2018年4月30日月曜日

【 歌うことの大切さ 】〜 どうして歌うのだろう 〜

【 歌うことの大切さ 】〜 どうして歌うのだろう 〜
伝えたいことがある。伝えなければいけないことがある。聞いてくれる人がいる。聞いて欲しい人がいる。僕が今、歌をやめたとしても誰も困らない。ほとんどの人が知りもしない。いつものように世間は動いているだろうし、誰も気がつかないし傷つかない。少し寂しく思う人がいるかな? 役者や歌手やタレントやスポーツ選手や作家、政治家、実業家… 誰もがいなくなっても、惜しんだり、悲しんだり、寂しく思うが、大抵は世間は何不自由なく動いている。でも、だからといって、このままほとんどの人に知られずにやめてしまうのも悔しいものだ。39年間何のために続けてきたのだろう。別に有名にならなくていい。ヒット曲が欲しいわけでもない。でも、何かを伝えたいのだ。何かを残したいのだ。何かの、誰かの力になりたいのだ。だった一人の人のためにも。ほんの少しでも、生きてきた社会や大切な人のためになるのだとしたら… 。先に逝った人の喜びになるのだとしたら… 。その結果、多くの人の心に届いて、多くの人が感動してくれたら『帰らんちゃよか』のような将来に残る歌になる。両親を思い出してくれる。喜んでくれるだろう… 。

◎ 今日は、[FMおおつ開局]記念、[関島秀樹 音楽の館]番組スタートお祝いライブでした。〈奏美ホール〉という、大津の小さな山小屋のような、とても音の響きの優しい会場での初めてのコンサートでした。連休の合間にもかかわらず、いっぱいのお客様に来ていただき、ありがとうございました。








打ち上げは〈柳生〉という、これまたなかなか味のある、大津商業野球部出身の大将が開店30年になるという、「野球」からもじった名の隠れ家的な店。新たなる旅立ちを誓いました。




《お願いとお知らせ》
⭕️5月7日〜8日のバスツアー あと5席の余裕がございます。
⭕️5月20日 加藤登紀子さんの「びわ湖音楽祭」のチケットが8枚ございます。
時間と予算の余裕のある方、どうぞよかったらご連絡下さい。
※お問合せ:風の丘音楽工房 ℡ 080-6185-5152

2018年4月28日土曜日

【 64年の思い出 】〜 母は何を残してくれただろう… 〜

【 64年の思い出 】〜 母は何を残してくれただろう… 〜
ふた7日を迎えました。体の疲れはどんどん回復するのですが、いろんなことを思い起こして、心のほうは沈み込んでいきます。いろいろとああすれば、こうすればと悔いが頭をもたげてきます。あの日、寄り道せずに、まっすぐ帰っていれば… もう一回電話を入れていれば… 。母の疲れ具合をちゃんとわかってあげれたら… 10日も一緒にいたのに、もっと母の話を本気に受け止めていたならば… 。玄関も、台所も、洗濯物もも、庭の手入れも掃除も、全て綺麗に片付けたあと倒れたようです。15日、僕の仕事が終わって、次の仕事の21日までの間に全てが片付くように、迷惑がかからないように、なるべく、会いたかった人に、お別れができるように… 。見事な旅立ちでした。「心配いらんよ、よか人生だったよ。あとはたのむね。みんなで仲良く、楽しくやんなさい!」そんな明るい声が聞こえるようです。仲良く、楽しく、心配かけず、幸せに暮らすことです。父のことは大丈夫。7歳の時に出会い、初恋をし、22才で結婚し、喧嘩をしながらも67年間幸せに一緒に暮らした、あなたの大切な人を僕たち子供たちで守ります。いつも成長を楽しみにしていた孫たちも、立派に育てます。あなたの大好きだった、人とのふれあいと会話、花と自然、詩吟と音楽を大切に、多くの人に喜んでもらえるように、精一杯生きてゆきます。これからあなたの、今までの思い出や生活の品を整理する中で、またいろいろなものを気づかされ、教えてもらうと思います。これまで至らなかったり足りなかったものが、たくさん見えてくると思います。謙虚に、素直に受け止めて、これからの人生の糧にしたいと思います。今日まで溢れるほどの優しさをありがとう。




2018年4月25日水曜日

デビュー40周年に向けての新たな旅立ち❗️

【 デビュー40周年に向けての新たな旅立ち❗️】〜 こんなにも長く歩いてきたんだなぁ 〜
デビュー曲の「あじさい寺」にちなんで、たくさんの紫陽花の花でステージを彩ってもらいました。紫陽花は母の大好きな花でした。39年前、当時の大牟田市民会館でデビュー記念コンサートを開かせてもらった時に、お客様からいただいた抱えきれないないほどの紫陽花の中のいくつかは、今も実家の庭先に毎年見事な花を咲かせています。今年ももうその日を静かに待っています。紫陽花を見るといつも母のことをのことを思い出していました。今回は特別なことは考えていなかったのですが、有志の方が、何度もライブをさせていただいている滋賀の野洲のお寿司屋さん[鮨雅]さんでのお祝いコンサートを企画してくださいました。店いっぱいのお客様に祝っていただき、またお悔やみや励ましていただき新たな力をもらいました。これも母からの置き土産でしょう。これまで応援していただきましたたくさんのファンのみなさん、関係者のみなさん、支え育ててくれたバンド、音楽関係の皆さん、母ともご縁をいただいた方々、両親、家族に心から感謝の気持ちを申し上げます。どうもありがとうございました。これからもしっかり歌い続けていきたいと思います。










