2018年11月11日日曜日

【 父は一等賞の人生でした!🏃‍♂️】〜 玉高創立115年 大同窓会 🎊 〜

【 父は一等賞の人生でした!🏃‍♂️】〜 玉高創立115年 大同窓会 🎊 〜
今日も最高の秋晴れでした。”マラソンの父”と呼ばれた【金栗四三(かなくりしそう)】さんの銅像の除幕式が新玉名駅のプロムナードで賑々しく行われました。20歳の頃の四三さんの若々しく精悍なお顔です。初めてお会いする三人の娘さんたち、(三女 蔵土スミ子さん、四女 酒井ヨシ子さん、五女 森元子さん。皆さん高瀬高女〜玉名高校卒業です。)淑やかで品が良く、背が高くスマートです。ご挨拶で『父は五輪ではメダルは叶いませんでしたが、多くの人の応援で一等賞の人生を送らせていただきました!』と晴れやかな顔で喜びを表していらっしゃいました。







その後の行われました大同窓会では、特に誰からも頼まれていませんが、今回のために僕が勝手に金栗さんへの想いを綴った[『黎明の星 〜 いだてん 金栗四三 走り続けて 〜 』を披露させていただき、創立100周年の15年前に作った『玉高を忘れない』と共に歌わせていただきました。「玉高を…」にも金栗さんは〈玉高の七不思議〉として登場するのですが、読み方は[かなぐりさん]です。そして、その高校の前庭にある銅像は昭和44年に金栗さん喜寿のお祝いに建てられたもので、なんと、あの玉高伝説『♪金栗さんが 真夜中に走り出す… ♪』は、僕らが入学する前年に生まれたものだったのだろうか? いや〜待てよ! この少しボケかかった頭の記憶をたぐり寄せると… ひょっとして、その話は、僕らが生徒会をして、新入生にこの話を伝えた昭和46年の春の“オリエンテーリング”で 僕らが初めて作り出した話だったのだろうか? 「だったらすごい!」そういえば生徒会のみんなで、7つの不思議話を考えてた覚えがあるなぁ〜???。いつかその真相を確かめてみたいと思う。それにしても、いくつになっても同窓会はみんな心からその年に戻って、若々しく楽しめるもんだなあ〜 。懐かしい恩師、先輩、後輩に再会できました。

🏃‍♂️明日11月13日は昭和58年(1983年)92歳で亡くなった命日にあたります。奥ゆかしく、派手なことが苦手だった金栗さん。天国で苦笑いされてるでしょうか?
 🏃‍♂️ それにしても、四三さんの名前がお父さん43歳の時の子だからつけられたそうですが、ご自身も40代でお子さんをもうけられたとは… 《生涯25万キロ》を走り続けた金栗さんは、何事にも桁違いの男でした❗️