2011年6月21日火曜日

鎮魂と祈りのライブを終えて  -6月20日-

たくさんの悲しみを聞き
涙を見た。
たくましく生きる姿も・・・
無事巡礼の旅終了。
つづく・・・

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6/21帰宅

すべての予定を終え、夜の高速道路に入る。
日本海周りのせいでもないだろう、やけに車が少ない。
10日間出逢った人々の顔が頭をよぎる。
あの人はこれからどうするだろうか?
あの人は大丈夫だろうか?
どこで再出発するだろうか?
バラバラになった家族はいつ一緒に住めるだろうか?
いろいろなことを考えると頭は冴え、心地良い疲れは体を包むが不思議と眠気は訪れない。
節電で暗くなった高速道路の遠い先を走る車のテールランプがかすかな希望の光に見える。
今はまだ光はたよりなく小さいけれど、これから日を追うごとにその光は明るく大きくなってゆくだろう。あの出逢った人たちのそれぞれの立場の人の表情を見ていたら、そう思えるようになった。
新潟に入り雨がフロントガラスを濡らす。
ニュースが東北地方に遅い梅雨が訪れたことを告げた。
無事帰宅することを誓ってアクセルをゆるめた。

2011年6月20日月曜日

鎮魂と祈りのライブ 10日間を終えて

10日間15ヶ所の鎮魂と祈りのライブを終えて、人生の無常、命のはかなさ、生死の境界線の非常さを痛感すると共に、人間のたくましさ、生きるエネルギー、生きようとする人間の生命力の果てしない強さを感じることができ、人間どんな苦難に遭遇しようとも、必ずや克服し乗り越えられるものだと確信した。それは、決して人は一人ではない。人と人とが力を合わせ、助け合うという気持ちが残っている限りだ。

鎮魂と祈りのライブ(6/20 東松島市) コミュニティセンター・赤井

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ただじっと待つばかりではなく、政府の権力争いに振り回されることなく、自分たちがやれることから、自分の町の、家族の、人生の、ふるさとの復活に歩きだそうという、この近代日本人が体験したことのない自然災害から立ち直る〝負けるもんか〟という生きる意地と魂がある。
それには国も、日本人の手助けできる人がこぞって支援、応援しつづけることが大切だと痛感した。
三ヶ月を過ぎ、これからは資金と共に精神的な支えが必要だろう。

0620_01.jpg 東松島コミュセン

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赤井市民センター

2011年6月19日日曜日

鎮魂と祈りのライブ(6/19 東松島市) 大塩・小野

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東松島は石巻の南、車で30分ほどの海に面した町で、ここには熊本からの職員の派遣が多く、僕は荒尾市の観光大使を拝命している関係から市を通じ4ヶ所の避難所を紹介していただき歌を届けることになった。市役所には、福岡、山口、熊本などの名前の入ったバッジやベストを着たた人たちが慌ただしく行き交い市民の相談や対応に追われている。
自衛隊、赤十字、消防、警察、病院関係、民間ボランティアなどさまざまな方々の見える、見えないにかかわらず、支援の力が復興の大きな力の下支えになっていることを忘れてはいけない。
そして、もちろんそのエネルギーの核になっているのは、被災者自身のもう一度やり直そう、取り戻そう、生き直そうという生きる意欲だと感じた。

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 大塩市民センター

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 小野市民センター

2011年6月18日土曜日

鎮魂と祈りのライブ(6/18 石巻) 中里小学校

石巻の中里小学校には震災直後約1300人の避難者が学校に押し寄せ、当時学校長だった赤瀬さん(我母校熊本県立玉名高校の4つ先輩であり、熊本の新聞に奮闘ぶりが紹介されたことからそこで歌うことになった)は、大変温厚で冷静な方で、当時陣頭指揮をとられ、水も電気も食べ物もない孤立状態の中で、救助隊が来るまで一人の犠牲者を出すこともなく命を守られたすばらしい方でした。それ以来、この体育館には400人ほどの方が不自由な生活を続けられています。
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鎮魂と祈りのライブ(6/18) 大船渡~陸前高田~気仙沼

