2015年4月18日土曜日

【 もう1人の関島秀樹 】 〜 影武者かそれともクローンか… 〜

1985年、その男は15歳の中学生だった。そして今年彼は45才になった。運命の女神はこの30年間、じっとこの時が来るのを待ち構えていた。30年前は僕の番組に、彼の彦根に住むおばさんからの投稿があったのだ。《関島秀樹という同姓同名の中学生の甥っ子が長野にいます》。「へ〜 、なんじゃこりゃ ❗️」普通はそれで終わる話です。ところが僕が1年ほど前からFacebookを始めたものだから、その甥っ子がアクセスしてくれました。僕もとても印象でしたからよく覚えていました。その話を番組で話したらまたそのおばさんがアクセスしてくれました。30年前もそして今も奇跡的におばさんは僕のラジオの話を聞いてくださったのです。その話は30年間続いていたのです。
僕の親父が近頃ちょっと弱くなってきました。もう関島家のルーツを探るのは今しかないと思い長野県飯田に来ました。その甥っ子がいろいろと手配をしてくれて、飯田の関島家と感動的な出会いをすることができました。まずは昨日の[中日新聞]。『30年ぶりの同性同名の2人が出会う‼️』という記事を載せてくれました。

果たして4月18日の朝、関島家のご家族と対面することができました。ご自宅へお邪魔しました。。お父さん、お母さん、奥様、長男、長女、次女… 僕が到着するのをみんなで出迎えて下さって 、[水引きで作った花束]、心づくしの手料理で歓迎して下さいました。胸がいっぱいになりました。その甥っ子は45歳になっていました。この世にもう1人【関島秀樹】がいたのです。何か不思議な感じがします。そしてそのご家族…。ただただ苗字が一緒だという事だけですが、なんだかずっと会えなかった遠い親戚にやっと会えたような気がしました。【飯田】と言う街が急に親近感を持って近づいてきました。



その後地元のFM局に出演させていただきました。生歌はやっぱり【家族】です。ちょっとした関島フィーバーです。すべて関島秀樹さんがセッティングしてくださいました。



その後、今日出会ったその他の関島さん達です。それぞれは親戚関係ではありません。〈花火〉を作っていらっしゃる関島さんご兄弟。




〈水ひき〉を作ってらっしゃる関島さん。ここでは家紋のことも教えていただきました。飯田は水引の生産量は日本一です。消防団の関島さんや音楽教室の関島さんなどなど、こちらでは関島さんがいっぱいです。



ここにはまだ桜が咲いていました。花桃や梨の花も街に溢れています。落ち着いた美しい街です。《川本喜八郎》の人形美術館がありました。飯田では毎年{世界人形フェスティバル]が開かれているのです。名古屋の[紙風船][フレッシュ]の皆さんともご縁がありました。


宿は、山田洋次監督もお気に入りだと言う、静かな渓谷の隠れ宿《峡泉》です。すぐ下を天竜川が流れています。この川が、たびたび訪れる〈浜松〉につながっているのです。


【ご縁】はどこまでも続いています。夜は感動の一日を振り返り、酒盛りとなりました。もう明日のマラソンの事は忘れています。大丈夫かなぁ…。なんと明日は関島秀樹さんと2人で選手宣誓をすることにもなってしまいました。大変なことになりました。我々の出会いの後日談を期待している人もいっぱいいらっしゃいます。しばらくは関島秀樹の話題で持ちきりになりそうです…。