久しぶりに両親と一緒に実家の草刈りと庭掃除をしました。僕は生まれて1歳と3ヶ月でこの家に引っ越してきました。ちょっと見ると今風の普通の家のように見えますが、中身は戦前の官舎の払い下げ住宅で、築80年にもなります。何とか地震にも耐えました。人は大きなものに夢や希望を抱きながら、一方ではごく身近な現実を受け止めながら生きている。
戦時中荒尾には[東京陸軍第二造兵所]があり、旧制玉名中学校に通っていた父は、よく勤労奉仕に借り出された話をしていました。同い年だった母は大牟田高女に通っていて、三井三池染料工業所に勤労奉仕に行っていたそうです。この世代の青春は暗く辛いものでした。“天皇陛下万歳!” 鬼畜米英” 1億総活躍ではなく“1億総動員”の時代でした。“欲しがりません 勝つまでは!”の精神が染み付いた両親は、節約、倹約、贅沢をせず三人の子供達を育ててくれました。今でもじっとしていることが世間様に申し訳ないようで、いつも忙しく何かをしています。「ちっとはゆっくりせんね!」「どっかに行って来んね!」「たまには贅沢すったい!」そう言っても「よかよか、これでよか。家が1番良かつよ」そう言って30年も使っているバッグや靴を履いている。ともに88歳。まだまだ元気!と思いながらも、急に老いたようにも感じる。真面目に真面目に、頑張って頑張って、国のために家族のために一生懸命生きてきた人たちの最後ぐらい、穏やかに、憂いなく、気持ちよく送ってあげたい! それが戦後の豊かな日本で生かされ、生きることができた後の世代のせめてもの感謝の気持ちのお返しでは無いだろうか…。そして今の平和な世界を作る礎となって亡くなった多くの人たちの事も決して忘れる事はできない…
実家の庭に、37年前のデビューコンサートの時にいただいた紫陽花が今年も可憐に咲き始めていました。慌ただしく新幹線さくらで関西に戻り、今日は熊本の球磨郡あさぎり町免田のふるさと会に参加させていただきました。