【 長嶋さんは唯一無二の憧れの星でした❣️】 〜 僕はそれで野球少年になった❗️〜
“♪♪さん さん さん さん ナ〜ガシ〜マさん♪♪“ というメロディーがずっと頭の片隅に残っている。小さい頃にテレビから流れていたコマーシャルソングだが、誰に聞いても覚えている人はいない⁈ 背番号3で三塁手、3番バッターと言う3にまつわるスーパースターだったから、そんな歌が生まれたんだろう。だから僕の好きな番号はずっと〈3番〉と、大学時代の草野球チームの時の背番号だった〈17番〉になってしまった。偶然にも今は大谷翔平クンだ!長嶋の巨人入団は覚えていないが、天覧試合のホームランは、なんとなくおぼろげに記憶にある。熊本では野球放送も巨人戦しか流れないし、川上哲治の出身と言うことで、小学校でも男の子はほとんどがジャイアンツのYGの野球帽を被っていた。たまに西鉄ライオンズファンもいたが… あの天真爛漫な明るいキャラクター、派手なプレー、ここぞ!と言う時に期待に応えてくれるヒーロー、敵味方を超えて観客を惹きつけるスター性❗️王選手とともにみんなの憧れの的だった。当時、“写真パチ”の遊びが流行っていてよく集めていた。力道山、柏戸、大鵬とともに戦後の復興からテレビの普及とともに高度経済成長の希望の星だった❗️昭和40年代の川上監督率いての巨人のV9時代はその頂点だった❗️長嶋引退、江川、桑田問題、ピークを過ぎた他球団からの主砲のトレードや大リーグからの助っ人… その頃から巨人への愛着もだんだん消えてゆき、日本のプロ野球への興味も薄れて行ったような気がする。そんな時の熊本出身の古葉監督率いる広島や阪神タイガースの優勝!西武、ダイエー、横浜、ヤクルト、ロッテ… それまで弱小と言われたり地方の注目されなかったチームが活躍するのがワクワクして嬉しかった。それでも長嶋茂雄だけは別格だった❣️ 1度目の巨人の監督を退かれた後、文化人として活動されてる時に、一度だけほんの2 〜3分二人きりで会う機会がありました。奇跡的なほんの一瞬の偶然の産物でしたが、そんな時も偉ぶることもなく普通の明るくフレンドリーなそのままの長嶋さんでした。僕のささやかな大切な宝物の時間でした。僕の子供の頃の憧れの雲の上の人。よく格好を真似したものでした。少しだけプロ野球選手へ夢を見させてくれました。勝つことへの執念と努力することの大切さを教えてもらえました。権威主義ではなく、すべての人を平等に見て、尊重し、人を嫌な思いにさせない、気遣い、心遣いをされる人でした。スポーツも人生も何事も自分らしく、失敗を恐れず、明るく楽しくやるもんだと❗️そのためには努力を惜しまず、諦めず続ける事だ❗️そう教えられた気がしました。89歳かぁ〜 18歳先輩かぁ〜 残念ですが…寂しいですが…ほとんどのことをやり遂げられて、いい時代を精一杯駆け抜けられて、多くの人に愛された素晴らしい人生を全うされたと思います。お疲れ様でした。たくさんの感動をどうもありがとうございました❗️