014年12月24日水曜日

[ 日本脱出!] ~ 素敵なクリスマスを!~

なんと、駅を出るときには、蓬莱山に虹が架かっていた。何かいい事がありそうな旅立ち…。 山頂には雪をいただいて…帰って来る頃は、もっと真っ白だろうなあ。
ホワイトクリスマス?… これは上空一万メートルの雲の上のホワイトクリスマスです。
ハハハ…そして 九時間後のロスは22度の雲ひとつないカリフォルニアの青い空。皆Tシャツだ!さあブレイクタイムの始まりだぁ~ 《メリークリスマス!それぞれに素敵なクリスマスを…》





2014年12月22日月曜日

風のアルペジオ

「あじさい寺」に続く第2弾のシングルレコードです。1981年、トリオレコードより発売。作詩はあの有名な[来生たかお]さんのお姉さんの[来生えつこ]さんからいただきました。当時のヒットメーカーで、とてつもなく信じられないことで、ありがたいことでした。熊本放送では、2ヶ月連続ベストテン入りを果たしました。第2位まで上がったこともありました。あの頃は自分のAM.FMの番組もあり、その中でもよくをかけさせてもらいました。今だから笑い話として話せますが、母が親戚や友達、知人にせいいっばいお願いして、有線放送や番組にせっせとリクエストをしてもらってたそうです。曲は繰り返し繰り返し聴いていくと、馴染んで身近になっていきます。おかげさまでこの曲は、今でも多くの人の記憶に残っています。イントロのギターのメロディーと[おさらば サバサバ したい…]が印象的です。編曲は、これも当時超売れっ子のアレンジャー【萩田光雄】さんです。なんと贅沢なスタッフだったんでしょう。同時に作ったアルバム『風のアルペジオ』も全て萩田光雄さんの編曲です。全て生楽器のアナログの音をお聴きください。

♪風のアルペジオ

【 精一杯 がんばりました!】〜 故郷の高校駅伝の応援に行ってきました 〜

12月21日。なんとすばらしい冬晴れの天気に恵まれた京都西京極陸上競技場です。故郷荒尾の、たった5人の控えなしの、初出場の【有明高校】の、まずはその応援に駆けつけました。片山校長もキャップをかぶってスタンドに陣取ってらっしゃいました。郷土の皆さん、船を使っての貸切バスや新幹線等で駆けつけて、また近畿の熊本県人会や有明高校のOBの方もたくさんおいでになっていました。【九州学院応援団】の谷田さん(元ノンプロ野球選手です)とも出会いました。声援の大きさや、気合の入り方はスタンドで一番だったと思います。関西県人会の皆さんは、近畿での全国大会での熊本の応援はもう慣れたもの。(暮れに始まる、花園での全国高校ラグビーの荒尾高校の応援、新年早々行われる都道府県女子駅伝の応援、春と夏の甲子園での高校野球の応援、滋賀の近江神宮で行われるカルタ大会! ジャンル、世代にかかわらず近畿で何か郷里の人たちが活躍する催しがあれば、物産展でも展覧会でも必ず誰かが応援に行くのです。この【ふるさとを想う情熱の強さ】は、アメリカやブラジルでも実感しましたが、僕は多分、全国で沖縄か熊本が1〜2を争うんじゃないかという気がしています。この感情は都会やその近くに住む人にはわかりません。ましてや外国の人には理解できません。今住んでいる場所と懐かしい故郷をつなぐタイムマシンのような空間なのです。歩んできた歴史がそうなのでしょう。特に50代以上の方は故郷は胸がいっぱいになるほどいとおしい存在なのです。わずか15年か18年ほどしか生活していないのに、もうそれが自分の人生そのものなのです。(もちろんいつもいつも考えてるわけでもなく、そう感じる人も全体から見ると1割が1パーセントの人かもしれませんが…)そんな人もある瞬間にあの『帰らんちゃよか』がスーッと入り込むんだと思います。《大の大人が声を出して、肩を震わせて泣くんですから…》(そのような皆さんからこの歌はほんとにいい歌だと言っていただくのはとてもうれしいことです。でもあまりおおっぴらに言うことではないので、密かに皆さんの心の中に残ってくれたらありがたいなぁと思っています)
全国から集まった選手の皆さん応援の皆さんで、もう会場はまるで故郷のお祭りです。これがまた昔の都、【京都】で開催されるからいいんでしょうね。[有明高校]は36位、男子の常連[九州学院]が13位、[千原台]が34位。お隣の[大牟田高校]などそれぞれトラブルもなくみんな精一杯がんばりました。
『若いってすばらしい!』『スタート直前の緊張感もわかります』『さぁ行くぞ!と競技場を飛び出して行きます』《僕も、さぁ行くぞ!と新しい世界へ飛び出して行きます!》
 荒尾市に新しい市長が誕生しました。三期12年にわたって努めて来られた、僕も大変お世話になり親しくさせていただいていた{前畑淳治市長}にかわり、55歳と若い元の副市長{山下慶一郎さん}がこれから荒尾市の舵取りをされます。投票率が50パーセントを切ったのが少し気になりますが、故郷を思う気持ちは今までと変わりません。新しい故郷の未来に期待しましょう!



 





2014年12月20日土曜日

【ありがとう!!皆さんお世話になりました!】〜 第1幕の終焉です 〜

デビュー35周年を終え、還暦を迎えた今年、これまでの活動と人生を第一幕と位置付けた、最後のコンサートが今日終焉を迎えました。[ これよりしばらく 休憩をいただきます ]と言う館内放送と同じように、第二幕の開演まで少しお休みをいただきたいと思います。といっても全ての活動をお休みするわけではなく、またあまり休憩時間が長いとお客さん帰ってしまいますから、その辺は【しばらく】です。大津公会堂は、今までにない異常な盛り上がりでした。昔の学園祭を思い出しました。フォークソング全盛の頃はこんなコンサートのラストだったような気がします。「今日の日はさよなら」と「若者たち」を肩を組みながら全員でswing outしました。こんな日が再び訪れるとは…皆さん【少年】のような表情をされていました。《何年経っても心のどこかに少年の心を持ち続けているのです》軽い[お別れ会忘年会]も同窓会のような心地よいものでした。関西にご縁ができて30年。滋賀県に住んで20年。その間に出会った方がそれぞれの思い出を振り返り、今日この場所に一緒に居られたことを喜び合い、次の再会を固く約束してお別れしました。本当に、ほんとうにありがとうございました。大変、たいへんお世話になりました。とても、とても幸せでした。沢山の、たくさんの宝物をいただきました。どうぞ、どうぞお元気で! 必ず、かならずまた会いに来てくださいね!