【 こんなにも元気にやっています❗️】
〜 鉄の街 “スクラム釜石”は 負けない❗️ 〜
2019年に“ワールドカップラグビー”の試合がここ釜石の地で行われます。かつての[新日鉄釜石]のV7を忘れられません。今は[釜石シーウェイブス]として震災を乗り越えがんばっています。震災後3ヶ月の6月17日に初めて訪れました。たくさんの方が避難された高台にある[釜石小学校]も終業式の準備です。校門に続く桜並木の蕾もだいぶ膨らんでいます。ここから工場の煙突が見えます。入り口に[林芙美子]の〈波涛〉の文学碑あります。
〜 鉄の街 “スクラム釜石”は 負けない❗️ 〜
2019年に“ワールドカップラグビー”の試合がここ釜石の地で行われます。かつての[新日鉄釜石]のV7を忘れられません。今は[釜石シーウェイブス]として震災を乗り越えがんばっています。震災後3ヶ月の6月17日に初めて訪れました。たくさんの方が避難された高台にある[釜石小学校]も終業式の準備です。校門に続く桜並木の蕾もだいぶ膨らんでいます。ここから工場の煙突が見えます。入り口に[林芙美子]の〈波涛〉の文学碑あります。
[釜石駅]もすっかりきれいになっていました。あの当時はまだ信号が止まったままで、お巡りさんが手信号で車の誘導をしていました。あの時いくつか辛うじて営業していたホテルの1つ[ベイシティーホテル]の周りがすっかり見違えるように整備されています。
《甲子第6仮設住宅》は3度目の訪問です。小山さんと言う女性の方が、ある時はお母さんのように、また娘さんのようにずっとここの皆さんのお世話をされていました。今日は6人でしたが、皆さんと6年間の思い出話をすることができました。
《平田第6仮設住宅》は釜石で1番大きな仮設住宅です。今も300世帯ほどの方がいらっしゃるそうです。最後はここに集約されるそうですが、まだ数年かかるだろうとおっしゃっていました。「もうすでに限界は過ぎていると思うのですが…」ここの森谷会長と世話役の菊池さん細かい気配りをされ、本当によく準備をしてくださいました。“おかえなさい❗️” で迎えられて胸が熱くなりました。ここももう一つの“故郷“なのだと感じました。最後に皆さんが交流をされる“みんなの家”でコーヒーを飲みながら、ゆっくりとお話をすることができました。津波ですっかり流されてしまった皆さんの身の回りの品ものは、この狭い仮設住宅の部屋の中にあるものだけです。思い出す写真さえありません。でも皆さん、明るく前向きに頑張って生きていらっしゃいます。本当に僕のような歌をわざわざ聞きに来て下さって有り難うございました。
震災の日の追悼や慰霊や応援のライブはここで【卒業】したいと思います。今度は別の季節に、普通のライブで歌を聴きに来てください。またいつかさらに元気になってお会いしましょう❗️ あの時の新入生が元気に小学校を卒業しました。この6年間本当に大変な日々でしたね。つらいことや悲しいこと悔しいことがいっぱいでした。でもそんな中、嬉しいこと、感激したこと、津波があって生まれた、よかったこともいくつもあったと思います。たくさんの思い出を胸にさらに次のステップに向けてがんばりましょう❗️
皆さんには大変お世話になりました。どうもありがとうございました。