2019年5月15日水曜日

【 新しい世界はどうなるのだろう 】〜 沖縄本土復帰記念の日に… 〜

【 新しい世界はどうなるのだろう 】〜 沖縄本土復帰記念の日に… 〜
👐1972年(昭和47年)は高校三年生。この年、ずっと秋に開催されてた玉高名物[体育祭]の《応援合戦》が、受験勉強に支障が出ると言うことで春に移行した。応援団長を任せられた僕と応援団員は、入学したての新入生と新二年生のやる気を起こさせ、まとめるのに必死で、沖縄返還のことは半分上の空だった。今日5月15日は、27年間アメリカの統治下にあった沖縄が日本に返還された日。今なお基地の問題は残り続け、本土並みにはまだ遠い道程だ。そんな折、国会議員が北方領土の返還に関し、バカなことを言った。こちらは74年も返還を願って地道に活動されてきた。体験者が減り、語り継ぐ機会もなくなる。戦争の悲惨さ、虚しさ、重みを感じない日本人が増えてきている気がする。人の痛み、相手の気持ち、心の機微を読み取れない。


娘を性的暴行の父親への無罪判決。幼い子や高齢者への暴力。弱い立場、恵まれない人、障がいのある人、うまく生きられない人への気遣い。いじめ。いつのまにか、強い、力のある人、見た目のカッコイイ、かわいい、うまく立ち回れる、調子のいい人ばかりがもてはやされる世の中になってはいないか? 昔は[勧善懲悪][弱気を助け強気をくじく][正義の味方][清く正しく美しく][能ある鷹は爪を隠す][謙譲の美徳][正々堂々とやれ!][姑息な、卑怯ことはするな!]なんてことをよく聞いたものでした。
「恥ずかしい!」「情け無い!」「親に、お天道様に顔向けができない!」なんて思って歯を食いしばって頑張ったものでした。


👩‍🌾 滋賀で幼い子供を巻き込んだ悲しい交通事故から一週間です。子供の命や希望のある未来を守れないのは社会とすべての大人の責任です。普段から、子供たちや弱い立場の人を守ろうと言う気持ちが希薄なのです。僕も含めて、子供たちの個人、集団での登下校の様子を見ながらハラハラしていても何も行動にできなかったのです。横断歩道や駐車場で幼い子の手を握らない親。自転車で親の後を追う子ども。世間は危険がいっぱいで、そういう中を生き抜いていかなければいけないたくましさも必要ですが、本当に弱い子を守るべきは親や大人たちです。横断歩道で人が待っていても車は止まりません。曲がった先の横断歩道に人がいても渡るのを優先する車は少ないです。今や黄色信号や赤に変わったばかりなら、気をつけながら通過してもいいと言うのが当たり前になりました。自然災害も含め、どこにいても危険なのはわかっています。でも、できることをすべて尽くしてなるべくその確率を下げなければいけません。【令和】の日本はどんな社会にしたいでしょう。この交通事故を機に、【滋賀】は、日本で1番歩行者に優しい車の運転をする県を目指してほしいと思います。
🥰 黄色で止まる。横断歩道で歩行者がいたら止まる。子供やお年寄りを見かけたら減速する。譲り合いの運転をする。琵琶湖と山々に囲まれた自然豊かなこの街を、ゆったりと安全運転で走る!そんな日本で1番安全で、世界に誇れる県なってほしいと思う❗️そんな素敵な夢を目指したいものです‼️



こんな写真が出てきました。この前の年から応援合戦に色が使われるようになりました。(僕の記憶が正しければ)。当時は赤組と言ってましたが、1970年の紅白で布施明さんが「愛は不死鳥」を歌われたときのイメージを拝借してこんな格好をしていますのが赤組の団長の僕です。応援合戦では優勝でした❗️