東日本大震災から3ヶ月後、誰も知らない僕の歌で何か力になることがあるのだろうか。皆さんの心を傷つけてはいけないと、不安いっぱいの中で恐る恐る訪問したのは、段ボールだけで仕切りをしただけの避難所でした。邪魔にならないようにと小さな声で歌い始めたのは童謡でした。少しずつ人が集まってきて、「震災以来歌を忘れていました」「初めて思いっきり泣くことができました」「遠くまでありがとね」そんな言葉で勇気づけられたのは僕の方でした。
夏には仮設住宅に移り、“まぁ再来年のお正月は新しい自宅で新年を迎えられるかなぁ”と言うような希望があったと思います。戻れるものなら慣れ親しんだ“故郷に帰りたい”と思わないはずがありません。そして今年、長すぎた5年を迎えます。
阪神淡路大震災から10年を迎えようとする頃、ある被災者の人が「あー久しぶりに思い出してもらえるなぁ。でもこれが終わったらまたみんな忘れるんだろうなぁ」とぽつりとつぶやかれ、『あの日を忘れない』を作りました。あの恐怖も悲しみも、みんなで力を合わせた喜びも、世界中の人たちに助けてもらった感謝も僕たちは決して忘れない。これからくるだろう災害に立ち向かうためにも、無念にも亡くなった人のためにも…。この経験を生かし、少しでも被害を減らし、1人でも多くの人の命が守れるように…。僕たちは忘れない、忘れてはいけない、伝えていかなければいけない。
1つ救いがあったとすれば、これから“希望の春”に向かう季節にこの日を迎えられると言うことです。必ず復興をします。故郷を取り戻します。これは日本だけのことにとどまりません。かけがえのない地球を未来の子供たちに引き渡すために…
巡り来る春に誓います。
夏には仮設住宅に移り、“まぁ再来年のお正月は新しい自宅で新年を迎えられるかなぁ”と言うような希望があったと思います。戻れるものなら慣れ親しんだ“故郷に帰りたい”と思わないはずがありません。そして今年、長すぎた5年を迎えます。
阪神淡路大震災から10年を迎えようとする頃、ある被災者の人が「あー久しぶりに思い出してもらえるなぁ。でもこれが終わったらまたみんな忘れるんだろうなぁ」とぽつりとつぶやかれ、『あの日を忘れない』を作りました。あの恐怖も悲しみも、みんなで力を合わせた喜びも、世界中の人たちに助けてもらった感謝も僕たちは決して忘れない。これからくるだろう災害に立ち向かうためにも、無念にも亡くなった人のためにも…。この経験を生かし、少しでも被害を減らし、1人でも多くの人の命が守れるように…。僕たちは忘れない、忘れてはいけない、伝えていかなければいけない。
1つ救いがあったとすれば、これから“希望の春”に向かう季節にこの日を迎えられると言うことです。必ず復興をします。故郷を取り戻します。これは日本だけのことにとどまりません。かけがえのない地球を未来の子供たちに引き渡すために…
巡り来る春に誓います。