【 幾年 故郷 来てみれば… 】〜 人吉を訪ねて来ました 〜
熊本地震から約40日が経ちました。アメリカから帰国した次の日、玉名高校時代の恩師が住まわれている人吉を訪ねました。「故郷の廃家」「旅愁」の作詞で有名な音楽家、教育者である[犬童球渓]の故郷です。恩師[鶴上寛治先生]はそのお孫さんにあたる方です。今年84歳を迎えられるのですが、地元に伝わる〈ウンスンカルタ〉の普及や観光案内人協会の会長をされたりで、大変お元気で今も多忙な日々を過ごされています。仲睦まじい奥様[うしを]さんも明るく行動派で、僕の高校の先輩にもあたります。犬童球渓は当時女々しいとされた西洋音楽を深く愛していたため、つらい体験もあったそうです。新潟の女学校に赴任していた時、故郷を思いこの2曲を作詞をしました。ずっと“故郷に恩返しがしたい”と言う気持ちで生きていたといいます。昭和18年、“自分は国のため役にたつことができない”と自ら命を絶ちました。64歳の若さでした。無言の平和への願いではなかったんでしょうか…。鶴上先生10歳の時だったそうです。この度《犬童球渓記念館》が完成し、一足早く拝見することができました。いつかここでコンサートができたらと心から思いました。
今日はオバマ大統領が広島を訪れます。平和への願い、各廃絶の思いが世界に届くでしょうか…。人吉は地震の被害はほとんどありませんでしたが、不幸にも市役所が使用不可になり、いろいろなところに影響が出ているようです。
この日昼間は、これから人吉で7月いっぱい続く〈震災震災チャリティーコンサート〉のトップバッターとして[ボーノボーノ]のギャラリー"PRIMAVERA"で歌いました。
夜はいつもの[モルト]でのディナーライブでした。2店ともかなり美味しいイタリアンレストランで、すばらしい食事と音楽を通して、復興へのお願いと皆さんのたくさんの真心をいただきました。
九州自動車道もまだ一部渋滞が続いています。帰りの熊本駅の新幹線の改札口にこんな手書きのお礼のメッセージを見つけました。多くの方に支えられています。ありがとうございます。《まだまだ…みんなで頑張っとるけん❗️