2016年2月21日日曜日

〜 17回目の関西荒尾会 〜

【 人はいつまで故郷を思い続けるだろう…】

僕の生まれ育った熊本県の片田舎です。かつては玉名郡荒尾村といわれ、三井三池炭鉱で栄えた県境の街です。昭和30年、40年代は関西、中部、関東方面に出て就職する人が多くいました。熊本県人会はどこも盛んですが、“荒尾”の付く会は関西が唯一ではないでしょうか。18年ほど前にこの会をつくろうと準備を始めた時の、僕もメンバーの1人に参加です。43才だったかなぁ〜。あの頃まではどこも県人会や同窓会が盛んでした。僕はずっと1番の若手でした。そして今でもその1はあまりかわりません。そこで再会したり同郷の人と出会うの本当に楽しくて、時間があれ喜んで参加しました。中心は昭和10年代生まれの方で、団塊の世代位までのようです。戦争を体験し、戦後の貧しい時代から高度成長を共に苦労し生き抜いた人たちの思い出を共有し、共感できる人たちだからこそ続いてきたんだと思います。どこも、もう僕たちより若い、“三無主義”と言われた世代から下の人たちは興味が薄いようです。同窓、同期、同志と言う言葉も暑苦しいようです。個人主義になりましたから…会社での社員旅行や運動会も無くなりました。「おい 一杯付き合えよ!」「今日はとことん飲むか!」そんな言葉も死語になりつつあります。
街に出ればみんな視線はスマホです。電車の中で、何をしてるかと覗くと、大体ゲームとか大した事はしてないように見えます。最近はイヤホンをしている人も目立ちます。目だけでなく耳さえも塞いでいます。街の風景や人の表情はまず見ません。季節の移り変わりを感じたり周りの人への気遣いも無理でしょう。情報の洪水とLINEのやりとりに時間を割かれているのです。変なことをする人が増えてきました。昔からいるよ!そう言う人もいますが、親や祖父母や我が子に手をかける人は特種でした。お年寄りや障害者など弱い立場の人を傷つけることなど想像も出来ませんでした。自分が知られないからと平然と人を傷つける言葉をぶつけたり、騙したり、社会を混乱させたり…人の不安や悲しみが身に染みて感じられる人にはそんな事はできないはずです。共感、共有、共存、共生できない人が増えているのです。同じものを見て感じて体験することが難しい時代になりました。県人会、同窓会、OB会は絶滅危惧種になりつつあります… ”僕らの世代はかろうじていい時代に生きた”と思っているのは僕の錯覚でしょうか…