2018年4月24日火曜日

【 デビュー39年前日ライブ 】〜 お祝いの乾杯とお別れの献杯 〜

【 デビュー39年前日ライブ 】〜 お祝いの乾杯とお別れの献杯 〜
母は、僕の一番の応援団長で、追っかけファンでした。行ける場所には何とかして顔を出してました。荒尾、熊本ではもちろん、東京、関西、バスツアー…etc。父が連れて行けなくなってからも、誰かを誘って一緒に連れて行ってもらったり、タクシーで駆けつけたり… 。最初はなんか嫌で嫌で、「来んでよかよ!」と言ってましたが、「なんで〜 行ってもよかろ?○○さんと行くけん」と何とか理由をつけて聴きに来てました。「今日はよ〜声の伸びとったね〜」とか「あの話が良かったよ〜」とか褒めることしかしませんでした。もう、ここ20年は諦めて、好きにさせていました。〈さくら道バスツアー〉〈永源寺や彦根の紅葉コンサート〉〈尾道、琵琶湖周遊〉…。ですから、僕よりファンの人と親しくなって、果ては母のファンになってしまいます。今夜は特に母の好きだった歌を歌い、母を知る皆さんとデビュー39年のお祝いと、お別れの献杯でした。母は、僕がいつまでも元気で歌いつづけて、皆さんに愛され続けることが一番嬉しいのです。これからもそれに応えられるよう心に残る歌を作り、歌いつづけます。空の上から応援してくれてるでしょう。
僕のホームグラウンド[どん底ハウス〜アザーサイド〜わからんや]池野さん、島ちゃんと34年のお付き合いです。
《今日は思いを込めて、心からとても気持ちよく歌えました!力をくれてるようです。お母さん ありがとう❗️





何を見ても何を歌っても思い出すのは母のことばかり...

【 奈良は初夏のように萌え … 】〜 何を見ても何を歌っても思い出すのは母のことばかり 〜 《母にご縁をいただいたすべての皆様に、心よりお礼を申し上げます》 一生で一番長く居た人でした。母との別れは誰もが通る道で、当然自分にもいつか来ることは覚悟はしていましたが、一番受け入れたくなく、一番恐れていたことでした。息子にとって母親は、ある意味初恋の人です。美しくやさしい思い出を抱きつつ、だんだん老いてゆく現実を突きつけられます。頭では理解できても、突然の別れにはかなりきついものがあります。もう少し長生きして欲しかったなか〜。そばにいて送ってやれなかったのが申し訳なく、思えば悔いばかりです。何か、何とかできなかったのか… まだ信じられず、夢の中のようです。たくさんの方々に支えられ、励まして、一緒に悲しんで、心配していただき、僕は大丈夫です。本当は、一番悲しいのは、出会って83年、結婚して68年連れ添ってきた父親です。今も毎日母を探しています。『帰らんちゃよか』を作ったばっかりに、(これは実話ではなく、僕の想像の歌ではありますが… )強がって、寂しさを口には出しませんでしたが、最近はずっと、素直に会いたい気持ちを表していました。三人の子供が家を離れたあと、父と母は40年間二人きりの暮らしでした。でも多くの方々に慕われ、愛され、誰とでもフラットに親しく楽しく話のできる天性の明るさを持つ母の生涯は、人に囲まれて幸せだったと思います。一切人の悪口は言わず、愚痴や弱音を吐くこともなく、人の心配ばかりして、自分のことは欲がなく、誰の世話にもならず、誰にも迷惑をかけず、黙って静かに逝った母の人生は、実に見事だったと思います。僕の誇りです。どうぞ忘れないで下さい。ありがとうございました。



2018.4.22. 奈良「ビバリーヒルズ」ライブ

2018年4月22日日曜日

会葬のお礼とご報告

【 会葬のお礼とご報告 】〜 無事に母を送りました 〜 
突然のことで皆様にはご心配と温かいお心遣い、ご配慮をいただきました。心より御礼を申し上げます。18日の通夜、19日の告別式、引き続きの初七日の法要と無事に終えることができました。皆様にはたくさんのご心配、悲しみ、お別れのメッセージ、弔電、御香典、お気遣い、葬儀にまで足を運んでくださった方もいらっしゃいました。お一人お一人にきちんと感謝の気持ちもお礼もお伝えできずに申し訳ありません。もう少し落ち着きましたら改めてご連絡させていただきます。素晴らしい晴天に恵まれ、真っ青な青空の下、お世話になりました、ご縁をいただきました多くの人に見送っていただき、母は気持ちよく、微笑みながら旅立ちました。これまでたくさんの方に母の人生に彩を添えていただき、私のわからないところでも色々と支えていただきまして、本当にお世話になりました。父も悲しみと寂しさを抱えながらも何とか元気でおります。まずはこの場をお借りして、御礼とご報告をさせていただきます。
僕の仕事のほうは予定通りこの後もがんばっていきたいと考えております。どうもありがとうございました。
           2018年   4月22日        関島秀樹



2018年4月21日土曜日

【 びわ湖音楽祭 プレコンサート】〜 雄松が里の 乙女子は… 〜

【 びわ湖音楽祭 プレコンサート】〜 雄松が里の 乙女子は… 〜
[琵琶湖周航の歌]が誕生から101年目の今年は、5月20日に〈和爾文化センター〉で開催されます。そのプレイベントして今日は、二番の歌詞に出てくる[雄松崎]でコンサートを開きました。これ以上ないという快晴に恵まれ、“松は緑に 砂白き〜”の近江舞子の浜にある[ほとり・ポトリ]には会場いっぱいのお客様で、最後は、肩を組んでの〈琵琶湖周航の歌の大合唱〉で終了しました。本番に向けて気運がぐっと盛り上がりました。












5/20、僕は参加できないのですが、ぜひ皆さんで会場をいっぱいにしてください❗️