2015年4月5日日曜日

梨の日の大イベント2つ

【 梨の日の大イベント2つ 】~ この日のために雨が待ってくれました ~
最近“天気予報]がよく当たるなぁと感じています。[天気予報士]がタレントのように得意げに天気の話をします。衛星からの映像や分析の技術がずいぶん発達したのでしょう。それにしても主役は天気なのです。予想ができて助かるものも多いでしょう。しかし僕はあまり厳密に当ててほしくないと思います。誤解を恐れずに言えば、天気は意外性があるので面白いのです。人生と似ています。遺伝子検査も同じです。未来があまりにもはっきりしすぎるとどうでしょうか…
70%の雨の予想が最後まで持ってくれました。《僕の唯一誇れるものは、36年間仕事が一度も中止になったことがないということです》僕の記憶が正しければ…。いくら天気が悪くて台風が直撃しても僕のステージは粛々と行われるのです。
【荒尾梨】の創始者の1人が僕の[祖父関島増男]です。その縁の荒尾梨の1番綺麗な日に元気ウォークが開かれました。[赤田公園]まで往復の11キロの行程です。見違えるほどの整備された赤田公園では名物《だご汁》が振る舞われました。途中には今が盛りの梨の花が真っ白に咲き乱れ、綿雪のような絨毯が広がっていました。約500人弱の参加者は、皆さん楽しそうに話をしながら、元気に完歩され、到着後には僕のコンサートを楽しんでくださいました。自然と楽しい話が口をついて出てきます。普段あまり話さない御夫婦や親子の皆さんが、きれいな空気を吸って、鳥のさえずりを聞き、すばらしい景色を見ながら歩くと不思議と会話がはずむのです。僕はこれは体の健康以上に心のリフレッシュが大きいと感じ、これは《梨の花元気トーク》だなあと思いました。そこで提案です。ネーミングを《梨の花元気ウォーク&トーク》と名付けたらいかがでしょうか…。
まさにその同じ日に、関島増男が亡くなるまで暮らしていた(なくなったのは1979年1月14日、91歳。僕のレコードデビューした年です)家、僕の父[慶典]が生まれ育った実家が取り壊されました。もう150年程度前の建物で、大きな梁もある昔ながらの立派な建物でした。庭には、父が小学校に入るときに植えたと言う大きな<栴檀(せんだん)の木>もありますが、それも近々切り倒されます。父は言葉少なく、感慨深気に、静かに涙を流していました。【4月4日】この日は忘れられない日となりました。僕の中の《梨の記念日》です。

写真1・・ “梨の花”はこんな花














写真2・・4月4日の[あらお梨の花元気ウォーク]開会式にて。左端が山下荒尾市長

写真3・・ 満開の“梨の花”

写真4・・[あらお梨の花元気ウォーク]後のコンサートにて

写真5・・[荒尾梨100周年の新聞記事]

写真6・・8年目に6つの花びらを咲かせた荒尾四山神社の荘川桜













写真7・・平成19年6月2日にこの参道の横に植樹をしました。

写真8・・これも8年前の[有明新報]の記事です。ここには《肥後一郎》と名前がついていました。


 注)今回は、カメラデータを取り込むことが出来ず、参加された前川 徹様から頂いた写真をカメラで写してアッブしました。悪しからず… いずれ別の機会に僕の写真はアップします。