人生の分岐点は、後から振り返って初めて気がつく…。絡んだ紐を解くように…丁寧に、根気づよく、真摯に向き合わないとその出発点にはたどり着けない。結構、ぞんざいに忘れてしまっていることも多い。特に僕のようないい加減で、人を大切にしない男には…。我が家から直線距離にして2キロも離れていないだろう。今から22年ほど前に、僕はこの家に偶然立ち寄っていたのだ。車を洗っている精悍な青年。その人懐っこいキラキラした笑顔と生命力あふれる仕草に、思わず声をかけた。「このあたりの住み心地はどうですか?」それが僕が滋賀に住むようになった最初のきっかけだったのだ。その当時家を建てようと、1年半も京都近郊を探し回っていたのだ。ゆったりとした敷地にたたずむ外国風の建物。比良山と琵琶湖に挟まれたわずかな平地を電車が縫うように走って行く。【ここに住みたい】と決心した瞬間だった。何と言う運命の出会いだろう。彼のお父さんはその当時、仕事ですっかりお世話になっていた【KBS京都】の制作局長だった。上のお兄さんと二人とも音楽をやっていて、2年前に京都から越してきてスタジオを作ったばかりだった。それから2年後、僕のデビュー15周年記念の初めてのCDアルバム『愛する人の住む街へ』を作ることになる。それから3年後、お父さんは59歳の若さで亡くなられた。今の僕の年と変わらない。ここほぼ15年間、なんとなく疎遠になっていた僕が、ずっと気にはなっていたのだが、ある仕事ことでつい先日連絡を取った。今年がお父様の17回忌だったそうだ。久しぶりのスタジオは長年の歴史を経てさらに趣を増していた。窓から見る景色は変わらない。昨日夜に降った初雪が比良山の山頂を白く染めている。もうすっかり湖西も冬景色だ。彼もしばらく見ないうちに、素敵な大人の男になっていた。素晴らしい音楽もたくさん残していた。このレンガ造りのヨーロッパ風の建物。少し小さめだが味わいのある音を奏でるグランドピアノ。アナログからすっかりデジタルに変わったミキシングシステム。でも彼は、あのアナログの時代の温かい心の通った音と手づくりの良さを今も大切にしている。『ああ~なんて僕は、足元を見落として歩いてきたんだろう…』今の僕の音作りの環境にぴったりなのに…。いやいや、今だから再び巡り会えたんだろうと思う。[第1幕]が終わって、[還暦]を迎えて、今の僕だから、この時期に『出会うべくして再会したんだろう』。“新しい音楽を作れ!”と、お父様が呼んで下さったのかもしれない…。なんとありがたいことか…。なんと恵まれた人生だろう…。
~ 僕の新しい人生の、第二幕の出発の音楽は、ここから始まるような気がしている…~