2018年9月4日火曜日

【 日本の素晴らしい所と村社会の名残り 】 〜龍馬さんは自由人だったぜよ!〜

のだ。昨今の歴史ブームで、興味を持つ若い人も増えてきたようだ。このところスポーツ界で、古い体質の弊害が頭をもたげてきている。日本のどの世界にでもある、よく言えば和を尊び、仲間意識の強い、組織に属し、まあまあで波風を立てず、なあなあの関係を保つと言う。長い物には巻かれておいて、自分の意見は押し殺して、組織を維持すること、自分の立場をなんとか守るのに一生懸命になると言う、封建的な体質だ。学校でもスポーツでも会社でもそういうタテ社会は少なからず続いているだろう。先輩を尊敬する、立てる、和気あいあいと仲良く暮らすのは日本の美徳でもあった。しかしそれが硬直すると歪んだものが見えてくる。権力のあるところに長く居ると、客観的に見ることができなくなって、人間思い違いをしてしまうんだなぁ。森友、アメフト、レスリング、ボクシング、体操… みんな見事に顔に現れている。一致団結することは大切だが、それに合わない人を排除するのは、いじめの構図に似ている。どんな考えがあり、好き嫌いもある。合う合わないもある。それぞれの個性がある。しかし一方で、1つの目的を持ったなら、それに向かって心を合わせられるのも日本人の特性だと思う。一つ気の毒なのは、小さい頃からそのスポーツに没頭して、頂点を極めた人は外の世界や多種多様な考え方を知らずに歩いてきた人が多い。狭い世界の中で大事にされてきたが、自分の言葉をうまく表現できない人が結構いらっしゃる。そんな人が突然テレビに出て言葉を商売にする人たちと対決するのは見ていて忍びない。言葉尻を取ったマスコミの報道や表面だけを見ている無責任なコメンテーターの言葉が問題を複雑にする。またそれを見ている人が好き勝手なことを言う。ずっとこの繰り返しだ。ネット社会になって人を落とし入れたり、揚げ足を取ったり、言葉で人を傷つけたりすることがひどくなった。言葉に責任は無いから言いっぱなしだ。隠さず堂々と間違いは正さなければいけない。いろんな人の意見を聞く余裕が欲しい。合わないからと排除をするのは昔の村八分と同じだ。いろんな人やいろんな意見を取り入れられる寛容な心が必要だろう。それこそが日本人のおおらかさだったはずだ。トランプのような考え方は日本には馴染まない。《 弱きを助け悪を挫く!》そんな正義の味方がいっぱいいたはずだ。国政には実際の生活を知らない2世3世の政治家ばかりだ。少しは庶民の中で暮らしてみてはどうだろう。机上や頭の中だけで考えるような政策は出てこないはずだが…
日本にはまだまだ素晴らしい自然や風習、伝統、お祭りが残っている。みな庶民の生活から生まれたものだ。口先だけの地方再生で終わらないでほしい。






















久しぶりに《八尾の風の盆》を見てきた。高橋治の〈風の盆恋歌〉。石川さゆりが歌う、なかにし礼作詞の「風の盆恋歌」がある。W不倫の話だ。不倫を肯定するわけではないが、昔から歌や、物語になる。どこかに魔性の魅力と密かな願望があるのだろう。最近の若者はあまり恋に熱中しないらしい。そのうち皆にGPSがついて、機械のように真面目な生活をするようになるのだろうか… 
大きな台風が近づいてきた。まだ復旧途中のところも多くあります。明日伺う岡山の真備町も心配です。どうぞ大きな被害が出ませんように…