この歌は[福田一三(かずみ)さん]の作詞です。今から30数年前、デビューして数年たって、自分の詩がなかなかうまく書けない頃、ある人から紹介されて、一時期ずいぶん二人で作品を作りました。よく銀座や有楽町、新橋のガード下で安い酒を飲みながら人生や恋の話をしたものでした。とても繊細で知的で穏やかな方で、東京は荒川生まれの江戸っ子、歳は僕より少し上でしたが、経験も豊富でいろんな方面の知識があり、具体的に理路整然とお話をされました。しばらくそういうことを重ねていくうちに、僕以上に僕のことをわかってらっしゃるようで、“ドキッとするような”僕自身の深層心理を言葉にしてくださいました。84年から僕が京都に行くようになり、少しずつ会う機会も減っていきました。ここ5年ほど全く連絡がつきません。今どうしていらっしゃるか、ぜひ今までのお礼とご無礼の気持ちをお伝えしなければと思っています。この曲は僕が蒲田のアパートでまだ一人暮らしをしているとき、福田さんが僕の生活を想像して書いてくださいました。今でも冬になると必ずライブで歌っている大切な曲の1つです。
この音源は、多分、1986年頃の[京都アザーサイド](のちの[わからん屋])が御所南にあった頃のライブ録音だと思います。東京にいた頃、[中島みゆきさん]や[海援隊]のギタリストだった【小谷道明】さんにサポートしてもらっていました。彼は、奥さんのためにプロのミュージシャンを捨て、奥さんのふるさと長野に暮らし始めました。地元でサラリーマンをしながら、アマチュアの仲間と音楽を楽しんでいました。久しぶりりに京都に来てもらい、演奏した時のものです。彼は二年前に突然亡くなりました。訃報を聞き松本まで車を飛ばして会いに行きました。彼の人間性そのままの、とても穏やかな優しい寝顔でした。《僕は、先に逝った大切な仲間たちのためにも、その思いを背負って歌いつづなければいけないのです。》