2017年3月14日火曜日

原発の街を行く…

【 原発の街を行く… 】〜 友が待っていてくれた 〜
いまだに福島第一原発の事故による影響を受け続けている町を通りました。残酷な言葉で[帰還困難区域]や[居住制限区域][避難指示解除準備区域]などで区切られていて、4月1日に解除されるところもあります。車は通れるけど二輪車や歩行者は通れないところがあります。いろいろと深い事情と意味合いがあるのだと思います。僕が勝手に表現すると誤解されますので、詳しいことは皆さんで調べてください。ほんとうに言葉や報道で伝えられる印象やイメージは難しい。頑張ってるよ、復興してるよ! を強調するともう大丈夫だなと思ってしまうし、まだまだこんな問題が山積みです!大変な生活が続いています!と言うと、まだまだ復興には時間がかかるな、と感じてしまいます。除染の進んでることを強調すると、もう少しずつ故郷に帰れるのかなと思ってしまうし、まだまだ残ってるところに焦点を当てると、福島の農作物や水産物は大丈夫かな?と思われてしまう。どっちも現実。どっちも真実。でも口に入るものは、きちんと検査を受けているので大丈夫です❗️ 特に福島のお米はおいしい‼️ でも故郷に帰還するには、線量だけの問題ではなく、なかなか生活のインフラが進んでいないのですぐに帰る人は少ないようです。
◆浪江駅前に[高原の駅よさようなら]の作曲者[佐々木俊一]さんの歌碑を見つけました。ここでお生まれになったそうです。



◆ 広野町〜楢葉町〜富岡町〜大熊町〜双葉町〜浪江町〜南相馬市〜 三陸道を走ると、一ヶ所だけ放射線量の高い場所がありました。

◆楢葉町市役所前の仮設食道街。[おらほ亭]のうどん、そばは格安でなかなかの味です。




◆富岡町の桜の名所[夜の森の桜並木]を走りました。今年は見られるかもしれません。




◆常磐線の北限は今は[竜田駅]です。駅舎はすっかりきれいになっていました。



◆天神公園から見下ろす田畑があった場所に、たくさんの除染された放射性廃棄物のフレコンバックが見えました。フレコンバックはあっちこっちに置かれています。


◆大学時代の友が広野町でがんばっています。3月13日の午後広野町の公民館で7度目の《復興応援コンサート》を開いた後、神奈川から駆けつけた友と3人で、無事を確かめ合い祝杯をあげました。