2018年5月30日水曜日

【 セントラルパークにて 】〜 アメリカは日本の100倍ふとか!〜

【 セントラルパークにて 】〜 アメリカは日本の100倍ふとか!〜
良くも悪くも日本と比べ物にならない!ニューヨークの摩天楼と、人と車と雑踏と、物の考え方や価値観の多種多様なうごめきを見ていると、日本のどの街とも比較できないほどエネルギーのパワーは気が遠くなるほどでかい! 世界はそのまた100倍ふとか! 後に日本人に“ニューヨーク”の発音を『にゅうよぅ』と教えた、日本人として初めてじっくりアメリカを見た[ジョン万次郎]は、どう感じたのだろう? ちょうど同じ頃(1841年)創立されたのが〈フォーダム大学〉です。 ブロンクスの本校とは別に、マンハッタンのリンカーンセンターにある娘が通ったキャンパスを訪ねました。ビル群の中にありながら、すぐ横には広大な〈セントラルパーク〉があります。デビューして10年後、1989年に初めてニューヨークを訪れたときに、心を動かされて作ったのが「セントラルパークにて」でした。観光客用のオープンバスや馬車が行き交い、多くの人たちが思い思いにゆったりと時間を過ごすこの辺の風景は、30年前とほとんど変わりません。しかし、その後結婚し、2人の娘が生まれ、下の娘が大学を卒業しました。母は楽しみにしていた孫の卒業を見届けることなくこの世を去りました。ただただ、時の流れを感じます。 新しく生まれる命と希望に溢れる未来と対象に、さまざまな想いと思い出を残して消えゆく人生。〈永遠の0〉の宮部教官の言葉を思い出す。『私たちが亡くなった後、どんな日本になっているでしょうか… 』













デビュー前のマネージャー時代に言葉を交わしていた[西城秀樹]さん、土曜サスペンスで共演させていただいた[星由里子]さん、15年前にLAでライブをしたこともあった名ギタリスト[井上堯之]さん、玄海竜二さんの公演でお会いした津川雅彦さんの妻で、チャーミングだった[朝丘雪路]さん、島津亜矢さんの舞台公演で好演されていた[左とん平]さん、ずいぶん前に熊本でお会いした[石牟礼道子]さん、母の幼なじみだった法学者で学士会理事長の[松尾浩也]さん… 少しでもご縁があった方が今年になって次々と人生の終焉を迎えられた。 母が戦時中被弾し、第二の命を授けられたのは昭和20年の7月26日(〜27日の荒尾大空襲)。 僕のデビュー39年目の4月25日にも間に合わなかった。今日本では、まさに母が大好きだったデビュー曲「あじさい寺」の紫陽花の花が咲乱れている頃だろう…