2015年4月19日日曜日

【 天竜峡マラソン無事完走! 】〜 いっぱいの関島さんに見守られて 〜

【 天竜峡マラソン無事完走! 】〜 いっぱいの関島さんに見守られて 〜
『 宣誓 われわれ選手一同は、天竜峡の美しい自然に“ヒデキ カンゲキ!”しながら、今が青春真っ只中の気持ちを忘れず、楽しみながら決して無理をせず、最後まで走り抜くことを誓います‼️』(原案は飯田の秀樹さんの考案)。2人で心を合わせた〔選手宣誓〕は完璧でした。

本番のマラソンも、前夜の酒盛りの寝不足とお酒が少々残っていながらも、無事完走することができました。スタート前のラジオ体操を指導する方も関島真治さんでしたし、小学生の関島兄弟や何人かの関島さんと出会うことができました。















天竜川沿いの素晴らしい自然に囲まれたアップダウンのコースは飽きることなく目を楽しませてくれました。八重桜や花桃、梨の花が咲いています。街の中にゴミ1つありません。街全体が山に優し
僕のルーツかもしれない[長野県の飯田市]の【関島氏】を訪ねる初めての旅。そのきっかけを作ってくれ、見ず知らずの僕に骨を折ってくれた[飯田の関島秀樹さん]。もう仏さんのようにいい人です。修行僧のように生真面目な人です。僕はその彼を、飯田の関島さんなので“いい関島さん”と呼ぼうかと思いました。でも、僕たちの[横の糸]をつないでくれた彦根の[三恵子おばさん]が甥っ子のことを“秀ちゃん”と呼んでいらっしゃる事を聞いたので、僕もこれから“ひでちゃん“と呼ぶことにしました。なんか弟のような感覚です。おじさんの康治さんも伸子おばさんも喜んでくれているそうです。
1185年 信濃の国を収めた小笠原信濃守長清から始まったこの地の歴史。もともとは居城松尾城内に祀られていた守護神《名古熊八幡神社》の氏神様の【枝宮様】。同氏の人々が1つの神様の下に集結し、またその境内にあるそれぞれの十社の氏神様を崇敬し、祀り、社地、社殿、同族の誇りを連綿と守り続けていらっしゃいます。その春の大祭が偶然にもこの日に行われていました。マラソンの後そのままの格好で急遽そのお祭りに飛び入り参加させていただきました。
伏見稲荷大明神を祭神とする[原田の関島氏]。愛宕神社を祭神とする[峯の関島氏]。富士天白大明神を祭神とする[関島、唐沢氏氏]。ここに写っている皆様は皆【関島さん】です。歴史を感じさせる幟旗。確かに鳥には【関島神社】とあります。お忙しい中、長老の原田の関島伸喜さんにお話を伺いました。この中には関嶋さんもいらっしゃいます。九州に関島氏がいるとは聞いたことがないと言う答えばかりです。まだまだわからないこともたくさんあります。ますます謎は深まり、興味津々です。マラソンの当日と年に1回の大祭日が重なると言う奇妙な偶然もあり、《これはただごとではない!》という気持ちを改めて深く感じました。
あっという間のお別れは、温泉に入り、最後はやはり信州そばでしょうか?おいしい おいしいお蕎麦をいただき、店主の方にお礼を言って帰ろうとふと見上げると【島津亜矢さん】が微笑んでいました。ここには亜矢ちゃんの大応援団の方がよくいらっしゃるそうです。ダメ押しです。この旅は、最後まで僕の縁を繋いでくれて、幸運の神様は真から楽しんで応援してくれているようです。改めてゆっくりと訪ねなければいけないなあ。親父が元気なうちに…。今度は[縦の糸]を紡いでみよう。