鉄の街・釜石と石炭の街・三井の大牟田・荒尾は深いつながりがある。市内は、止まってる場所と復興しつつある所が混在している。中妻の仮設でのコンサートに、今から50年以上も前に、北九州から三池争議の前後によく仕事で訪れたという80をすぎた方がおいでになった。三井倶楽部や立願寺温泉のことを昨日のことのように懐かしく話をされ、目頭を熱くされながら聴いて下さった。「お元気なうちに、ぜひとも荒尾にお出かけ下さい!」「ぜひ、また歌いに来てください!待ってるから…」堅い堅い握手で別れた。仮設での生活が5年に延長された。釜石はなかなか復興住宅を建てる土地がなく、いつまでこの不自由な生活が続くのか…。お年寄りにとっての一年は長い。かといって仮設を出ればお金がかかる。甲子第6仮設で「今何が欲しいですか?」とお聞きしたら、即「お金だねえ」と答えられた。人生の締めくくりを、せめて穏やかに過ごせないものか… 虚しさが胸を覆った…