【 続 被災地を行く 】〜 助けられているのは僕の方です 〜
相馬の仕上げはいつもの国道6号線沿いのレストラン[リバー]です。美味いのはさることながら、量が二人前ありますから注文にはご注意を! 皆さんに別れを告げ、北上。新地町〜山元町〜亘理町〜岩沼市〜名取市閖上地区…。この辺りは三ヶ月後に訪れた時にはとても悲惨な状況で、道もズタズタでまともに走れませんでした。今はポツポツと新しい家が建っていますが、町としてのつながりが見えません。志津川〜歌津と走り、暗くなったので、以前ライブでもお世話になった南三陸町にある[ニュー泊崎荘]に泊まらせていただきました。岬の高台にあり、震災後いち早く再開され、家族を中心に頑張ってらっしゃいます。朝陽が素晴らしく、海の幸とロールケーキが評判です。
次の日は釜石まで。途中の本吉町に昭和8年3月3日【昭和三陸津波】の教訓を記した石碑を見つけた。
気仙沼に入る前に、以前立ち寄ったり理髪店[なぎさ]にご挨拶。津波で新装の店も新車も全て流され、仮店舗でなんとか夫婦で力を合わせて頑張ってらっしゃる。島津亜矢さんの大ファンだ!
気仙沼〜陸前高田。そのままの姿を残した建物もあるが、かさ上げで元の町が、道がどこにあったのか、すっかり姿を変えてしまっている。ここに住宅や商店を作るのに更に1~3年はかかると言う。それまで待てるのだろうか?
釜石の[平田応急仮設住宅]には、以前お世話になった菊池さんと森谷自治会長が待ってて下さっていた。2012年8月以来で、その時の写真が飾ってあった。里帰りした気持ちになる。「覚えてるよ〜。遠くからよくまた来てくれたね〜」そう言ってもらえると、疲れは吹っ飛ぶ。「ありがとね〜。またガンバっぺし〜!」胸が熱くなる。助けてもらってるのは、本当は僕の方かもしれない…