1979年にデビューして以来、「父ちゃん母ちゃんな元気しとんなはんな」「あきらめんでがんばっとたら いつか認められるけん」そう口癖のようにおっしゃっては、いつも励まして下さいました。1995年 「生きたらよか」を自分でを歌いたいと言って下さった時、「タイトルのちょっと堅かなあ〜」と言われて、『帰らんちゃよか』と命名されたのは “ばってん荒川さん”でした。それ以来、「こらあ ほんなこつ よか曲なぁ〜」と僕のことを「先生!」と冷やかし半分によく呼ばれた。「また、新しか曲ば作ってよ!」と言っていただいたのに、とうとう次の曲を差し上げられずに逝ってしまわれた。2006年 10月22日 69歳の早すぎるお別れでした。あの時、“ばってん荒川さん”が僕の歌を歌って下さらなければ、今の僕はなかっただろうし、『帰らんちゃよか』を歌い継いで下さった【島津亜矢さん】も、違った歌手人生になったことでしょう。-つづきは次回に… -