2019年12月20日金曜日

【平和の祭典が近づいてきました❗️】〜21日が今年のラストライブです〜

【平和の祭典が近づいてきました❗️】〜21日が今年のラストライブです〜
13日に滋賀を出発した日は、比良山系には雪が降り積り冬景色でした。名古屋〜静岡〜東京と回り戻ってきました。「今年の冬は暖かいみたいです…」『長距離電話』より
🎈久しぶりに名古屋の豊明にある《来夢》の仲間に会いに行きました。《フレッシュ》《紙風船》と障がいのある子供たちと人形劇の活動を立ち上げ指導してきたこの道の第一人者[南寿樹さん]とも23年のお付き合いになりました。(たった3センチしか動かない不自由な体を使って、人形劇の本場パリまで行き上演の夢を叶えました)その縁を繋いでくれたのが損保ジャパンの[児島正さん]です。来年25年を迎える《阪神淡路大震災》で被災し、防災の必要性、命の大切さとその意識を高める活動をずっと続けていらっしゃいます。『稲むらの火』誕生のきっかけを作ってくださいました。

🗻富士山はこの日も優しく見守ってくれていました。山々にまだ紅葉が残り、まるでまだ秋の中を走っているようで、真っ青な空と見事に美しい日本の風景でした。

浜松で1つ書き忘れましたが、皆さんに一つ一つ手書きで『あなたに逢えてほんとうによかった』と色紙に字を書いてくださったのが浜松の書道家[牧野良香]さんで、米粒にも字を書かれることでも有名です。とても字が優しくて気に入ったので“こころうた”の書を東京でも披露させていただきました。ありがとうございました。
 

🏟東京は来年のオリンピックを迎える準備で華やかです。新国立競技場も姿を現しました。昔よく草野球をやった絵画館前の草野球場はサブグラウンドになるそうです。神宮外苑の銀杏並木もまだ少し黄色い葉が残っていました。懐かしいなあ〜。重ね重ね『マラソンのゴールはここしかないだろう❗️』と意を強くしました‼️ 誰が札幌に持っていったんだ❗️『東京オリンピックじゃんね〜‼️田畑さん❗️』 すぐ横にオリンピックミュージアムが建てられ、多くの人が訪れていました。1912年ストックホルムに初めて出場した2人[三島弥彦と金栗四三]の日本のオリンピアンの名前が誇らしげに刻まれていました。[金栗四三]と[前畑秀子]のパネルの前には、特に高校生が足を止めて見入っていました。数々の戦争や紛争、対立、イデオロギーを乗り越え、国家、宗教、民族、言葉、障がいの壁を打ち破り、自分の限界に挑み、スポーツに挑戦する美しい純真な人間の姿を見ます。『平和の祭典じゃんね〜‼️』一生に2度日本でオリンピックが見られるなんて幸せものです❗️










🎸 『らんたん』。1979年4月25日のデビュー以前からお店には顔を出していました。〈ハイファイセット〉のコンサートツアーで仲良くなった[野口秀俊くん]が連れてきてくれた店でした。23歳の時です。シンガーソングライターの[杉本真人]さんや作詞家の[ちあき哲也]さんなど異業種の面白い方がふらりと立ち寄る小さなライブバーでした。その店長は今も元気いっぱいの[小川武志]さんです。42年間全く変わらずぶれない、音楽を純粋に愛する釣りが大好きな真っ直ぐなおっさんです。いつもニコニコと前向きで、どんな時も僕を受け入れてくれる大切な人です。






今夜も玉名高校の同級生、同窓生。40年来のファンの方、熊本放送、シャンソンを歌っていた姉の[YOU子]つながりの千葉から[押方和雄、喜恵子]夫妻と25年ぶりの[由谷陽子さん]、児島正ご夫妻、ブラジルのリオデジャネイロでお世話になった[堤寿彦、早苗]ご夫妻も突然いらっしゃって、弟の[徹也]、娘の[セリイ]も来てくれ、まぁなんというか最高にテンションが上がった幸せいっぱいの東京最後の夜でした。皆さんこれまで支えてくださって本当にありがとうございました❗️