大船渡~陸前高田~気仙沼。
何とか幹線道路は確保されているが、生活道路はズタズタ。
線路も橋も流され、6~7Kmも内陸まで津波の爪痕が残されている。
石巻へは三陸縦貫自動車道が辛うじて通じてはいるが、未だに路面は波打っていて、この復旧工事に手が付けられる日は順番からいっていつになることやら。

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2011年6月17日金曜日

鎮魂と祈りのライブ(6/17 遠野)

夕方遠野に入る。ここはボランティアなどの後方支援基地になっている。
日本の原風景が残る。民話のふるさとが今、無念の苦しみにさらされているが、かつての美しい海岸線の続く港町の復興に大きな力となっている。
昨年おじゃましたこの宿にも、全国からの派遣された援助隊が入れ替わり寝泊まりしている。
この宿の琴おばあちゃんは遠野の語り部そのもののようなおだやかな優しい心遣いの方で、息子、孫、娘さんと皆で僕を励まし心配してくださり、カンパまでいただいた。
ありがたい、ありがたい、
この宿には時々カッパも来ると言う・・・。

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鎮魂と祈りのライブ(6/17 釜石市) 釜石小学校

釜石小学校は高台にあり被害をまぬがれ、避難所と小学校が同居している。
明るく元気な子供たちに会えて、今日初めてほっとした気分を味わえた。

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地元文化タクシーの方の案内で
釜石市内、港、大槌町など見せていただいた。
打ち上げられた7万トンの船。4階まで海水が流れ込んで無惨な姿をぽつんと残す大病院の建物。
かろうじてかたずけられた道路だけが街がそこにあったことを教えてくれている。

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2011年6月16日木曜日

鎮魂と祈りのライブ(6/16 奥州市江刺) MAO

30年前、文化祭で歌った高校の先生との御縁で5年前から尋ねている江刺。
先生は2年前に亡くなり、今日は奥様と子供さんたちのお世話でライブを開いていただいた。
いつも忙しい中ありがとうございます。
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鎮魂と祈りのライブ(6/16 相馬市) 新地町思い出倉庫

相馬市役所の一角に“そうまさいがいFM”が立ち上げられていて出演した。
生々しい今の暮らしぶりのお便りを紹介したり、本日の各所での放射線の数値が細かく発表される。
だが人々は日常のことで冷静だ。
新地町で母娘が亡くなった知人をたずねる。磯部では母を亡くした友人の妹さんに実家のあった跡を案内してもらった。
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今日初めて津波で消えた町を目の当たりにした。こうも街のすべてがすっかりなくなるものだろうか?
〝思い出あります〟の手書きの看板の奥には、おびただしい数の写真、賞状、トロフィー、ランドセルなどが並べられていて、かつての楽しい家族の温もりが思い起こされて
一層悲しみを誘う。

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2011年6月15日水曜日

鎮魂と祈りのライブ(6/15 ) 土湯温泉

鳴子と並びこけしの里で有名な土湯温泉。豊かな湯と静かな山里の風情はすばらしい。
しかし、原発から追い出された浪江町の人々にはそれを味わうどころではない。温泉旅館に約600人が分かれて生活されている。
一般客はほとんど取れないから、温泉地も人はいるがシーンとしている。
子供たちは地元の学校に転入している。
「がんばる君のために」のCDが気に入ってもプレーヤーが無いので置いていく。
小滝旅館にお世話になった。
そこに3ヶ月過ごす36人の避難者の最高齢は94才の亀田さん。
皆さん記念写真に納まった。
松川町から昨年夏コンサートを開いてくださった長南さんがかけつけてくれた。
遠いところ、差し入れまで本当にありがとうございます。

