明日であの震災から3年半を迎えます。僕が初めて被災地に足を踏み入れ、現実を目の当たりにしてから3年と3ヶ月。11回目の訪問は様々なことを思い起し、考えさせられました。時の流れは大きい。人の心も変わって行く。でも記憶や思い出は止まったままだ。収穫の秋を前にまだ風評は続いている。市場に出ているお米や野菜、魚貝類などは検査を受けて安全なはずなのに、まだ避けられているところがある。人々もまだ戻ってはこない。米どころ福島のたわわに実った稲穂が悲しい。線量が比較的高いと言われている南相馬のの畑や田んぼは雑草が生い茂っているだけだ。そこに古くから旅館をやっている抱月荘がある。なんとそこの若旦那(写真2のツーショット)の奥様は荒尾の出身なのです。二人目のお子さんが生まれた直後に原発事故があり、そのまま今お子さんを連れて荒尾の実家で生活をされているそうです。今は3人目の子さんも生まれて、お父さんは南相馬と荒尾を行ったり来たりされているようです。そのお子さん達と先日、荒尾の35周年コンサートで「稲むらの火」を一緒に歌いました。
今回宿泊でお世話になったのは松川漁港(写真3.4)にある岬荘です。少し高台にあり津波の被害からは逃れられたそうです。幸運にも船の被害も少なく、今はほっき漁で大変賑わっています。横浜ベイブリッジに似た橋がありますが(写真5)、今は工事車両しか通行できません。
昨日お邪魔した新地の応急仮設住宅〝雁小屋(がんごや)〟は2回目の訪問です(写真6)。ここは皆さん和気あいあいと仲良く暮らしてらっしゃる様子で、小さな子供さんも多くずっとここで暮らしたいというお年寄りの方も何人もいらっしゃいました。可愛いトトロが笑顔で迎えてくれました。