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鎮魂と祈りのライブ(6/15 いわき市) ゆったり館

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広野町に生まれ住む大学時代の同級生。
昨年偶然にも小さな同窓会を開いたが、彼は出席しなかった。
震災直後から連絡を取るがまったく消息がつかめない。
2週間ほどして友人から避難所に居ることがわかった。
校長まで務めた彼は、ごく少数の避難区域に住む人になった。
広野に来てくれても人が集まらんからと
いわき市の健康福祉施設「ゆったり館」を会場に奔走してくれた。
自分も被災者なのに・・
本当にありがとう。

鎮魂と祈りのライブ(6/14 鎌倉) ハニービー

毎年1回、あじさいの時期に訪れる大船のライブハウス。
この日に会えなければまるまる二年会わないことになる。
鎌倉の明月院のすぐそばに、熊本出身の作家の方が住んでいらっしゃる。
インターネットで出逢った。
2年ぶりにご夫妻で仲の良い姿を見せていただいた。
デビュー曲「あじさい寺」は色あせない・・・。  いよいよ被災地へ入る。

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2011年6月14日火曜日

鎮魂と祈りのライブ(6/14 加須市) 旧騎西高校(双葉町避難所)

原発から避難された方は特別な思いを持っていらっしゃる。
3/12朝、何の説明もなくとにかく南へ今すぐ逃げてください。
せいぜい2~3日で帰れるだろうと着の身着のままで車に飛び乗り大渋滞を越えて必死の思いでたどり着いた。
それから三ヶ月。
壊れてはいるものの家は残っている。ペットや家畜もそのままの家も。
状況はなかなか改善されず、いつもどれるかまったくわからない。
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  0614_03.jpg 5階視聴覚室

2011年6月13日月曜日

鎮魂と祈りのライブ(6/13 浦和) プランタン

今年の1月17日、阪神淡路大震災16年目に神戸のメリケンパークから映像とメッセージを送ったさいたま市役所危機管理課の皆さんがセッティングしてくださったライブ。
1年前にはミニコンサートを行い、着実な交流が続いている。
明日の埼玉の避難所を紹介してくださったのもここの木村さんだ。
お店のご好意にも感謝!
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鎮魂と祈りのライブ(6/13 東松山) 正代公会堂

4年ほど前から伺うようになった埼玉県東松山・母方の先祖は800年も前から交流がある。
荒尾の小代の元祖はここ正代なのだ。
正代氏のことを研鑽されている正代の皆さんは、急な要望にもかかわらず
松坂市議、青連寺ご住職、区長さんはじめ、多くの人に集まってもらった。
その中に二組の原発から避難されているご夫婦が参加され、
涙ぐみながら聞いてくださった。
今回の被災された方との初めての出逢いとなった・
気が引き締まる。

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2011年6月12日日曜日

鎮魂と祈りのライブ(6/12 千葉) Natural Studioジョイントライブ

久々のYou子姉との共演。
佐倉のユーカリヶ丘というおしゃれな家が並ぶ新興住宅街の一角にある店。
オーナーはオーストリア人の夫と日本人の妻。かわいい9才の娘とおばあちゃん。
幸せなファミリーにつかの間のやすらぎ・・・。
千葉の皆さんにすっかりお世話になりました。
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2011年6月11日土曜日

鎮魂と祈りのライブ(6/11 渋谷) らんたん

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10日間続くライブの1日目。
心の不安と湧き上がる意気込みを抑え、長距離車を走らせた心地よい疲れも相まって不思議な感覚のライブとなった。
母校の学長が来て下さり、心強い励みになった。

鎮魂と祈りのライブへ

6月11日朝、いよいよ出発。
曇り空。3ヶ月目を迎えても1日として心が晴れることはなかったでしょう。
どういう顔をして、どんな気持ちで皆さんと対面したらいいのか、心が決まらない。
勇むでも、弾むはずもなく何かに押されるようにまずは、現実を受け止めてこようと思います。

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